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【俳句】南 うみを『入江のひかり』をよむ

 私は、角川『俳句』を定期購読している。収録句数が多く、俳人らの本格的な評論も毎号収録されている。また、俳人の新規発表作品も豊富で、今の俳句に触れられる点は大きな魅力だ。もちろん、他社の俳句雑誌のどれも固有の魅力がある。

 今回は、角川俳句七月号に掲載されている、俳人・南うみを氏の『入江のひかり』16作品のなかより、そのいくつかをご紹介したい。選と解釈は私個人の感想であるためご参考程度にお読みくだされば幸いである。

 鱊来る雪の鼻梁の若狭富士

 原書に注がある。鱊(いさざ)は白魚の一種で川を遡るという。福井県小浜市によると、若狭町では三月一日がいさざ漁の解禁日だそうだ。
 まだ冷たい清らかな流れを湛える若狭湾。そのなかを白魚の群れが勢いよく泳いでくる。顔を上げれば、一筋の雪の残る富士がみえる。
 雪の鼻梁とは面白い措辞だ。雪のような白い鼻筋がみえる。このときの若狭富士は女性だろうか。それとも、歌舞伎に出てくるような京風の英雄か。そして、白魚、雪。見目麗しい富士だ。

 一陣の花びら入江渡るなり

 連作だから、鱊(いさざ)の季節、つまり桜だろうか。一陣の風にのった花びらの塊は、入江を渡る。これぞ日本の画の趣だ。
 一陣の花びら”は”、入江”を”渡るなり、と助詞がふたつ省略されている。読者が助詞を補完できるから、俳句は成立する。
 ”一陣”と”なり”は強い表現である。”一陣”は長年つかいまわされた陳腐化しつつある言葉だが、最後、”なり”と断定して、作者の勇気や勢いを感じる一句である。

 水揚げや鰆のひかり床走り

 網から魚が一斉におろされる。銀色に光輝く鰆(さわら)が船上を跳ねる。
 鰆は青みのかかる銀色の爽やかな体色だ。船上には海水が弾ける。それらに光が跳ね返り美しい。”床走り”というからには、かなりの勢いで鰆が船上を跳ね回っているのだろう。
 漁師たちの威勢のいい掛け声がきこえてくるようである。

 がらがらと山崩しては栄螺選る

 大漁なのか、栄螺(さざえ)は山のように積まれている。海女数人は、がらがらとその山を崩して、選別している。船上の荒々しさとは異なる静けさだが、海女たちの会話や熟練した手捌きがいきいきとしているようだ。
 がらがらのオノマトペは平凡かもしれないが、栄螺特有の野性味を醸し出している。たとえば、二枚貝のホタテはがらがらではないだろう。やはり、俳句は揺るぎのない言葉の呼応が必要のようだ。

 水槽を溢れんばかり春鰯

 水槽を溢れるばかりに鰯(いわし)が泳いでいる。
 本句の水槽は、船のそれだろうか。収穫した魚を網から一気に落とす巨大な水槽だ。秋に美味しい、晩春から梅雨にかけて脂がのる等、鰯の旬は地域によって様々らしい。しかし、いずれにしても、春の鰯には豊かな情趣があるだろう。ぴちぴちと跳ねる水槽いっぱいの鰯がみえてくるようだ。
 ただし、水槽いっぱいの鰯は、生類全体の視点に立てば、乱獲という僅かな陰を落とす。私の学生時代、社会科の授業で、網による乱獲が問題視されている点を学んだが、いまは、しっかりと漁獲管理が徹底されており、とり尽くしてしまうことはないそうだ。海の幸に感謝しながら漁をおこなう漁師たちの心をも感じる一句である。

 まんべんに入江ひかりて花御堂

 隅々まで光の満ちる入江。そして、花御堂。
 花御堂とは、花で飾った小さな堂であるらしい。私は実際をみたことがないのだが、仏を安置していることから神聖な雰囲気がありそうだ。
 また、灌仏会(かんぶつえ)という時期に限って花を飾るわけではないかもしれないが、そのときの花々は見るものに特別な思いを起こすのだろう。

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