コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第四章 本当の心 その4
「あまり無理はしないで。今は身体を十分休めてくださいね」
私はそう言うのが精一杯だった。あまり無理はしないで。これは単に体のことだけを言っているのではない。私と一緒に会社を興し、そして佐伯孝蔵に反旗を翻すという決断のことも指している。
「でも……」
坂口さんは私の方を見つめて何かを訴えようとしている。が、私はその坂口さんの気持を悟って、先にこう伝えた。
「私は独り身ですから。どうにでも生きていけますよ。坂口さんは家族を大切にしてあげてくださいね」
これは私の本心ではない。本当は坂口さんが一緒にいてくれると、とてもありがたいし頼りになる。自分が思っているとおりにことができそうな気がする。
が、今は彼に無理はさせられない。やはり一人でやるしかないのか。
「羽賀さんは、羽賀さんはなんと言っていましたか?」
「えっ?」
「羽賀さんは、私のことを何と言っていましたか?」
坂口さんの言っている意味が今ひとつわからない。羽賀さんからは特に何も聞かされていないし。
「いや、特には何も……」
「そうですか……でも、私の気持ちは進む方向に傾いているんです。あの壁さえなんとかなれば……」
あの壁とは佐伯孝蔵のことだ。彼に打ち勝つには、余程の情報と度胸がなければいけない。けれど、そんなこと私にできるのだろうか?
「坂口さん、焦らずにいきましょう」
これは坂口さんではなく、自分に言い聞かせた言葉だ。焦らずにいくしかない。今はそれしかない。進むも地獄、戻るも地獄。同じ地獄なら、自分の意志で選べるほうがいい。それが今の私の気持ちだ。
「ではお体を十分休めて。退院したらまた連絡をください」
「はい。ありがとうございます」
そう言って私は坂口さんの病室を出た。だが私に次に待っていたのは、予想もしなかった報告であった。
その日の夜、私の携帯電話が鳴った。これは何も珍しいことではない。だが、その相手が珍しかった。私の登録していない番号だ。しかも携帯電話ではなく一般電話からである。
「はい、大磯ですが」
私は恐る恐る声を出した。
「あ、大磯さんですか? 私、市民病院の看護師の深江といいます」
看護師というと女性を思い出すが、その声は男性であった。
「はぁ、なにか御用でしょうか?」
「大変申し上げにくいことなのですが。坂口さんとはお知り合いなのですよね?」
「えぇ、まぁ」
申し上げにくいって、なんなんだ?
「坂口さん、本日の夜急に容態が悪くなり。それで……」
それでって、まさか? いや、致命傷になるほどの傷じゃなかったと思うが。でもその口ぶりからは悪い予感しか想像できなかった。
「坂口さん、お亡くなりになりました」
ど、どうしてなんだ。坂口さんが死ぬ理由がどこにある?
「ど、どうして坂口さんが……」
「それはいま調査中ですが。それで、坂口さんが無くなる直前に大磯さんの名前を言っていたもので」
「坂口さんが私の名前を?」
「はい。大磯さんに何か伝言がしたかったようです」
「私に伝言?」
「えぇ。私が直接それを聞きました。内容はこんな感じでした。『おおいそさん、まえに』これを何度か繰り返されていました」
おおいそさん、まえに。これはどういう意味なのか。おそらく昼間話したことに対して、坂口さんの最後のメッセージなのではないだろうか。私はそう受け取った。
でもここで気になることがあった。
「坂口さんの伝言の件、ありがとうございます。ところで私の電話番号がどうしてわかったのですか?」
「はい。ご家族にも承諾を得まして。坂口さんの携帯電話から大磯さんの番号を調べさせていただきました。そして今かけています」
「そうだったのですか。この度はいろいろとありがとうございます」
「いえ、私も気になって仕方なかったもので。では失礼します」
そう言って電話は切れた。しかし、坂口さんはどうして私の名前を最後に読んだのだろうか。普通なら家族の名前を言うはずなのに。
おおいそさん、まえに。普通に考えれば大磯さん、思ったように前に進んでくださいというメッセージに聞こえるが。その真意がよくわからない。
そんなモヤモヤとした気持ちでいたとき、今度は待望の人から電話がかかってきた。羽賀コーチだ。
「はい、大磯です」
「羽賀です。ひょっとしたらもう連絡があったかもしれませんが……」
「坂口さんの件ですね。先ほど入院先の市民病院の看護師から電話がかかってきました」
「そうですか。実はそのことでお話ししたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「電話ではなかなか伝わりにくいので、今からお会いすることはできますか?」
「えぇ、かまいませんが」
そう言うと、羽賀コーチはとある喫茶店を指示してくれた。看板の灯りは消えているけれど、入って構わないとのことだった。
「では今から伺います」
私は早速指示された喫茶店へと足を運んだ。そこは街なかの少し路地を入ったところ。どうしてこんな目立たないところに喫茶店があるのだろうか。そう思わせる店である。
「エターナル、ここだな」
私がお店に入ると、すでに羽賀コーチがカウンター席で待ち構えていた。
「お待ちしていました。じゃぁこちらにお願いします」
この店の奥のテーブル席へと羽賀コーチは移動。
お店にはカウンターにこの店のマスターと思われる男性と、もう一人体格のいい男性がカウンター席に座っていた。ちょっと気になる存在だな。
「あちらの方達は?」
「大丈夫です。今回の件に関しては味方ですから。それよりも、今回の坂口さんの死因。これは明らかに他殺と思われます」
「他殺? 確かに、坂口さんに昼間に会ったときには元気そうでしたが。でも、誰が?」
羽賀さんの他殺という言葉。これには何か根拠がありそうだ。
「まず坂口さんを担当していた看護師。これは深江という男性です」
「あ、その深江さんから電話があったんですよ。坂口さんが亡くなったという」
「はい。その深江さん、実はリンケージ・セキュリティとつながりがあります」
「えっ、どういうつながりですか?」
「深江さんの義理の兄がリンケージ・セキュリティに務めています。名前は新開といいます。ご記憶にないですか?」
「新開って、確かリンケージ・セキュリティの技術部門では群を抜いて才能があると言われている男です。彼は情報屋ではなくどちらかといえばハード専門で。まだ三十代半ばなのに、子会社であるリンケージテクノロジーの技術部長も兼任している男です」
「私たちが調べた結果もその通りです。ここからは推測ですが。この新開という男の力を以てすれば、医療機器にちょっとした細工を施すのは簡単でしょうね」
「でも、坂口さんは特別何か機器を付けていたわけではなかったように見えますが」
「見た目はね。けれどこれを見て下さい」
「これは?」
羽賀さんは一枚のプリントアウトされた写真を私に見せた。そこに映っているのは、小さなカプセルだった。
「これは医療用のカプセルで、体内に埋め込むものです。これは設定した時間になると、内部から薬品を出すような仕掛けになっています。通常のカプセルの薬では、胃で溶けてしまい腸の方にはなかなか薬が届きません。しかし、これは時間がコントロールできるため、腸の奥のほうに行ったときに薬を出して幹部に直接利かせることができます」
「つまり、坂口さんはこれを飲まされた、と?」
「はい。こういうのができるのは、医療従事者以外には考えられません。で、考えられるのは坂口さんが看護師の深江にこれを飲まされた。これを提供したのがリンケージ・セキュリティの新開ではないか、と」
「確かに、そう考えるとつじつまが合いますが。でも、司法解剖とかで薬の成分やカプセルが見つかったら、すぐに彼が怪しまれるのでは?」
「それがそうならないんだよなぁ」
今まで黙って私たちの会話を聞いていたカウンターの大柄の男がそう言ってきた。いったいどうしてそうならないのだろうか?
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