MOLLY SEIDEL(東京五輪マラソン銅/米国)のトレーニング

はじめに 本稿のきっかけ/日本型距離第一主義批判

今年の東京五輪、田中希実選手がこれまで日本人が出場すらできなかった1500mで8位入賞という快挙が達成した大会となりました。3000mSCで三浦龍司選手が7位入賞(ただし彼に関しては昔11分かかった鈍足の私ですら飛べるところまでハードリングしろと言われてきた世代としてはなぜ順天堂大学らの指導者が上に乗せ続けるのか理解不能です。彼は小学時代県の小学ハードル王者で地元スポ少指導者は3000m障害を見据え中学時代もハードルの練習をさせ続けたというだけにもったいない限りです。今は男子世界トップ選手のハードリングが荒いので目立ちませんが女子米国勢を見ればアフリカ勢に対抗にするにはハードリングをきちんと磨く必要があることは自明です)、廣中璃梨佳選手がドーハ世界陸上5000m3位のクロスターハルフェンに先着して7位入賞、大迫傑選手がマラソン帰化勢を含めた数十人のケニア・エチオピアなどのアフリカ勢の中で6位入賞と日本人でも世界で戦えると大いに勇気づけられる大会となりました。

女子マラソンでも一山麻緒選手が8位入賞しました。これ自体立派な成績で見ていて大いに心が震えましたが、男子マラソンも終わってみると私はのどに骨が刺さった感覚にさいなまされ続けています。

その理由は第一に男女日本勢の半分が満足な練習を積めずにスタートラインに立つという勝負が始まる前に敗れ去っていたこと、第二に女子では一山選手(PB2:20:29)がPBで大きく下回るボルハ・マズロナク(5位/ベラルーシ/PB2:23:54)、そして本稿の主役モリー・セイデル(3位/米国/2:25:10)に敗れ、セイデルに対しては30キロ以降の勝負所で全く勝負にすらならない状態で敗れたことにあります。
(メラト イザク・ケイエタ(6位/ドイツ/PB2:23:57)、ユニスチェビチー・チュンバ(7位/バーレーン/PB2:23:10)もPBで下回った選手ですがこの二人はエチオピア、ケニア出身で、この二人も入れる大迫選手の話がややこしくなるので一応別枠としましょう。)

]大迫選手はランキング11位(ただしPB下の選手には格上のリオ五輪銅のゲーレン・ラップ、ロンドン五輪金のステファン・キプロティッチもいました。先日のシカゴで日本記録保持者の鈴木健吾選手が札幌から2か月超のラップに完敗しました。大迫選手の偉大さが改めてわかります。)、一山選手もPB9位だったので、大迫選手は大健闘、一山選手も仕事はしたといえるでしょう。

ですがPBで劣る(この世界はタイムが第一でありまず実力も劣ります)選手がメダルを取りにいくというのであれば、PBが上の選手がハイペースで自滅した時に、着実に自分の走り、ベストを尽くしていく必要がありますそのためには万全なる体調でスタートラインに立つことが絶対条件です。準備を含めてミスをしないことが絶対条件と言えるでしょう。

しかし日本選手は実に半分の選手が故障で満足な練習ができずにスタートラインに立っていました。これでは勝負にすらなりません

月刊誌などの陸連幹部やテレビのかつての名選手インタービューを見ると、セイデルを引き合いに「日本人でもやりようで十分戦える」的なコメントをよく見ますが、私は日本マラソン界が20世紀体制=月間1000km超をマストとする距離第一主義を堅持し続ける限りそんな日はまずこないと断言したく本稿の筆を執ることとしました
 
私は東京五輪後の月刊二誌を手に取って眩暈を覚えました。ちょうど箱根有力校夏合宿が特集される時期ですが「創価大学は900km」をはじめ「〇〇大学は〇キロ以上」と距離ばかりありがたがる記事の数々。松田瑞生選手は月間1300kmオーバーだとか、一山選手は鬼鬼鬼メニューだとか、質はもちろん量を追うことが賞賛させる。一方で、五輪や世界陸上のマラソン代表選手がひどいときには次の五輪では選考会にすら故障で立つことができないあるいは既にあまりにも速い引退済、こんなことが繰り返されてきたのが日本長距離界・マラソン界の現実です。

五輪マラソン二連覇のエリウド・キプチョゲはせいぜい月間800~900kmの練習だといいます。しかしキプチョゲはこれを20年近く継続し続けたことで36歳となった今日も絶対王者として君臨しているのです。


 世界NO1の長距離指導者とされるレナト・カノーバは日本式マラソン練習についてこのように批判的に述べています。

「個人的には、日本の選手はロング走の範囲を超えてしまっていて、選手のキャリアの後半にかけて身体的な問題を抱えていると思っている。瀬古利彦の練習には「メンタライゼーション」と呼ばれる100km走があった。
瀬古とその時代のトップランナー (伊藤、宗兄弟、児玉)は走行距離約480kmの”特別な週“を持っていたようだ。
 女子選手の場合、1度に走る最大距離は70kmで、1998~2000年の間に高橋は何度もそれを行った。また私は、サンモリッツで野口みずきが毎日3回走っているのを見た。さらに、いつも彼女は何かを買うために店まで走っているのを見た!

ここに日本のマラソンランナーの活躍が長く続かない理由がある

日本のトップレベルの女子選手は、機械的な視点みたときに、非常に若い段階から、体を酷使している=自分の肉体を破壊しているので、だいたいは2〜3年でキャリアのピークを迎えて、その後、姿を消す。」
出典「レナート・カノーバ、日本式マラソントレーニングについて語る」(LetsRun.com Japan)

さてセイデルのメニューについて見ていきましょう。おそらく多くの日本マラソン界の指導者は「参考にならない」「大した練習をしていない」「たまたま調子が札幌にあっただけ」というかもしれません。しかし私は請け負えます。月間1300kmの練習をすることよりも、セイデル、キプチョゲ、レナト・カノーバの選手らの月間900キロ未満の練習の方が、間違いなく10年、15年継続できる練習であることを。

 我々はこの事実を受け入れなければいけません。
・札幌で銅メダルを勝ち取ったのは「鬼鬼鬼メニューで臨んだ一山麻緒 」ではなくモリー・セイデルであった。(5位マズロナクも日本勢より質量ともに高い練習をしてきたとはとても思えない)

何度でもいいます。地元の札幌五輪マラソンで、日本勢の半分は故障で満足な練習を積めずにスタートラインに立ちました。モリー・セイデルの練習を見ていくと彼女はびっくりするような練習はしていません。しかしセイデルは余計なことはせず故障することなく万全の状態で五輪本番に臨んだのです。そして我が方は余計なこと(故障したということは余計なことをしたということ)をして満足に戦えない状態で臨んだ選手が半分もいました。まず、この事実を深く受け止め、今一度、選手たちが長くトレーニングができ、より高いレベルに達して、より長く活躍し続けるため、何をそぎ落とせる部分があるかを考える時期に来ているのではないでしょうか?

ありがたいことにモリー・セイデルはSTRAVAで練習内容を公開しています。その内容をまとめましたので以降見ていきましょう。

1 モリー・セイデル(MOLLY SEIDEL) について

モリー・セイデル(MOLLY SEIDEL)は1994年7月12日生、アメリカの長距離・マラソン選手でノートルダム大学時代に米国学生トップランナーとして頭角を現し、大学3年時に全米学生インドア陸上3000m5000mを、全米学生陸上10000mを制し、4年時には全米インドア陸上5000mを15分15秒21、3000mを8分57秒86の好タイムで制した。

モリー・セイデル自己ベスト

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その後、リオ五輪国内予選前に骨折し、トップアスリートとしてのプレッシャーから強迫性障害と摂食障害に苦しむこととなりメンタルヘルスの治療を受けていた。そのためセイデルは一度は引退した選手と思われていたが、2018年よりクロスカントリーなどで競技に復帰、現在のコーチにロード適性を見出され、二つの仕事を掛け持ちしつつ東京五輪マラソン代表にチャレンジすることとなった。

2020年1月のロックンロールハーフマラソンを1時間9分20秒で制し全米予選出場権を獲得。翌2月29日の全米五輪トライアルマラソンに初マラソンで挑戦、2時間27分31秒で2位に入り米国代表権を勝ち取った。

東京五輪延期後の2020年10月のロンドンマラソンを2時間25分13秒で6位に入る。翌年2月にはアトランタのハーフマラソンで1時間8分29秒の好タイムを出した。

米国では学生トップ選手として知られた存在だったが、世界的には全く無名の選手といってよく、札幌での五輪マラソンで3位銅メダルを獲得したことは世界のマラソン界をあっと言わせることなった。
(この銅メダルは米国にとってアテネ五輪ディーナ・カスター以来のものであったが、女子マラソン銅のカスター、男子マラソン銀のメブ・ケフレジキはともにトラックでは日本記録を上回る記録を有し世界選手権などで出場していた世界レベル選手であったのに対し、セイデルは世界レベルの大会で出場歴すらない点で世界の陸上界を驚かせたといえよう。)

パリ世界陸上1万m。福士選手と競り合っている黒いユニフォームの選手がディーナ・カスター

2 モリー・セイデルの試合での心拍数

以降、セイデルのトレーニングを見ていく前に、セイデルの試合での心拍数を見る。

①2021年2月28日アトランタでのハーフマラソン

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【出典:STRAVA、以下同じ】

21年2月のハーフマラソンだが前半を170以下、中盤以降が175前後で推移し、終盤が179~182となっている。

②2021年8月7日 札幌での五輪マラソン

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【出典:STRAVA】
スローペースであった序盤は160前後、ある程度ペースが上がった中盤で170前後となり、30キロにかけて179まで上がり、ラスト10キロは182から189まで上がっている。

③セイデルのTペース(≒LT2)

2月のハーフマラソンと札幌の五輪マラソンから判断するに、モリー・セイデルのTペース(試合で1時間継続可能なペース)≒LT2の負荷は概ね175~180前後とみてよさそうである。

五輪では26キロまでは173以下であったが、これ以下の負荷はセイデルにとってMペース以下の負荷と言ってよいのではないか。


2 モリー・セイデルの東京五輪までの4か月トレーニング

①月間走行距離

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セイデルの五輪マラソンまでの月間走行距離は
2020年
 9月784.3km,10月532.7km,
 11月690.0km,12月669.4キロ
2021年
 1月770.3km,2月719.5km,
 3月534.5km,4月598.6キロ
 5月873.8km,6月870.1km,
 7月872.9キロkm,8月564.9キロ

となっている。20年10月のベルリンマラソンに向け9月は784キロ走り、レース後、いったん休養し10月は532キロから、11月12月を700キロ未満に戻し、1月2月のハーフマラソンに向け1月770キロ走り、3月は534キロと落としている。セイデル的には休養月は530キロくらい、走り込むと800キロ弱という流れだったのだろう。
これが4月下旬に本格的にマラソン練習を開始すると5月に873.8キロ、実質的に一番多いのは6月の870キロ、7月に872.3キロ走って8月5日の五輪マラソンに臨んでいる。

②2020年4月のトレーニング

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(出典:ストラバより北山作成)

セイデルはアリゾナ州フラッグスタッフを拠点に練習している。
大迫選手が五輪前に合宿していた土地で標高約2,100mの高地に位置している。4月中旬より少しずつ1日当たりの練習量を増やし、2部練習で22キロから27キロで推移している。
ロング走を行う日は1部練習で、4/18の24.6キロを皮切りに4/25には32.2キロと少しずつ増やしている。
ジョグのペースは4分40秒~5分超、ロング走も4分20秒程度と速くないが、抜きのジョグの日もアップダウンがあるコースを走ることで心肺や筋肉への負荷をかけている。

③2020年5月のトレーニング

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(出典:ストラバより北山作成)

5月に入ると軽めの日でも午前に20キロ近く走ったり、午後のジョグも10キロ近く走る日があったりと、1日当たりの走行距離を増やし5月には38.6キロ走っている。

5月16日にニューボストンハーフマラソン(1:11:41)に、5月28日にはポートランドトラックフェスティバル1万mに出場し32分01秒のPBを出しているが、両レースとも直前まで30キロ近く走ってのぞみ、1万mのレース前には8.4キロを3分20秒前後で走るペース走を行っているなどあくまで走り込みの一環としてのレースだった模様である。

セイデルは1キロ×5~10本を5~10kレースペースで行うインターバルをほとんど行わない(ポートランドフェス前はかなり例外的)が、5/11午後に200×8、5/26午後に200×10を行っている。これは8月まで定期的に行われる練習である。
T~Mペースでのロングインターバルも5月は「1マイル/1.6キロ×6~8」と1マイルが中心であった。5/24は1万m直前のためか3分14~18秒と比較的速めだった。

④2020年6月のトレーニング

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(出典:ストラバより北山作成)

6月に入ってもジョグの距離を増やすなどして1日当たりの走行距離を少しずつ増やし6/12には41キロ走っている。ロング走は6/6に32キロ、6/27に34キロと少しづつ増やしている。
唯一のレースだった6/12ニューヨークの1万m(32:11)もの日は前々日まで25キロ以上の練習を維持してのぞみレース当日も計41キロ走っている。

ロングインターバルも6/23には2マイル/3.2キロ×4、6/26には「16キロ変化走(1kレースペース⇔1k3分35秒程度)」や6/18午前の27キロでは途中9.6キロを、6/20の38.7キロ走では途中6.4キロを3分30秒前後で走るなど少しずつ長めのレースペース負荷をかける練習に取り組んでいる

⑤2020年7月、8月のトレーニング

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(出典:ストラバより北山作成)

7/2に32キロ、7/4に37キロとレース40日前に練習量のピークがきている。あとは200mの5kレースペースインターバルや、1.6~3.2キロのレースペース付近のロングインターバルなどを継続的に行い7/30に東京に入った。フラッグスタッフと比べかなり高温多湿で往生したろうが、8/2に札幌入りし最終調整、8/3の「1.6k×4+0.8k×4+0.4k×2」と8/5の200×7が所謂最終刺激、少しずつ質量を落とし、8/7の五輪マラソン本番に臨んでいる。

3 モリー・セイデルのトレーニングの特徴

①トレーニングの特徴

モリー・セイデルのVDODは70(Half 1:08:29 (2021))。
E3'44~4'15、M3'24、T3'14、10kCR3:06、I2:59、R65となるがこれを前提に見ていく。

セイデルのトレーニングの特徴
1)ロング走を行った日は1部練習
2)ジョグは4分40秒から5分超と5キロ15分前後の選手としては遅い
3)所謂30キロ走などのロング走や15~20キロのミドルロング走は平均4分20秒前後程度、フルマラソンレースペースと比較して78~80%で行うことが多い。⇒2000m超の高地およびアップダウンコースで走ることで一定以上の負荷を確保している。練習の進行とともにロング走の途中で3分30秒前後を数キロなどレースペースに近いスピードで走るトレーニングも実施している。
4)5キロペースでの1キロ×5本といったトレーニングはほとんどない。5キロレースペース以上で走るときには200×8~10本のショートインターバルとなっている。
5)ハーフマラソン(Tペース)~フルマラソンレースペース(Mペース)でのロングインターバル(1マイル/1.6キロ~3マイル/4.8キロ)のロングインターバルを週1以上程度の頻度で行っている。1マイルであればTペースより(3分10~15秒まであがることもある)、2マイル以上であればMペース3分20秒~25秒(フルマラソンレースペース、2時間24分程度以上)よりの設定となっている。⇒トレーニング内容を通してみると3分20秒~25秒(フルマラソンレースペース、2時間24分程度以上)を強く意識している印象
6)ロング走は4月の24.6キロから次第に伸ばし最長35.6キロ(7/11・レース約一月前)だった。

②高地への馴化状況について

【4/24午後のジョグ】

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本格練習開始直後の4/24では、心拍数が4キロで168、7キロでは190まで達するなど相当身体に負荷がかかっていたことがわかる。

【6/7午後のジョグ】

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6/7になると4キロまでは130台、6キロ目で心拍数176と高地への馴化が見られる。
【7/10午後のジョグ】

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7/10に至ってはのぼりでも心拍数160未満と高地への馴化が進んでいる。

②ロング走

【4/25 32キロ】

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標高2300m地帯でのロング走で概ね4分20秒前後と速くないが、上りになると心拍数が180、あるいは190を超えている。25キロ以降は疲労もあってか下りでも180超えている。

【5/9 37キロ走】

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前回よりわずかに低い2000~2100m地帯での37キロ走である。この日は4分30秒前後のペースで心拍数は170切るくらい。後半4分10秒台まであげているが170前後であった。

【6/6 32キロ走】

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標高2300m前後でのロング走だが、高地馴化が進んでいるようで4分10秒台のペースで心拍数170行くかどうか程度、後半の下り基調コースでは130~140台で走っている。

【7/11 35.65キロ走】

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標高2000~2150m地帯でのロング走だが、ペース自体4分40秒前後と速くないこともありのぼりでもほとんど心拍数が上がっていない。

③ペース走インターバル

セイデルは5キロレースペース以上でロングインターバルをすることはほとんどない。このスピードで走る場合は200m×8といったショートインターバルになる。一方でハーフレースペース(T3:14)~フルレースペース(M3:25)での1.6~3.2キロ(1マイル~2マイル)のロングインターバル、ペース走インターバルが多い。以下見ていく。

【5/8 1.6キロ×4】

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5/8の1.6キロ×4のペース走インターバルである。10kmのレースを控えていたためか10kペースでのインターバルになっている。心拍数は190近くまで上がっている。

【6/8 1.6キロ×5+800×4R1分】

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1マイル(1.6キロ)5本と半マイル(800m)4本、ペースは3分14秒、ハーフレースペースでのインターバルである。心拍数は最大で180くらい。

【7/17 1.6キロ×6R2分+400×4】

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この日はトラックでのペース走インターバル、1マイル(1.6キロ)のペースは3分14秒とTペース、距離も短いのでMAXで心拍数178までしか上がっていない。

【7/21AM 5k+1.6k+3.2k+1.6k】

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この日は5キロと3.2キロ(2マイル)を含めて長めのペース走インターバル、3分20秒前後とMペースよりのペース走インターバル。5キロと1マイルの次の2マイルでは心拍数180まで達しているが、札幌のレースも30キロ以降は180オーバーしており極めて評価が難しいが、高地であり、MペースでもTペースの負荷がかかっているともいえるだろうか。

どちらにしても前回紹介した5000mメダリストのポール・チェリモもMペースでのペース走をMAX20分か、12分+9分+4分といった分割走で取り組んでいるが、セイデルもほとんど8~12キロのペース走という練習はほぼ行っていない。

ペース走も適ペース(夏場ならMペース、20度以下ならTペースより)でMAX20分、20分を超える負荷をかけたい場合は分割走(インターバル)といった取り組みで求める成果は十分得られることを示唆しているのではなかろうか。

やはり日本人のようにTペース8kmにこだわる練習は必要ないかもしれない。

まとめ


以上のとおり札幌の五輪マラソン銅メダリストのモリー・セイデルのメニューについて見てきた。

セイデルのメニューを見てきて日本マラソン界に与えてくれる示唆としては

①セイデルは高地フラッグスタッフを拠点に練習に取り組んでいる。
⇒大迫選手が東京五輪に向けケニア、フラッグスタッフでの長期合宿で臨んだことに通じる。国内にも1300~1800地帯での高地合宿地が整備されてきたのでこれらの土地を本拠地化していく必要があるということか?
①ー2ジョグ、ロング走はかなり遅いが、高地でトレーニングしているため心肺には相当の負荷をかけることに成功している。
②月間走行距離は最高でも900キロ未満その範囲でやるべきポイント練習を組み込んでいる。またオフシーズンは500キロ前後まで落とし回復期間、メリハリをつけている。

セイデルの練習拠点は高地のフラッグスタッフであるが

こちらの記事で日本人であれば市民ランナーでもTペースで8~12キロ走ることが多いが、米国トップ選手は5~6キロまで走るときはMペースまで落とし、Tペースで走るときは1.6キロと短い点を指摘したところ、高地2000m地帯での練習であり、MペースであってもTペースの負荷がかかっているのではとの批判を多く受けた。

セイデルの練習を見ていくとたしかに本格練習開始直後の4月こそ相当心拍数はジョグでも180を超え、オールアウトに近い負荷がかかっているが、一月もしないうちに高地馴化が進み、6月、7月頃にはTペースインターバルでも175前後とハーフマラソンレース時の心拍数までしか上がっていない。

7/21AMの5キロ+1.6キロ+3.2キロ+1.6キロはMペースよりで走っているが、3つ目の1.6キロで180前後。

2000m地帯で平地と同じようなことができる程度に鍛えられたともいえ、
文字通り
・TペースインターバルはTペース相当の負荷しか心肺にかかっていない(脚への負担はいわずもがな)⇔10k(CR)相当の負荷がかかっていない
と評価できそうである。

無論、セイデルが高地のフラッグスタッフでのトレーニングが、平地で行っているかの如くの心拍数で行えているのは、かの地を本拠地として練習を長期的に取り組んでいるからであろう。ここから得られるは示唆は我が国マラソン界も練習拠点を高地としていかなければいけないかという点が今後の課題になるのだろうか

本稿では札幌での五輪マラソンで銅メダルに輝いたモリー・セイデルのメニューについて検討してきた。セイデルのトレーニングは距離第一主義の日本とは異なり、多く走っても月間800キロ台、レナト・カノーバ、エリウド・キプチョゲら最新の世界トップ選手の潮流のトレーニングである。

日本ではハーフマラソン駅伝を走る大学生ですら月間900キロがどうたらと距離を走ることがありがたがられる。しかし、フルマラソンの練習ですら世界のトップは900キロ走っていない

松田瑞生選手に至っては1300キロ走っただのどうのと喧伝される。松田選手があと15年、月間1300キロの走り込みができ、カノーバの特定メニューのレベルを上げていければ凄い選手になれるだろうが、とてもこのような量を追求する練習が何年も継続できるとは思えない。

私は本当に不思議なのだがなぜ月間1300キロ走らなければいけないのか?高橋尚子、野口みずきも走っていたという非科学的理由以外でなぜ必要なのか?

私のようなサブスリーレベルのランナーですが、ロング走やあるいはそれなりのジョグなどで細やかに月間走行距離を稼ぐがその目的は
・42.195キロしっかりレースペースで走り切るための基礎体力、スピード持久力を養成するために30キロ走などを行うが、その重要なポイント練習をするためにある程度の距離を非ポイント以外でも走る。
・体力筋力的に40キロ走は止めてもできないので、30キロ走をした翌日に12キロ超のロングジョグをして代替する。
などといった練習目的を自分で説明できる。

世界トップを目指すのであれば
・3分15秒で42.195キロ走り切るための練習をする
となっていくのであろうが、だらだらと距離を踏むだけのジョグを重ねる必要があるとはとても思えない。必要なことはカノーバ式のレースペース付近ともう少し遅く走る変化走や、90%、95%と少しずつレベルを上げる40キロ走でないのかそれをムリなく行うために必要な体力・筋力を養成するために他の練習があるべきではないのか?その当たり前のことをしっかりと見直す時期に日本マラソン界は来ているのではないか。

セイデルは2000m地帯での練習継続することで、練習当初は4分半のジョグですら心拍数180とオールアウトに近い負荷がかかっていたのに、練習が進行するにつれ遅いペース相当の心拍数に進化している。

キロ4分半の高地ジョグとキロ4分の平地ジョグの心肺負荷が仮に同じになるとして恐らく脚などへの物理的負担は4分半の方が軽いだろう。そうなると高地トレーニングの常態化が世界に追いつくために必須である可能性がある。

最近では国内にも御嶽や志賀高原でトレーニングエリアが整備されている。今回の五輪ではいつものように海外合宿ができなくて云々みたいな報道もされたが、国内の2000m地帯と米国の2000m地帯が心配に与える影響に違いがあるとはとても思えない。

宇佐美彰夫氏は富士山での練習を行ったことが国内の高地トレーニングの走りとされる。先人たちは我々と遥かに悪い条件でも知恵を絞って世界と戦ってきた。宇佐美氏から50年、色々な面で世の中は便利になっている。昨今は世界トップ選手のトレーニングの情報も簡単に入手できる

20~30年前と違い日本マラソン界はもはや世界トップではない。虚心坦懐、世界からそのノウハウを学ぶことが日本マラソン復活の必須条件となるだろう。本稿がその一助となれば幸いである。

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