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自己紹介 バブル入社不動産営業マンが農家を買って移住を決意するまで


noteを始めてちょうど半月が過ぎました。今回は社会に出てからの自分を振り返りました。仕事とか会社とか、とかくこの世は生き難いのですが、書いているうちに思った。人生何とかなるもんだ。それでいいのだ🎵

1.サラリーマン時代

僕が就職したのは昭和63年、バブル経済の最中ですね。東京にある銀行グループの不動産会社に入社しました。
入社以来人事異動が多く、在職9年のうちに不動産仲介、不動産開発、ビル賃貸、不動産担保融資、人事採用の部署を転々と経験しています。
入社した当時は異常なくらい毎年地価が上昇し、人は我先にと不動産を買いました。僕ら業者も値上がりが永遠に続くかのように煽りました。元麻布のマンションを4億で売りたいという人がいて、6億で買いたいという人が見つかったらどうしますか?普通、価格調整するでしょ!でも当時の常識?は、4億で仲間の業者に抱かせて、500万くらいかけてリフォームして、6億円で買主に売るんです。2回取引して仲介料は2倍稼ぎ、仲間業者は売却利益に喜び(これだけで一年間ハワイで遊んで暮らせるってさ)銀座で接待三昧。100万円なんて当時ははした金でした。そんな時代もあったんです。でも、本当に当時の評論家も含めて「土地神話」が当たり前に続くと思っていたんです。でも、ある年を境に急激に地価は暴落し、お仲間業者も倒産したり、雲隠れしたり・・・でも、彼らのことはいいんです。

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虎ノ門に住んでいた、人のいい普通の老夫婦は、相続税対策とか銀行の言うままにビルを立て替えたのにバブル崩壊で入居予定のアパレル会社が倒産して、家賃収入はおろか、借入金を返せなくなって、先祖からの土地を手放すはめになりました。やりきれないです、でも当時のリアル銀行員は半沢直樹の様ではなく、慈悲のない態度で回収しました。その時の映像が今でも忘れられず今でも僕は銀行員を好きになれません。僕は仕事にプライドを失いました。
東京を離れて実家のある札幌に行こう。サラリーマンを辞めて資格を取って開業しよう。サラリーマン時代は結構夜遊びにお金を使っていたので殆ど貯蓄はないのに、何とかなるさ。ずいぶんと楽観的に決めました。
そんな時でも、銀行グループだから会社はつぶれないと思っていました。2年くらい後に潰れたと聞いてショックだったな。寄らば大樹は幻想だよ。

2.独立開業時代

会社を辞めて土地家屋調査士という国家資格を受験しました。退職金と失業給付で一年くらいは無職でも暮らせました。幸い一年で試験には合格できましたが、遊び惚けたサラリーマン時代がたたり、開業資金はゼロで、密かに当てにしていた父親は、拓銀株で大損して、一家は一文無し状態でした。それでも実家のある札幌市に戻り独立開業しました。無一文で開業してどこまで通用するか試してみたいという気持ちが強かったのです。父が現場を手伝ってくれて、なんか楽しかったな。

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実家で開業

実家の仏間で開業しました。写っている机は倒産した旅行代理店から拝借しました。測量に関する設備はひたすら頭を下げ続けていろいろな人から譲り受けることが出来ました。今思うと奇跡ですね。

土地の測量や土地建物の登記業務が主な仕事です。これまでの不動産業の経験からどういう仕事をすればクライアントに「気が利くね~」と喜ばれるかはわかっていたので仕事は順調に増えました。同じ時期に開業した人たちと共同して現場作業して、現場上がりに飲むビールの美味しさに、労働の喜びをかみしめました。

開業仲間や先輩同業者と合同で事務所を借りることが出来たり、いろいろな集まりや団体にも参加して、夢中で働きました。当時は一日2~3時間の睡眠だったと思います。無理がたたり帯状疱疹を患い、お医者さんには「こんな生活していたらあんた死ぬよ」そう言われて考えを改めました。

3.会社代表時代

最初は仲間と共同で会社を設立しました。僕は社長になって会社を経営するなんて柄じゃないと思っていましたので、相方に社長をお願いして、おもに顧客開拓と交渉実務に励みましたが、2年で喧嘩になりました。残念なことにお金の価値観が違いすぎました。その頃に結婚したのですが、給料がゼロが続きました。それなのに・・・という話はやめておきます。話し合いの末、僕は別に会社をつくり、社員を呼び寄せ成り行き上社長になってしまいました。合同事務所を離れ、アパートを借りての再出発でした。

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実際、自分で経営して、社員も増えて、組織や仕組みをつくるって意外と向いていたみたいで楽しくて、スタッフや協力先にも恵まれて、社員も売り上げも徐々に増えて、また忙しさが半端じゃなくなってきました。すると今度は頸椎ヘルニアに悩まされ、両手の痺れがきつかったですね。私は、自分で処理する仕事の量を減らして社員に任せるようにして、私が処理しない仕組みづくりを心掛けました。会社のお金をガラス張りにして、みんなで頑張ってシェアする会社を目指していました。

でも、徐々に自分の限界、業界の限界も自覚していました。このままでは緩やかに衰退し、いつか一気につぶれる。バブルの崩壊のようにあるいは違う形で、今までが通用しない日がきっとくる。それに耐える度量が自分にはないだろうと。業務を多角化しよう、効率化しよう、見える化しよう、船井総研に通い、全国の仲間と情報交換しました。そもそもというか私は本質的に社長には向かない。私はお金儲けに興味が無さ過ぎるのです。打てる手は一つでした。


4.会社を若くて有能な人に譲ろう!

「経営はロマンとそろばんだ」私の尊敬する経営者のY社長の言葉です。
僕はその時には、自分の仕事にロマンを感じることも、お金を稼ぐ意欲も、自分のキャパに限界を感じていました。時代は変革を求めているのに戦う気力に欠けていました。なぜ戦わなければいけないのか?戦わない生き方は出来ないものか。いつまで家族を放っておくのか・・・家族との時間をもっと大切生きたい。そういう思いが強かったのです。

僕は、土地家屋調査士という資格はそれ単独ではもう限界であることを肌で感じていました。船井総研の士業の研究会で学んだ末の結論は「他の士業と連携して業務を多角化する以外会社が生き残る方法はなく、私が有能な他士業経営者に事業譲渡することが最善の策である」そう結論付けしました。そしてぴったりの若者(圭さん)に出会いました。
初めて圭さんと会った日に、僕は彼に売りたいと思い、彼も買いたいと言ってくれました。話が進むときって一瞬で決まるものですね。

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5.会社を売って農家を買った

2019年8月に僕は会社を圭さんに譲り、さぁこれから人生何をしようかと55才にもなって自分探しを始めました。最初は家族でカフェでもするかと話していましたが、そもそも料理とか好きなわけでもなく、たまたまの縁でゲストハウスの合宿に参加して、ゲストハウスが面白そうと思いました。結構いい加減ですね。5年前から余市町でシェアハウスを運営していたので、ゲストハウスもやれそうな気がしていたのです。シェアハウスもゲストハウスもそうなんですけど、居場所を通じて人と関わることってとても好きなんです。きっと天職ですね。
そんな矢先、4000㎡の畑に住居と古民家がついた売り物件があって見に行ったら一目ぼれしちゃってとんとん拍子で話が進んで今年の5月に買うことが出来たのです。すごい計画性のなさです。

6.古民家ゲストハウス開業準備中

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畑を耕して、果樹を育てて、古民家を改装してゲストハウスを準備しよう!
私は2020年の7月から仁木町に移住して農家に住み始めました。急だったので妻は札幌に残り、要介護の母を連れて仁木に移住したのです。農の暮らしも、古民家の改装も未知の領域で日々がワクワクの連続です。本当にいろいろな出会いがあって、困ったときには必ず誰かが手を差し伸べてくれます。なんだかんだで私はとてもついていると思います。
来年には妻も合流して、きっと楽しく開業できるはずです。

7.私ってどういう人間なんだろう?

自分では本当に何も才能のない男です。僕よりも僕以外の人のほうが何でもうまくできる。そういう確信があります。だから何でも人に委ねます。サラリーマンとしても優秀じゃなかったし、資格者としての適性もなく、だからこそ弱点を補うために積極的に採用して手を貸してもらい、お陰様でいつも難局を乗り切ってこられました。運は良いです。運だけが僕の実力です。

家族のことはいつも大好きでそれだけで幸せです。家族と暮らせてたまに旅行にでもいければそれで十分だ。お父さんは友達はいないの?って小さいころ娘に聞かれました。確かに居ないかもしれない。一緒にやる仲間とか、シェアハウスの住人という関係者はいるけど、何か理由がないと僕は人と関わるのが好きではなく、ひとりで居たい人です。それが心地よいです。これからもそうかもしれないし、この期に及んで友達が出来るかもしれない。どっちでもいいと思ってます。

8.僕の職業は加藤俊太郎です

いつも自分らしくありたいと思っています。サラリーマンの時も、独立開業した時も、社長になっても譲っても、畑を耕しても、宿のおやじになっても、自分らしくありたいだけなんです。僕の職業は加藤俊太郎なんです。

今は寛いで楽しんでもらえる宿をつくりたいと思っています。日々古民家を拭き掃除して、そのあとでリニューアルして、ワクワクする仕掛けをいっぱい考えようと思ってます。畑には美味しくて健康に良い野菜と果物をたくさん育てて、宿泊者に存分に食べてもらおうと思ってます。田舎だから体験できることを提供して楽しんでもらいたいです。

好きな人とだけ関わってそうじゃない人とは距離を置いて、やりたいことだけやって我慢をしない生き方をしたいですね。どうせあと余命は20年とか30年とかそんなもんでしょう。だったら無理も言い訳もしないで好きなように生きていきます。

一番の願いはやっぱり家族仲良くであり、それに尽きます。それだけは、ずーっと変わらないな。僕はそんな人です。

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9.noteを始めたわけ

フォロワー数とかいいねの数とか、増やすことを実験中だけど、きっとそのうちどうでもよくなると思うな。数は少なくても良いから面白い人と繋がりたいと願っています。今まではFacebook中心だったけど、あっちは経営者時代にビジネス感覚だったから、noteではありのまま飾らずに書いていこうと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございます。一言でもコメントいただけると嬉しいです。どうかこれからもお付き合いくださいませ。

おまけ 私がしゃべってます

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