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【小説】同乗者の実体

 タケは見かけによらず怖がり屋だった。
 一緒に行った花火大会の帰り道で、脇から飛び出してきた猫に野太い悲鳴を上げた。つい笑ってしまった。猫だよ、と伝えると、タケは恥ずかしそうに、こういう暗い道が駄目なんだよ、と言った。
 意外に可愛いな、と思い、その一件で別れることはなかったけれど、結局お付き合いは長く続かなかった。

 そんな彼とSNSを通じて再会したのは、大学三年の夏だった。

「味は最高の店なんだけど、薄気味悪い場所にあるんだよ。しかも夜しかやってなくて、一人で行くのは怖いからさ」
「一緒に行ってほしいってこと?」
 照れ笑いを浮かべるタケを見た時、全然変わってないな、と思った。

 その店に行く約束をしたのは、秋のはじめ頃だった。

 日が暮れてから落ち合い、寂れた飲み屋街をタケと歩いた。あくまでも元カレ、友達として。
「ここなんだけどさ」
 想像以上に不気味な、五階建ての雑居ビルだった。二階と四階は空き店舗のようで真っ暗だった。
「な? 怖いだろ」
 ちゃっかり手を握ろうとしてきたので、そっぽを向いて横に半歩離れた。おまけに別の場所にしようと言ったら、さすがに悪い気がした。

 ビルの入口から先は、細長い通路が伸びていた。天井が低かった。青白い照明で薄暗く、空気が妙にひんやりした。誰もいない通路の一番奥に、古めかしいエレベーターがあった。タケが上に向かうボタンを押した。すると、唐突に後ろから――
「あの」
「うおっ!」
「ご一緒して、いいですか?」
 近づいてくる気配を全く感じなかったのに、痩せ細った生気のない男が立っていた。汚らしく伸びた長い髪で顔がよく見えなかった。タケは声を上げてのけぞったくせに、脅かすな、と言いたげに男を睨みつけた。
「ど、どうぞ」
 動揺を隠せずに答えた直後、エレベーターのドアがゆっくり開いた。タケより先に乗り込んだ。何階か訊いて、“3”のボタンを押した。後から来た男にも訊こうとすると、袖をぐいぐい引っ張られた。離れるように促された。けれど――
「何階ですか?」
 男は前髪の隙間からこちらを見た。にんまり笑った口元が、真っ暗なはずの四階を指定した。

 ドアが閉まると、上に向かう小部屋の中で、先程から感じていた異臭が強烈なものになった。服が生乾きのような匂いだった。タケは息を止めている様子で、天井の一点を見上げていた。そこには黒くて丸いでっぱりがあった。
「あれは最近ついたカメラなんですよ。私も映っていますかね?」
 なぜ映らないと思うのか――
「ええ、映っていると思いますよ」
 できる限りの優しさで答えた。無事に三階で止まった。ドアが開くと、安心感を覚える明るさが広がっていた。
 
「何あいつ。臭すぎだろ」
「ね、変な人だった」
「ああやってさ、来る客を脅かしてやがるのさ。浮浪者の悪趣味だよ」
 きっとそうだろう、と同意したけれど、実は本物―幽霊とかお化け―ではないかと密かに思った。

 店の雰囲気はさておき、料理はたしかに美味しかった。そしてお酒が入り、ひとまず楽しい気分になった。思い出話で盛り上がった。
 酔った勢いには見えなかったけれど、今すぐに復縁を迫られた。まだ友達のままでいたい、と答えを先延ばしにすると、意外そうな顔をされた。一瞬怒ったようにも見えた。
 再会したばかりであり得ない、と思った。タケからすると、だったら二人で会う誘いに乗るな、ということかもしれない。

 お手洗いに立った後、正直もう帰りたかった。まだ飲むつもりのタケにワインを勧められた。仕方なくそれを口に付けた時、視界の端であの幽霊のような男を見た。そちらを向くと、誰もいなかった。
「どうかした?」
 首を横に振ったけれど、先に一人で帰る気にならなかった。

 次第に、漂ってくる異臭を感じた。間違いなくあの男の匂いなのに、目で姿を確認できなかった。見えないだけで、すぐ側にいる気がした。
「ねえ、なんだか臭いよね?」
「え? 何も匂わないけど」
 背筋がぞっとした。意識が遠のくように眠くなってきた。寝ては駄目だと目を見開き、早く帰ろうとタケを急かした。

「なあ、大丈夫か?」
 タケに付き添われる形でエレベーターに乗り込むと、同乗してくる男の姿が正面の鏡にさっと映り、異臭が増した。閉まるドアの中にはタケと二人きりで――
 待って、と声を出せなかった。恐怖と眠気が極限に達した。
「おい、まじかよ」
 タケも異変に気付いた。“1”のボタンを押したのに上に向かい、がたっと揺れて四階で止まった。ドアは開かなかった。叩こうと、蹴ろうと、何をしても閉ざされたままだった。タケはひどく狼狽えていた。監視カメラに向かって暴言を吐いた。やがてその矛先をこちらにも向けた。
 辛うじて目を開けている状態で、何を言われているか理解できなかった。

 唐突にエレベーターが動き出して、ドアが開いたのは一階だった。二人の警察官が威圧的に待ち構えていた。
 誰が通報してくれたのだろう。
 どうやら私は、睡眠薬を酒に混ぜて飲まされた。

                         ※以上、本文2000字

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