見出し画像

「学校は言えなくなっちゃったもんね」

こんにちは。
前回の投稿からの続きのような、
そうじゃないような、お話を。

外部の方から言われたんです。 
「学校は言えなくなっちゃったもんね」って。
生徒がね、勝手な行動をしていたんですよ。
場合によっては怪我をしたりさせたりするような可能性もあることを。
もちろん教員だって注意しないわけではないけど、一瞬やめても、またやる。その様子を見ててね、
「危ないことなので私たちは注意するようにしています。学校は言えなくなっちゃいましたもんね」って言われたわけです。

強権的な指導とでも言うのでしょうか?
怒鳴ったり圧をかけたりして言うことを聞かせる指導がNGになって、
「話せばわかる」
という時代変わって久しい。
なぜ指導されているのか、
どうすれば良いのかをきちんと伝えるのは
良いことだ、と思う。
でも一方で、子どもや保護者が(いや、世の中が?)
「言った者勝ち」
「言うこと聞かせた者勝ち」
みたいなことになってきているのも感じる。
子どもたちが暴言を吐いたり、
暴力を振るったり、
弱い子をイジったり
性的なことを聞こえるように言ったりするときに、
それはダメ、と言う指導の前に
「子どもの気持ちを聞いて」
「寄り添って」
なのだろうか?
(いや、それはそれとして大事なのだけど)
保護者は
「うちの子にも理由があってやっている」
と言うかもしれないけど、
理由があれば暴力もいいのだろうか?
発達障害?多様性?
その理由は周りが取り除かなくちゃいけないの?本人のご機嫌を損ねないように周りが気を使うの?もちろん環境調整やSSTが必要なのだろうけど、とりあえずやめさせなくていいの?
公共の場での振る舞い方とか
社会の中でやっていくためのルールとか
より先に「気持ち」なんだろうか?
気持ちを深掘りしていけば不適切な行動をやめられるのかもしれないけど、それまで周りはどうしたらいいのだろう?(本当は出席停止という措置もあるのだけど)

怒鳴らない、怒らない、叱らない。
理解して、諭すような指導。
理想だけど、今、難しくなってきていないだろうか?
主張して、思うように動かすことが
「良い」「強い」「勝ち組の」
コミュニケーションとされて、
大人がそれをよしとしているから、
結局のところ子どもは放置されて、
気がついたら社会の爪弾きになるようなことになってない?
私が古いだけかな?令和的にはあれでいいのかな?

箱庭療法のワークショップに参加していた時に、「枠(ルール)というのは守りなんですよ」
と教えていただいたことがあって。だから私はルールって大事なものだと思ってるのです。
とはいえ、硬直化した決まりごととか、意味の薄いルールみたいなものはすっきりと合理的にするのがいいと思います。でも、「学校のルールは全てダメ!」「子どもの思うようにさせないなんて!」「もっと自由に!学校は厳しすぎる!」みたいのも違うと思うのです。全くの自由なんてむしろ不自由なものなんじゃないだろうか?

学校が「言えなくなった」時代に、誰が子どもを社会化するのか?気がついた人しかできない仕事かもしれないから、これが私の新しい仕事になるのかな?苦しいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?