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こっくりさん

「ねえねえ、お母さんはこっくりさんやったことある?」

それは何気ない日常の、母子の会話の一幕だったと思う。小4になり、オカルトブームの中、小学生の間では「こっくりさん」が流行っていた。

「こっくりさん、こっくりさん、お教えください」と唱えながら、50音やはいいいえが書かれた紙上で友人数名でコインに指をあわせると、意図しない方向へコインが動き出す。
おそらく誰かがあえて意図をもって(持たぬふりをして)やっている、オカルト遊びだろう、と、暗黙の了解であったように思う。
遊びであり、度胸だめしでもあり、肝試しのようなものだったろうと思う。(おそらくその位置づけは令和の今も変わっていないだろう)

丹波哲郎の大霊界を映画館まで見に行ったり、宜保愛子だ織田無道だの霊能者特集は必ず(その後オーラの泉までしっかりと)鑑賞するほどのオカルト好きの母がきっと食いつくであろうテッパンの話題として、当時の私は考えていた。

だが、母のリアクションは想定外だった。目の色を変えて
「知ってるけど、あんた、まさか、やってないでしょうね?!」
と、裁縫仕事の手を止めて訊いてきた。
その剣幕に私は心底驚いたが、少女雑誌や小学生向け学年誌で取り扱われる程度の知識しかなかったので、手出しはしたことはないよ、と答えた。
母はほーっと一息ついて、「ほんと、あれだけは、素人はやっちゃいかんよ」とつぶやいて、そして教えてくれた。

それは、今からだと65年以上前の話。
母の母、つまり私の祖母フミエは、月に1度、必ず大量のいなりずしをこしらえていた。
だが、それが母や兄姉たちの腹に入ることは、めったにない。
大皿いっぱい、山もりのいなりずしは、縁側へ置かれる。
そして祖母は、障子をしめきった仏間で、【あの紙】をひろげる。
髪の毛を1本抜き、穴のあいた古銭に結び付ける。
そして、つぶやく。
「こっくりさん、こっくりさん・・・・・」

幼い母は、隣で息をのんでその様子を見つめていた。
祖母がいったい何を尋ねていたのかは覚えていない。ただ、「私もやりたい」といくら言っても、絶対に触れさせてはくれなかったという。

「来るのが、お狐様とは、限らないからね。ーああ、今日はお狐様だった」
障子を開けると、あれだけあったいなりずしはきれいに空っぽで、米粒ひとつない大皿がぽつねんとあるだけだったという。

祖母いわく。
こっくりさんを呼ぶからには、お礼を用意しておかねばならない。
来てくれるのは、礼儀正しい上位の「狐様」とは限らない。
狐にも下等で野卑なものがいるし、狐でないものが来ることもあるーそうなったら、到底、素人では太刀打ちできない。
だから、順序正しく、しきたり通り、隙を見せず、礼は尽くさねばならない。

一度だけ、「下等なもの」が来たときがあったという。
祖母の指先がつむがせてもらう言葉はまったく意味を成しておらず、祖母は早々に「お帰りください!!!」と強い声で言ったが、指先が示すのは「いいえ」ばかり。母は恐ろしくなり、目をつぶって耳をふさぎ、じっとしていたという。
「ああ、やっとお帰りになった」という祖母に促され、障子をーいなりずしの縁側を確認すると、

見たことないほど食い散らかされ、汚れた、いなりずしと大皿だったものがあるばかりだった。

礼を尽くし、錬磨していても、誰が来るかわからない。
ましてや、順序を知らず、しきたりも守らず、隙だらけで、礼も用意していない幼子など、身も心も食われてしまう。


こっくりさんを狐だと思ってはいけない。
あれは狐狗狸。狐か、狗か、狸か。魑魅魍魎の、ロシアンルーレット。
だから、手出しするんじゃあないよ。
そういって、母は、また裁縫仕事に手を戻した。

夏なのに、うすら寒く感じたのは、冷夏だったせいということにしておこう。

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