コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第四章 本当の心 その3
「大磯さん、これでも飲んで」
羽賀コーチは私に冷たい水をさし出してくれた。私はそれを一気に喉に流し込む。思った以上に喉が乾いていた。
「はぁ、ありがとうございます。ようやく落ち着きました。でもまさか、佐伯孝蔵から私に電話があるとは。羽賀コーチ、私、大丈夫でしょうか?」
あらためて不安が頭をよぎった。佐伯孝蔵は私たちのことを全てお見通しだ。彼は裏で日本を操ろうとまでした男。相志党の有力議員は彼からの献金で成り立っているとも言われている。
「大丈夫ですよ。意志があれば必ずそれは叶います。その意志がどこまで強いのか。今そこを試されていると言ってもいいでしょう」
「はぁ。本当に大丈夫でしょうか?」
羽賀コーチにそう言われても、不安は拭えない。それどころかとんでもない発言をしてしまったという気持ちのほうが強い。
羽賀コーチの方を見る。先ほどと同じようなにこやかな顔で私を見つめてくれる。その笑顔を見ると、なんとなく安心できるから不思議だ。羽賀コーチには何かを期待させてくれる、そんな魔力があるようだ。
「ではこうしましょう。大磯さんは自分が計画したとおりに会社設立準備をお願いします。私たちもできるだけ佐伯孝蔵についての情報を集めます。あちらが情報戦でくるのなら、こちらも情報戦で対応しましょう。ただし、無意味なケンカはしません」
無意味なケンカはしない。これは私にとってはありがたい言葉だ。今まで私たちはハッカーからの侵入をどうやって防ぐか、という仕事をしていた。これはあくまでも防衛のためのもの。こちらから仕掛けることはない。これは私のポリシーでもある。
こちらからケンカを仕掛けても、何もいいことはない。でも、黙っていることはない。だからあくまでも防衛のためならば、ということで今まで仕事をしてきたのだ。
「わかりました。ではそうさせていただきます。あ、私が坂口さんのところに伺っても大丈夫でしょうか?」
「はい、それは大丈夫です。坂口さんには私から連絡をしておきます」
よし、あとは坂口さんといろいろ相談をしながら進めていくことにしよう。なんとなく気持ちは落ち着いた。けれどこれからのことを考えるとまだまだ不安だらけだ。
その日の夜、久々に夢をみた。おそらく毎日夢は見ているのだろうが、そんなのいちいち覚えていない。だがこの日の夢だけは鮮明に頭にのこっている。
「きみこーっ、るみーっ!」
私は大声でそう泣き叫んでいる。
十五年前のあの光景だ。福岡から東京に向かう飛行機が突然レーダーから消えた。飛行機はコースを大きく外れ、静岡県の山奥に墜落。生存者はゼロ。その事故の犠牲者の中に、私の妻の貴美子と、当時五歳だった娘の瑠美がいた。
遺体もどれがどれなのかわからない状態。貴美子はかろうじて歯型からそうであることが確認された。また貴美子がかばったであろう瑠美の遺体は、貴美子のそばに寄り添うようにして発見された。
あの頃、私は新鋭のコンピュータ会社に努め、そこでシステムエンジニアとして働いていた。当時、システムエンジニアという職業は時代の最先端とも言われていた。だがその仕事はとてもハードで毎日深夜まで残業という日々が続き、家族サービスの一つもできなかった状況だった。
貴美子の実家が福岡だったので、夏休みに二人を実家に帰して、私の夏休みに迎えに行くという予定を立てていた。が、突発的なトラブル対応に追われて私の夏休みはパーになってしまった。
そのため、貴美子と瑠美は二人でこちらに帰ってくることになった。が、その帰りの飛行機でこの惨事に見舞われたのだ。
夢の中でその頃のことが思い出された。起きたときには汗ビッショリになっていた。
思えば、あのときから私自身の意識が大きく変わったのだ。あの事故、ゴシップ誌では北朝鮮かロシアのスパイが仕掛けたものだという記事が一時期流れていた。だが公の報道ではそんなことは一切報道されず、機体トラブルということで処理されていた。
このときから、私は真実が知りたくていろいろな手を駆使して裏の世界の情報を得ようとした。おかげで、ハッカーの腕前がみるみるうちに上がっていったものだ。
だが、私が得た情報はどれも核心的なものではなかった。最終的に出した結論、それはもっと情報の中枢に入り込まなければいけない、ということ。
そんなとき、リンケージ・セキュリティの噂を耳にした。いや、これはハッキングの世界では常識と言えるものだった。
リンケージ・セキュリティという会社が、当時の第一政党である相志党のバックについて、日本の情報管理を任されている、というもの。そこで私はこのリンケージ・セキュリティの門をたたくことになる。
中途採用であったが、うまく内部に入り込むことができた。当初は表向きのセキュリティ会社としての仕事を行ってきたが、私の情報管理に関する知識と実績が認められ、とうとう裏の世界へと潜り込むことができたのだ。
そして今の仕事に入り込んだのが七年前。そこで私の当初からの目的であった、家族が犠牲になったあの飛行機事故の真実を知ることになる。
「やはりそうだったのか……」
あのゴシップ誌に掲載された内容。この事故はロシアから盗まれた情報を北朝鮮が内密に処理をしようとして引き起こされたものであることがわかった。当時の犠牲者の中に、ロシア国籍の名前が三名ほど、そして北朝鮮国籍の人物が一名乗っていることがわかった。
国家の情報のために一般人が犠牲になる。これはあってはならないことだ。だが事実として国家を優先させたという国の判断。これに私は憤慨した。だが何も行動を起こすことはできない。その無力さに愕然としたものだ。
しかし、残念なことにあの事故に対してはそれ以上の情報を得ることはできなかった。どこかで大きなセキュリティがかけられており、そこを崩すことができなかったのだ。
なんとか真実を知りたい。その思いを抱きながらも、ずっと日本の情報防衛の仕事をしてきた。今はこういったことが二度と起こらないように、諸外国への情報漏洩を防ぐ。それが私の仕事だと信じていた。
が、つい先日同じような事故が起きてしまった。その事故にあの羽賀コーチも関わっていたことを知ったのは事故の直後だった。乗客名簿に載っているのに、実際には生きていた人間がいたのだから。表の報道には出されていないが、これはなにか裏があると思って、独自に調査を進めていた。
その直後に石塚さんが何者かに殺害された。そして調べていくうちに羽賀コーチが石塚さんのハッキングした情報と深く関わっていることを知った。
だが、私は羽賀コーチの実績の方に興味が惹かれた。今まで数々の大きな問題を羽賀コーチが解決している。特に四星商事からみの問題に対しては見事な対応をしている。
そんなときに、羽賀コーチの方から私のところに姿を現してくれた。まさに渡りに船といったところだ。この人なら私を救ってくれるかもしれない。直感的にそう思ったものだ。
その直感は正しかった。今では羽賀コーチにいろいろと指導をもらいながら自分の進むべき道を見いだしている。
それにしても、あの頃の夢を見るとは。これは何かの暗示なのだろうか?
翌日、私は早速坂口さんの入院している病院を訪れた。具体的な話を進めたいためだ。
「坂口さん、お体の具合はいかがですか?」
「あ、大磯さん。もう少ししたら退院できるそうですよ」
そんなありふれた日常会話から彼に近づいた。彼もうまく話を合わせて明るくふるまってくれている。
「ところで、例の件ですけど。一緒に大丈夫ですか?」
私はあえて細かく言わず、坂口さんの意志を確かめた。きっと彼ならその言葉で真意を汲みとってくれるはずだ。
「例の件、ですね」
彼は少し言葉を置いた。そしてこう答える。
「話を進めたいのですが、ひとつ問題がありまして」
「問題、ですか」
私はすぐに首を立てに振ってくれるものだと期待していたのだが、坂口さんはちょっと答えるのに難色を示している。どんな問題なのだろう?
「実は、昨日電話がありまして」
「電話?」
「はい」
そう言うと、坂口さんは近くにあったペンで私の手の平にこう書いた。
「さいき」
まさか、坂口さんのところにも佐伯孝蔵から電話があったのか。
「それで、少し迷っていまして……」
当然だろう。私も羽賀コーチが近くにいたからなんとか自分の意志を貫き通せたのだ。が、彼がいなかったら佐伯孝蔵に屈していたかもしれない。
それを考えたら、坂口さんが迷うのも無理はない。彼に逆らうということは、ヘタをすると日本という国を敵にまわすことにつながるのだから。
坂口さんは無言で私の目をじっと見つめるだけだった。
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