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数字から零れ落ちるもの

本日2本目です。
文部科学省の不登校の調査結果(2022年度版)が出ましたね。

これを見て「実態と違うのでは?」という意見が私の周りではちらほら聞こえています。私もここから漏れている子はたくさんいるのだろうと思います。文科省の不登校の定義は

「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」

なので、例えば我が息子のように「病気による欠席」は厳密には含まれないことになります。また、年間29日欠席したとしても含まれません。さらに、適応指導教室やフリースクール等に通っている子も出席扱いとなるため含まれません。
 また、欠席する理由についても、「本人の不安・無気力」や「生活リズムの乱れ」があげられることにさまざまな意見があるようです。「そこじゃない」感、というのか。でも、統計である以上仕方がないし、この数字に意味がないとも思わないのです。数字に表す以上、言葉の定義(どこかで対象を区切ること)は必要になるし、学校に訪ねている(しかも選択肢で)ので、欠席の理由としてあげられる事柄にも(私個人としてはザワザワしながらも)「そうなるだろうなあ」と思います。でも、個々のケースを丁寧に聞き取っていくと、必ずしもこの結果と一致しないのではないかとも思うのです。学校が悪いとか、教員が悪いとかではなく、数字から零れ落ちるものがある、ということだと思うのです。

そもそも不登校の子どもは気持ちを語れないことが多いでしょうし、
その語りを記録したり発表したりは
個人情報の扱いなども含めて難しいのかもしれません。
追跡調査もあまり出ていないような気がします。
多分学校に行けない原因は一つではなく、
複雑に絡み合ったり、その日によって違ったりもして、
話を聞く時期によっても語られることは変わってくる。
扱いが難しい情報になってしまうのでしょうが、
やっぱり記録として残しておくことは大事だと思うのです。
コロナ禍の養護教諭を記録することと同時に、
コロナ禍前後の不登校の子ども達が何を感じ、日々をどう過ごし、
そんな風に大人になっていくのかを記録をしておきたい。
そんなことも考えています。


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