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コーチ物語 クライアントファイル 9 疾走!羽賀コーチ その8

「まぁまぁ、彼女のおかげでこうやってこの男を取り押さえられたんだし。ここはひとつ大目に見てやってくださいよ」
 羽賀さんは真希の手柄の方をほめてくれた。真希もちょっとは反省の顔をしている。
「まったく…ま、ここはおまえの顔を立てて許してやるか。でもこのあといろいろと聞きたいことはあるから、ちょっと署までは来てもらうからな」
 そのとき、ようやく奥の方からパトカーのサイレンが。かなり遅れて応援が到着したようだ。
「とりあえず君と彼女はあっちのパトカーに乗ってくれ。羽賀は…」
「私は自転車があるので、あとから署の方に行きますよ」
「よし、わかった。それじゃ、オレはこの男を連れて先に署の方に帰るからな。あっちのパトカーには無線で連絡しておくから。よし、車を出してくれ」
 竹井警部はパトカーの後ろに乗り込む。が、パトカーは発進しない。
「おい、どうしたんだ。さっさとださんか」
 竹井警部がいらついている。しかし制服警官の一言はこうであった。
「いえ…この道って本当にパトカーは通れるんですか? どう見てもどちらかの水路に落ちてしまいますよ。しかも夜でよく道が見えないし…」
 結局、夜道で立ち往生しているパトカーが一台。
「おい、オレ達これからどうなるんだよ?」
 竹井警部がパトカーの中で一人頭を抱えていた。
 結局、応援の警官が駆けつけてボクたちは徒歩でパトカーのいるところまで移動。あの男も竹井警部や警官に囲まれての移動だ。
「菅橋君、今回はよくやってくれたね。ありがとう」
 羽賀さんはパトカーへ移動する時に、ボクにそう言葉をかけてくれた。
「あら、でもあなた何もしなかったじゃないの」
 これは真希の言葉。まぁ、確かにパトカーを運転してあの男を追ったのは真希だし、最後に男を捕まえたのは羽賀さん。ボクは何もしていない。
「いや、菅橋君がいなければボクはここまで行動できなかったよ。彼からの情報がなければ、ボクは今回真希ちゃんを助け出す戦略も立てられなかったし。ま、竹井警部があそこで出てきたのは計算外だったけれど、ボクは菅橋君を信じて行動できたからね」
「ふぅん、そうなんだ。だったらありがと」
 そう言ったかと思ったら、真希はなんとボクのほっぺにチュ。おいおい、周りにこんなに人がいるのに…ボクの顔は一気に真っ赤に。だから真希とは離れられないんだよなぁ。
「さてと、ボクは自転車で移動するけれど…そういえば菅橋君、君はミクの自転車で来たんじゃなかったっけ?
 そういえばミクの自転車ってどうしたの?」
「へっ、ミクさんの自転車…」
 そういえばここに来る直前までボクはミクさんの自転車を借りていたんだ。で、あのブルドッグ顔の竹井警部のパトカーに乗せられて…
「やばっ、自転車あの交差点に置きっぱなしだ!」
 ボクは青ざめてしまった。と同時に羽賀さんの青ざめた顔も。
「警部、至急捜索願を!ミクの、ミクの自転車を探してくれぇ!」
 羽賀さんの叫びがあたりにこだました。

「で、結局どこにあったのよ?」
 事件の翌日、ボクは彼女の真希と一緒には羽賀さんの事務所を訪れた。
 昨日の一連の出来事をミクさんに話をして、自転車を借りたお礼を言いに来たのだ。
「いやぁ、さすがは警察だね。白バイ警官が連絡をして、ちゃんと警察署に保管してあったよ。いやいや、一時はどうなることかと思っちゃった。わはははは」
 羽賀さんは場を盛り上げようと必死で笑っている。が、肝心のミクさんはちょっと不機嫌。
「ってことは、下手をすると私のスペシャルMTBってほったらかしだったんですよね。全く、菅橋さんもしっかりしてよね」
「ごめんなさいね。私からもしっかりと叱っておくから」
 そう言ったのは彼女の真希。よく見ると真希とミクさんってタイプが似ているよな。なんだか女同士二人ですでに気があっているみたいだし。下手をすると最強コンビになるかもしれない…。
 そんなとき、ノックの音が。
「おい、入るぞ」
 ぶっきらぼうな口調で現れたのは、あのブルドッグ、いや竹井警部であった。
「羽賀ぁ、どうしておまえはいつもこんな面倒なことに巻き込まれちまうんだよ。ったく、後処理するオレの身にもなってくれよ」
 竹井警部は入って来るなりどっかとソファに腰を下ろし、足組をしてそのセリフを吐いた。なんて図々しい人だ。
「ま、ボクの性格なんだから仕方ないじゃないですか。でも今回もうまく一件落着したんだし。ところで、あの男は一体何だったんですか?」
「いやな、前々からヤクの取り締まりで目をつけていた男だったんだよ。取引の情報が入ったんで、昨日はあいつを張り込んでその現場を現行犯で押
さえるはずだったんだけどよ。そのときにこいつがブツの入ったバッグを拾っちまったもんだから、話がややこしくなったんだよ」
「そういえば、あのブツがないと組に帰れないとか言っていましたが」
「そうなんだよ、あいつちっとヘマしやがってよ。あのブツがないと指の一本どころかドラム缶で海の底だったようだわ。ま、警察におとなしく捕まった方が身の安全じゃあるけどよ」
 竹井警部はふところからタバコを一本取り出して吸おうかという姿勢。だが、ここでミクさんが「禁煙」の張り紙を指さす。竹井警部はしぶしぶ懐から出したタバコを元の場所にしまった。
「でも羽賀さんってすごい脚力なんですね。ボクがあの後追いかけていきましたけれど、とてもあの時間であの場所まではたどり着かないですよ」
 ボクはあわてて話題を切り替えた。これについてはミクさんが自慢げに話を始めた。
「羽賀さんってすごいのよ! MTBの世界じゃ、昔はトップクラスだったんだから。でね、そのときに乗っていた自転車のパーツが今の私の自転車についているのよ。自転車ってね、パーツを換えただけでも数段乗りやすくなるんだから。菅橋さんが乗った自転車、あれはそんじょそこらのMTBとはワケが違うんだからね」
 ミクさんの自慢話は、いつの間にかその視点が自分の自転車のパーツのことへと移っていた。まったく、自慢話になると人って口がなめらかになるんだから。
「ところで菅橋君に一つ聴きたいんだけどいいかな?」
 今度は羽賀さんがボクに話題をふってきた。
「えぇ、なんでしょうか?」
「自転車に乗ってあの倉庫へ向かう途中、一体何を考えていたのかな?」
「いやぁ、無我夢中で。とにかくこいつの元へ急いで向かわなきゃ。そのことばかりでしたよ」
「倉庫についてからのことで、何も不安とかはなかったのかな?」
「不安って…そんなこと思いつきもしませんでしたね。あ、途中で羽賀さんが真希のことを質問してくれたでしょ。あのおかげで真希の姿がはっきりと頭に浮かびましたからね。そう思ったら必死でペダルをこいでいましたよ」
「あ、そうでしょ! だって自転車のメーターの最高速度が時速42キロだったもん。いくらあの自転車が走りやすいからって、トレーニングも積んでいないし服装も専用じゃない素人がこのスピードを出すなんて」
 ボクはミクさんのその言葉にビックリした。確かに普通の自転車よりも乗りやすかったし、必死でペダルをこいだ記憶はある。が、自転車でそんなにスピードが出せるものだとは。
「そうそう、あとでおまえを追いかけた白バイ警官から聞いたぞ。なんだか自転車とは思えないスピードで走っていたらしいな。しかも渋滞をうまく使って白バイを巻くなんざ、なかなかのものじゃねぇか。ま、これが犯罪者ならあまりうれしくねぇことだがよ」
 なんと、あのブルドッグの竹井警部までもがボクの走りを認めてくれた。ボクは思わず照れ笑い。ふと彼女の方を見ると、さっきとは違った目でボクを見つめている。よく見ると瞳がちょっと潤んでいるような気も。なんだかかわいいな。
「ところで羽賀さん、羽賀さんってどんなお仕事しているんですか? 昨日の活躍を見たら、私立探偵か何かって感じでしたけれど」
 真希が羽賀さんにそう尋ねた。そういえばボクも羽賀さんのちゃんとしたお仕事って聞いていなかったな。
「ははは、私立探偵か。それも面白いかもしれないな」
 羽賀さんは笑ってそう答えてくれた。
「おいおい、おまえが探偵になんかなったら、オレんところにまた災難がふりかかっちまうわ。やめてくれよ」
 竹井警部は迷惑そうな顔でそう答えた。
「ふふふっ、羽賀さんの仕事って一言じゃ言いにくいんだよね。菅橋さん、コーチングって知ってる?」
「へ、コーチング?何ですか、それって」
 ミクさんの質問にボクは頭を廻らせた。コーチング、初めて聞く言葉だ。
「あ、それってビジネスの方で流行っているヤツでしょ。質問とかで相手から答えを出すっての。ウチのお父さんがそんなことを話していたから」
「へぇ、真希さんのお父さんがねぇ」
「はい、ウチのお父さんは会社で総務の教育を担当しているんです。確かコーチングってタイトルの本も何冊か見たことがありますよ。表紙だけですけど」
 ここでピクッと反応したのはミクさん。
「ね、ね、ね。今度お父さんにぜひ羽賀さんを紹介してよ。おねがいっ! ここでしっかりと仕事をゲットしておかないと、私のバイト代の捻出も大変
なんだからさ」
「おいおい、ミク。そんな強引に売り込まなくても…」
「羽賀さん、何いってんのよ。こんなチャンスは逃さないようにしなきゃ。もう、とても元四星商事のトップセールスマンだとは思えない発言よね」
 げっ、羽賀さんってそんなすごい人だったんだ。でも、まだボクにはイマイチ羽賀さんの実態がつかめない。
「あのぉ、売り込みの途中で申し訳ないのですが、結局コーチングって何なんですか?」
 ボクはおそるおそる質問。
「よし、百聞は一見に如かず、だ。そうだなぁ、じゃぁ今からいくつか質問するから、それについて考えてみてね。じゃぁいくよ」
 ここで羽賀さんの即席ショートコーチングが始まった。内容は彼女との将来について。どんなビジョンを持ってどんな生活をしたいのか、さらにはそのためにはどうすればいいのか。
 最初は彼女を目の前にして答えるのが恥ずかしかったんだけれど、気がついたら夢中で話をしている自分に気付いた。そして十五分後。
「菅橋君、どうだったかな。今の気分は?」
「えぇ、なんだかすっきりとしていますよ。これからも彼女と一緒にいけるって自信がつきました。ありがとうございます」
 なるほど、これがコーチングってヤツなんだ。
 ふと見ると、真希の目が再び潤んでいた。いや、今度は何か本当に訴える寸前。と思ったら、いきなり真希がボクに抱きついてきた。
「ありがとう。そんなに思ってくれて…」
 ボクはこのときを一生忘れないだろう。
 ちなみにボクはこの後、真希と正式に婚約を果たした。そして羽賀さんも真希のお父さんの会社でコーチとして研修指導の仕事が決まったそうだ。
 ボクも羽賀さんのように、これからもコーチングを生活に役立てようと、今は本やセミナーで必死に勉強。よし、これからもがんばるぞ!

クライアント9 完

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