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【推薦図書】青山文平『三筋界隈』

 時代がどんなに変わろうと、刀を介した剣士どうしの交わりだけは、変わるものではない。剣を究めようとする気が続く限り、なにものにも侵されることはない。貧しさも、寂しさも、そこには入り込めない。

新潮文庫『春山入り』収録の『三筋界隈』より

 時は天明七年。飢饉により、江戸から米は消えた。大川に架かる橋からは、いよいよ喰えなくなった者たちが、身を投げる。門前を行けば、仏の前で救われようとした骸をいくらでも目にしなければならない。
 豪商たちは、米屋でもないのに、米を買い占める、高値で売る。そして、無策な御公辺、自己の保身ばかりを案じる武士たち。己の経歴に、飢饉の鎮圧に失敗したという汚点を記したくないがために、今こそは出張っていかねばならぬ状況でも、知らぬ顔をする。

 そんな中、主人公である元・武士の男も生きるのに必死であった。少し前までは安定した収入をもつ、新任の郡奉行こおりぶぎょうであったが、とある理由によりクビになってしまった。

 国にとって最も重要なのは、一粒でも年貢米を増やし、それを大阪や江戸に回米して銀や小判に替えることだった。あらかたの国と同じように、私の国の内証も火の車だった。
 それが、仕方のないこと、では済まないのを思い知らされたのは、五年前に国を襲った大洪水で、何十軒もの百姓家がまるで難破船のように濁流に運ばれるのを、為す術なく見ていたときだった。
 その年、新任の郡奉行となった私は、迷うことなく水に呑まれた村々の年貢を免除し、それまでの年貢の未納分も破棄した。

同書より

 いまの令和の時代において考えれば、天災による被害だから、年貢(税金)の免除は妥当である。しかし、江戸時代ではどうか。彼が政治上の「罪」をおかした点を認めなかったためにクビとなったのだ。もちろん、上司も鬼ではないので、クビにしたくないはずなのだが、これを「罪」としない限り、今後も似たような事例が起こったときに経済が破綻してしまうおそれがある。

 誰もが間違いと分かり切っていながら、誰も手を着けずにきた流れであり、どこかで断ち切らなければならなかった。
 結果、私は就いたばかりの役を解かれ、そして召し放ちになった。
 私は、己の独断を罪と認めなかった。それは、独断よりも重い罪だった。

同書より

 収入のなくなった彼は、お金を稼がねばならない。ひとつの手段として、江戸の三筋みすじに道場をひらいていた。最初は門徒も多かったが、次第に誰もいなくなった。というのも、彼の道場のあるこの三筋界隈は雨が降るだけで、床上浸水するような場所なのだ。まさかとは思うが、大雨のあとは、道場の床板を魚が跳ねている。そんな道場で好き好んで稽古をする者はいないのだ。

 また、ある時は口入れ屋から、打ちこわしから蔵を守る傭兵の仕事を請け負うこともあったが、実際は、打ちこわしを見守るだけで「傭兵」としての任務を全うすることはなかった。傭兵といえども、飢饉に苦しむ庶民側であり、打ちこわしを応援する側なのだ。しかし、お金をいただくからには、蔵を守らねばならない。いっぽうで道場の経営も浸水問題で難しい。新たな場所でひらくにも、お金がない。

 そのつらい状況のなかで、ある雨の日、道場の床板に、ひとりのやせ細った浪人風情が倒れている。刀を差しているからには武士に違いない。泥水がすでに捌けて泥の残っているような場所に倒れているのだ。

 誰かもわからないが、まだかろうじて生きている。助けないわけにはいかない。わずかな食事と睡眠によって、回復したその侍の名は、寺崎惣一郎てらさきそういちろう、梶原一刀流の仮名字をもつ腕利きの”剣術遣い”であった。

 お互いの状況を簡単に話し終え、寺崎氏は刀を見せてほしいと所望した。その刀は、よくもわるくもない、名の上がらぬものにも関わらず。

 鍔元の防から剣先の殺まで丹念に目を送り、幾度か振ってから、鞘に戻した。
 その手捌き、体捌きは、梶原一刀流の仮名字は真であろうという私の推量を確信に変えるものであり、再び、寺崎氏の太刀筋を目に刻みたいという欲が、いやが上にも滾る。

同書より

 わずかな所作から相手の力量を見切るのは、武を究めんとする者同士特有の呼吸である。今度は、寺崎氏が自分の刀を見てほしいという。

 いまさら寺崎氏が刀較べをおもしろがるはずもなく、毅然としたその佇まいに促されて、私は眼前に置かれた刀を左手に取り、鯉口を切る。
 鞘を払って本身を立てた瞬間、体の深い処が、ぞくっとした。
 とても、常秀つねひでと同じ刀とは思えない。
 まさに秋水と呼ぶに相応しい景色が、そこに広がっている。
 細身で、小さな切っ先が状さった体配と、どこまでもすっと伸びようとする細直刃の刃文は上品の極みであり、また、目を凝らしても、密に詰まった小板目模様が、飽きることなく地鉄を折り返して鍛え上げたことを伝える。その美しさにも増して、強くしなやかな一口ひとふりであることは明らかだ。

同書より

 見定めた後、寺崎氏は何を思ったのか、刀を交換してほしいというのだ。

 「人と刀の関りは、不変ではありえません。人が変わる限り、良い刀も変わる。いまの自分には、常秀こそ求める一口なのです」

同書より

 ちなみに、常秀とは、主人公のもつ刀のことである。それを名刀と交換するなど、何か奇妙である。断る理由もないが、もしかしたら恩返しのつもりなのだろうか。一応、”貸す”ということで交換した。条件は、この道場でいつか手合わせをすることである。昨日今日の出会いではあるが、剣士同士の誓いである。
 しかし、寺崎氏は一刻後にはお返しするという。わずか三十分後に返すとはどういうことか。たかが、三十分交換しただけで何があるというのか。

 「常秀のことも、お約束いたします。これより一刻後、書院番組組屋敷の裏門へお越しいただきたい。そこで、必ずお返しいたしましょう」

同書より

 書院番組組屋敷は、御当代様に近侍してお護りする番方同心の住居である。寺崎氏が飛び出していってすぐに、野次馬たちが次々と組屋敷のほうへ走ってゆく。呼び止めたひとりの話によると、痩せ浪人が組屋敷で暴れているそうなのだ。
 その痩せ浪人とは、寺崎氏に違いなく、裏門まで急いで走った。すると、ひとりの侍が転がり出てきて、それが寺崎氏であることを認めた。

 寺崎氏も私を認めて笑顔を見せ、「お待たせいたした」と言う。右手には抜刀した常秀がある。血は見えない。

同書より

 そこを離れようと寺崎氏を促すものの、この場で仕合をするという。時はない。狼藉者である寺崎氏は、同心たちにすぐに取り囲まれるからだ。

 「一撃で勝負を決する所存である。さっ、抜かれよ」
 言うが早いか、半歩、間合いを詰めた。さらに凄まじさを増した剣気が押し寄せ、私の体に火を入れる。
 そうなれば、もう止まらない。剣士は剣気で語らう。なんらためらうことなく鯉口を切り、正眼に構えた。
 瞬間、裂帛の気合いとともに、寺崎氏が大きく振りかぶって打ち込んでくる。私は無銘刀を合わせ、三筋の真っ青な空を切り裂くように鋼の叫びが響き渡る。
 重い打突に負けずに手の内を絞り、鎬で常秀を摺り落とそうとして、わずかに遅れた。
 終わりだ。
 私は瞼を閉じた。

同書より

 しかし次の瞬間、目を開くと、倒れている寺崎氏があった。
 実は、打突の瞬間、寺崎氏の振るう刀の常秀は折れ、そのまま袈裟に斬られたのだ。結果、私(主人公の男)は、狼藉者である寺崎氏に真剣勝負で「勝った」のである。

 つまり、寺崎氏の謎の行動は、恩返しだったわけである。梶原一刀流である寺崎自身が、組屋敷で暴れ、そして私に斬られることで、私の剣術を証明し、再起の機会を与えたのだ。実際にその後、御召出しがあり、武士の身分に復帰したのである。寺崎氏は、そのシナリオを実現するために、わざと折れる可能性の高い常秀と自分の名刀とを交換したのだ。

 恩返しとして、自らの命と引き換えに、功名を与えたというわけである。

 本物語『三筋界隈』は、新潮文庫『春山入り』に収録されている短編である。ご興味あるかたは、ぜひご一読を。

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