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俺の好きは狭い

俺の好きは狭い 俺の好きは狭い
そんな俺が好きになれたもの大事にしたい

俺の好きは狭い/KREVA

私の好きなKREVAさんがそうであるように、私自身も「俺の好きは狭い」

そのことに気付いたのは、30歳が迫る最近のことである。

今日は、社会人になったばかりの頃の自分に、「好き」について考えてほしいと思います。


2000年前後ばかり聴く人間に

なぜか分からないが、君(過去の自分)は2024年現在、2000年前後の曲ばかり聴いている。

KREVA・LITTLE・KICK THE CAN CREW・RHYMESTER・餓鬼レンジャー…

名前を挙げるだけで「懐かしい!」と言う人がいるかもしれない。
彼らは90年代頃から活動を始め、2000年前後に特に活躍した日本のHIPHOPアーティストである。

断っておくが、全員が今も活動しており、素晴らしい楽曲を提供し続けている。
それらももちろんチェックしているし、今も愛している。

ただ、自分がよく聴いている曲やアルバムに絞るとそのあたりの年代になってしまう。

2000年というと私は5歳、2005年でも10歳。つまり小学4年生。若すぎる。

ちなみに私が日本語ラップを聴き始めたのは小学3年生頃だった。
兄がTSUTAYAで借りてきたKICKのベストアルバムを聴いて、その一曲目「STEP IN THE DAY」に衝撃を受けた。

なんだこのリズム感と言葉数の多さは。
なんだ「韻」って。ダジャレと違う。でも音が近くて面白い。

そして、なんだこの力強さは。

少年の頃の僕はそんなことを思い、日本語ラップという当時盛り上がりを見せ始めた音楽にハマることになった。(聴き始めた頃にKICKは活動休止を発表。当時は意味が理解できず、中学生頃にようやく現実を知る。その絶望はまたいつか書きたい)

おそらくそんな初期衝動を受け取った当時の空気感が好きで、今もこの年代の曲をよく聴くのだろう。
その証拠に餓鬼レンジャーは最近聴き始めたが、一番好きなアルバムは「UPPER JAM(2001年リリース)」である。
その熱量と荒唐無稽さが一番胸に染みる。

まだまだ若い20代の青年が早くも懐古主義に走っている実態が、自分としては悲しいような、自分らしいような。

これはきっと遺伝なのだろうか。
現在父と暮らしているが、父が流すのは山下達郎・サザン・ミスチルばかりである。
いや、彼にとってミスチルはおそらく30代に聴いていた曲。
私にとってKICKは10代前半から聴いていた曲。
私の方が懐古主義が酷いのではないか?

とにもかくにも、その調子で生きると君は2000年前後の曲に取り憑かれた亡霊になる。
良いか悪いか置いておくが、何かしら対処は必要だと思う。


人の「好き」を受ける功罪

そんな懐古主義の人間だが、1つありがたいことがある。

それは、人の影響を受けやすいことだ。

そもそもが兄の影響でHIPHOPを聴き始めた人間だ。
その後のアーティスト開拓は自分で漁るうちに進んだが、入り口が人の影響であることは多々ある。

振り返ると、人の影響で始めたものは多い。

中高のスポーツはまさに兄たちを追いかけていた。
なんなら高校も兄たちと同じところしか考えていなかった。
苦手だった茄子が好きになったのは母の影響だ。
唐揚げが好きになったのも、アイドルやジャニーズに詳しくなったのも、交際させてもらった人たちの影響だ。
見るドラマや映画も、ほとんどが人のススメだ。
挙げればもっとあるが一旦やめておく。

楽しそうな・美味しそうな・幸せそうな彼ら彼女らを見ると、一緒に体感したいと思って手を伸ばしてしまう。

そして、たちが悪いことに、大体において、私の熱量が上回る。
「そんなにハマっちゃって」と呆れられる始末である。

それは良いことだと思っている。
人が「好き」なものを「好き」になる。
それによって共通の話題ができたり体験ができたりする。
「共有する」ということは大きな愛情表現の1つであると思う。

ただ、良くない面もある。
例えば交際していた人が好きだったものは、交際が終わってしまうとどう接していいか分からない。
時間が経ってまた楽しめるものもあれば、トラウマになって2度と見たくないと思うものもある。
別れ自体が悲しいことなのに、好きになれたものも一緒に離れてしまうというのが、悲しさに拍車をかける。

モノ(コト)に罪はないのは分かっている。
好きならその後も楽しんでくれればいい。
私が逆の立場でもそう思うし、聞かれたらそう言うだろう。
ただ、人間の感情はそんな簡単ではない。

1つの対策は「分けて考えること」
人とモノ(コト)を分ける。
自分が好きになったモノは、それ自体が好きなのであり、モノに罪はない。
だから愛し続ければいい。

だが、そんな大人な考えはまだできない。
「綺麗事並べてんじゃねえぞ」と言いたくなる。
私は子供である。

「好き」を守るため「良い人」であれ


昔から人に嫌われるのが怖い。
今も怖い。

多分、こんな文章を書く生活を続けていると
「あいつはよく分からん文章を書く変わったやつだ」
「ネガティブ人間だ」「いつまでやってんだ」
などと、あまり良く思われないだろう。
それは分かっている。

それは一旦置いておくとして。(私が「書く」理由はいつか書く)
それでも私は人に嫌われたくないと思ってしまう。

昔は単に「傷つくのが怖いから」だけだと思っていた。
今もその理由は変わらないが、最近追加で気づいたことがある。

嫌われたくない理由。
それは、自分が好きなモノや文化を嫌われたくないからだ。

私はよくこう思う。
「自分の苦手なAさんが好きだというアーティストBは聴く気にならない」

つまり、嫌いな人が好きなモノ(コト)を嫌いになってしまう。

これも「分けて考えること」ができないからであろう。
弱い考えなのも自覚している。

私はこの理論のおかげでゴルフやタバコが嫌いだし、梅干しに腹が立つこともある。
他の人のおかげでゴルフには興味が湧いてきたが、その人に口を出されるのが嫌で手を出そうと思えない。

これと同じことを思ってほしくないから、嫌われたくないのである。
自分の愛するHIPHOPや読書という文化そのもの、アーティストや作品、芸人やクリエイターを嫌いになってほしくないのだ。

これは極端な考え方のような気もする。
「お前が背負ってんじゃねえよ」と言われればそれまでだ。
でも、自分がそう思う以上、同じ考えの人がいてもおかしくないと思っている。
そんな人たちを守りたいから、まずは自分から守りたいのだ。


だから「良い人」でありたいのだ。
自分の「好き」を嫌いになってほしくないから。

わけわかんねえだろ。この理論。
自分でもそう思う。でもこれが今の自分の到達点である。

※「良い人」でいたい理由は他にもある。これまた面倒な話なのでまたいつか。

「好き」から広げる「センス」

自分が人から影響を受けやすいのは分かった。
ただ、人、特にリアルな人間関係から影響を受けるのはデメリットもあることも分かった。

だから過去の自分に伝えたい。

自分の「好き」を広げろ。

お前は極端な面倒くさがりだ。
懐古主義も相まって、特に新しいものに手を出そうとしない。

今までは周りの人が世界を広げてくれた。
それは感謝しきれないし、きっとこれからも人の影響を受けるだろう。
それは悪いことじゃない。1人でたどり着けないところに連れて行ってもらおう。

ただ、それだけに頼るのはよくない。
面倒くさがりでも、自分から広げる努力が必要だ。
それが大人になるということであり、「1人の担い手になる」ということだと思っている。

その方法はいくつかあるが、一番やりやすいのは「好き」から広げることだ。

音楽が好きなら、その曲と同じ時代の曲を聴いてみる。
そのアーティストと親交が深いアーティストを聴いてみる。
そのアーティストのルーツを追ってみる。
同じ時代の、文学・映画・演劇・ドラマなど、音楽以外のジャンルを摂取してみる。

自分の1つの「好き」から輪を広げる。
そうすることで、その時代に流れるリズムを知るのだ。

それがより「好き」を深め、自分の世界を広げてくれる。
そしてそのリズム感を捉えることを「センス」と呼ぶらしい。

この深掘りの仕方、そしてリズムに対する考え方は千葉雅也「センスの哲学」を読んでいただければと思う。
センスのない自分にはかなり勉強になった。

センスうんぬんは置いておくにしても、「好き」を広げることは精神衛生上もいい。
人間関係や資産形成にしろ、「依存」は望ましくない。
その1つが崩れた時の影響が、歳をとるほどに大きくなるからだ。

「好き」に関しても、幅広く持つことで分散ができる。
それは、依存を予防するだけでなく、新たな繋がりが既存の「好き」を深めることにもなるだろうから。

今の自分に足りないものは、その「深める・広げる」作業である。

いつまでも一つの曲やアルバムをリピートしてるだけじゃダメなんだぞ。
(学生時代は1つの曲を一か月ぐらいリピートするなんてことがよくありました)

「俺の好きは狭い」ことから始める

当時の自分は、自分の好きが狭いなんてことにも気付かなかった。
だから、まずはそれを知ることから始めればいいと思う。

狭い状態が悪いわけじゃない。
ただ、そこに留まり続けるのがあまり健全ではないのだ。

深めよう。
または、広めよう。

もう人生が終わってもいいならそこにいてもいいだろう。
でも、まだまだ生きたいし、やりたいことがある。
だから、少しだけ努力してみよう。

ああ、当時から餓鬼レンジャーの「UPPER JAM」を聴いておきたかった。
そうすれば私の日本語ラップ好きがさらに深くなってたはずだから。

あの「わけのわかんなさ」が好きなんだ。
それに気付けたのも、1つの成長かも。

この文章もわけがわかんねえだろ。
それが好きなんだから仕方ない。

くだらなくて、わけが分からない。それでいてちょっと心に残る。
誰かにとって、そんな退屈凌ぎになることができれば、それが私の目指すところ。

あなたの「好き」は狭いですか?
ちょっとだけ、その横にあるものに触れてみてもいいかもですね。

というわけで私はPrime Videoで「ゴジラ-1.0」を観ました。
映画館で見た「シン・ゴジラ」が面白かったから。それだけの理由ですね。


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次回、旅に出ます。

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