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コーチ物語・クライアントファイル4 伝えたい言葉 その7

「羽賀、落ち着いて聞けよ。後藤啓輔が交通事故で…」
 竹井警部はここで一呼吸おき、ゆっくりとこの言葉を発した。
「交通事故で死亡した」
「ど、どうして…どうしてなんですか、竹井警部っ!」
「子どもをな、飛び出した子どもを避けようとしてバイクから転倒したんだ。そのときに後頭部を激しくぶつけてな…即死だったそうだ」
 羽賀は全身から力が抜け、ソファーに倒れ込んだ。
 竹井警部は話を続けた。
「おまえのところに来たのは、この手紙が後藤啓輔のふところに入っていたからなんだ。どうやらおまえさん宛の手紙らしい」
 竹井警部は羽賀に一通の手紙を差し出した。表には「羽賀純一様」と書かれた宛名と、事務所の住所、そして郵便切手。裏には「後藤啓輔」とだけ書かれていた。
「どうやらどこか途中でおまえさんに出そうと思っていたんだろうな。何が書かれているかはしらんが、仏さんの最後の手紙だ。しっかり読んでやれよ」
 竹井警部はそういうと、羽賀コーチの事務所を後にした。
 一見すると冷たい態度のようにも見えるが、今の羽賀にいくら言葉をかけても無意味。これは竹井警部なりの心遣いであった。
 羽賀は気を取り直し、啓輔から送られる予定だった手紙の封を切り、ゆっくりとその手紙に目を通し始めた。そして全てを読み終わった後、こうつぶやいた。
「啓輔くん、君の言葉はボクがしっかりと由衣さんに伝えるからね。安心してお母さんの元へ旅立ってくれ…」
 葬儀も一通り終え、後はミクをはじめとした親族が火葬場へと移動した。未だに葬儀場を去ろうとしない由衣。その由衣の肩を羽賀がそっとたたいた。
「由衣さん、ですよね。初めまして、羽賀といいます。啓輔くんから生前いろいろと由衣さんのことをお聞きしていました」
「あ、あなたが羽賀さん…啓ちゃんがお世話になったみたいですね。ここ数日は啓ちゃんと電話で話をすると、羽賀さんのことばかりでしたから。とても安心して全てを話せる人がいるって。啓ちゃん、羽賀さんのことをとても尊敬していたみたいです」
「そうですか…今回の事故はボクにも責任があるんです。啓輔くんにあんなコーチングをしなければ…」
「いえ、そんな。啓ちゃんは羽賀さんと出会ってから、何かが吹っ切れたようでとても活き活きとしていました。私は…私はそんな啓ちゃんの声を聞くのがとても楽しみになったんです。だから私は羽賀さんにお礼が言いたくて…」
 羽賀は由衣の言葉に助けられたのか、やっと顔に笑みを取り戻した。
「由衣さん、あなたにぜひ読んでいただきたい手紙があるんです。これは啓輔くんが事故に遭う直前に、ボク宛に書いた手紙なんですが…この中に、あの日啓輔くんが由衣さんに伝えたかった言葉があります」
 羽賀はそういって、竹井警部から渡されたあの手紙を由衣へと手渡した。由衣はゆっくりとその手紙を開き、読み始めた。

『羽賀コーチ様。
 今回の件では大変お世話になりました。
 特にオレの母さんの話しをしっかりと受け止めてくれて、本当にありがとうございます。
 あの日、羽賀さんがオレの話を聞いてくれなければ、オレは母さんに、そして由衣に対しての言葉を見つけられないまま、母さんを殺してしまった思いで自分を責め続けたかもしれません。
 あの日以来、オレは足下に絡まっていた鎖がほどけたように、心が軽くなりました。
 そして、由衣のことをあらためて見つめ直すことができたんです。
 今までいろいろな女性とつきあってきましたが、やはり由衣じゃないとダメだということにも気づきました。最初は由衣を通して自分の母さんを見ていた、そう思っていましたが、母さんへの思いが解き放たれた後は、由衣を由衣として見つめることができたんです。
 この手紙は、今から由衣に会って、オレの心からの言葉を伝えに行く前に書いています。
 今なら言える。
 本気で言える。
 由衣に心からオレの言葉を、伝えたい言葉を言える。
 そんな気持ちで一杯です。
 由衣に伝えたい言葉、それは「ありがとう」。
 心からこの言葉を言えたときには、次にこの言葉を由衣に伝えたいと思っています。
 「これから一生、愛し続けることを誓います」と。
 羽賀さん、これからもオレたち二人をずっと見守っていてください。
 よろしくお願いします。
  後藤啓輔』

 手紙を読み終えたとき、由衣の中でガマンにガマンをしてきた感情が一気に湧きだし、羽賀の胸の中で大声で涙を流した。
 羽賀は由衣をそっと両手で包み込み、天を仰いでいるだけだった。
 どのくらい時間が経っただろうか。羽賀も、そして由衣も落ち着きを取り戻し、場所を移動して葬儀場近くの喫茶店へ腰を落ち着けた。
 羽賀も由衣も紅茶を注文。目の前に運ばれた紅茶をひとすすりして、再び沈黙の時間が流れた。その沈黙を破ったのは由衣。
「啓ちゃん…いまごろお母さんのところにいるんですよね」
「そうだね、きっと天国でお母さんに言えなかった言葉を伝えている頃じゃないかな」
「羽賀さん、啓ちゃんの顔を見てくれましたか?」
「え、啓輔くんの顔?」
「えぇ。啓ちゃん…あんな事故だったのに笑顔だったんです。警察の方も病院の方も言っていました。あんな事故なのに、死に顔がとても安らか、いや安らかを通り越して幸せにも見えたって」
「そうか…その笑顔が、由衣さんへの最後のメッセージなのかもしれないね。いつまでも、いつまでも幸せでいて欲しいって…」
「わたし、啓ちゃんの意志を継ぎたい。どんな思いをしていたのか、もっと知りたい。羽賀さん、おねがいがあるの。啓ちゃんが羽賀さんと過ごした時間を、私にもわけてくれませんか。少しでも、啓ちゃんがどんな気持ちになったのかを知りたいの。お願い、お願い…」
「うん、わかったよ。啓輔くんも由衣さんになら許してくれるだろうな…ボクが最初に啓輔くんと出会ったのは…」
 それから羽賀と由衣は、啓輔との時間を共有するために、延々と語り合っていた。それが啓輔への鎮魂歌であるかのように…

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