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谷川俊太郎とFrank Oceanと僕

金曜日、谷川俊太郎展に行きました。彼のことはあまり知らなかったけど、全てがキュートでウィットに富んでいた。聡明そうな美人女性がお客さんに多かったのも納得でした。

谷川さんは僕と同じく人間なんだけど、あるとき、彼は鳥だし、別のときは風で、空だった。すごい。そんな人を僕はもう一人知っている、Frank Oceanだ。彼らは目を凝らせば雨雲の向こうの星の瞬きが見え、耳を澄ませば空の落ちていく音が聴こえるのだろう。そしてそれを綺麗な言葉にする。

近頃、複数の友達から僕のコミュニケーションについて指摘があった。指摘というとなんだか嫌な言われ方をしたみたいだけど、そうゆうことではない。自分で「痛いところを突かれたな」と思っているのだ。

感情のアップダウンに人を巻き込みたくないから距離をとる。誰のこともジャッジしない代わりに誰からもジャッジされたくない。波風を立てたくないから他人には踏み込まない、自分にも踏みこまれたくない。こんな自己防衛の壁を張り続けていて、すっかり壁の壊し方を忘れてしまった。このままこれを続けていくと、感情が死んでしまうかもしれないと初めて危機感を持った。

友達を見て羨ましいと思ったこと、恋人の許せない言動、仲間に感じる同属嫌悪。もっと見て欲しくて、触って欲しくて、注目して欲しがっていること。穏やかに過ごしたいと願う代わりに無視した自分の感情はゆるやかに死んでいっている。

鳥にも、風にも、空にもなりたいのだけど。その前に僕が目を凝らし耳を澄ませるべきは、渦巻く自分の感情ではないか。それを綺麗じゃなくても言葉にして誰かに伝えたいな。誰のためではなく自分のために。

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