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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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#短歌

【随筆】令和四年・宮中歌会始の鑑賞

 歌会始は毎年、新年一月におこなわれる宮中行事である。宮内庁の資料によれば、歌会始の起源は明らかではないそうだが、題詠に沿って詠みあう歌会自体は、奈良時代、万葉集の頃からおこなわれていたと考えられている。  歌会始では、皇族のみならず一般の方々も歌を詠進する。詠進とは、自身の歌を宮中へ贈ることである。私自身は詠進した経験はないのだが、毎年、どのような歌が発表されるのか楽しみにしている。今年も美しい歌ばかりであった。今年の題詠は「窓」である。歌のなかに「窓」の一語をいれるのが

【短歌】近代名歌五選とその解釈

 いつも俳句ばかりを紹介している私だが、今回は、短歌を五首紹介したい。小学校や中学校で習う紀貫之や柿本人麻呂といった古典ではなく、現代的な短歌である。  五七五七七の短歌は、五七五の俳句とはまた違った魅力をもつ。十四音(七七)増えたことで、ものだけに託しがちな俳句とは異なり、こころを述べてゆく魅力が大きい。ただし、それは短詩型文学のわずかな面しか言い得ていないため、また別の機会にご紹介できればと思う。したがって、今回は、難しい論ではなく、短歌のみと純粋に向かい合って、その魅力

【随筆】花の候に

 若草賑わう春の日、川岸の高みにずらりと咲き誇るのは桜である。その淡き花弁は、青い空や白い雲と協調し、小鳥たちのさえずりを迎え入れる。  水量が増し、狭くなりつつある岸辺には菜の花が一面に広がっている。その頭を春風がやわらかくなで、小さな蝶々が舞い、水はやさしい光をおびて、鯉の大きな影をゆるりと動かす。  白鷺は音もなく岸におり立ち、水面に近づいてみれば、小さな目高の一団が頭の向きをいっせいにかえながら、あっちやこっちやと泳いでいる。  向こう岸の岩の上でじっと甲羅を陽にむ

【短歌・俳句】梅見月によむ

 山梨県は葡萄や桃の産地だ。春を実感する日の多くなる最近では、桃や桜に先んじて、梅の花が満開である。桃や桜はまだ蕾、葡萄はまだ冬眠といわんばかりに、沈黙している。  探梅は冬の季語であり、梅見は春の季語であり、そして梅見月とは陰暦二月の異称である。  泣き叫ぶ赤子を乳母車にのせて散歩へ出かけると、梅の花の咲く辺りで泣き止む。寝たのかと思って母衣(ほろ)を覗き込むと、どうやら梅の花を見ているようである。まだ生後九ヶ月だから、確かな意思をもって眺めているわけではないかもしれな

【短歌】誠の言の葉と詩情

詩を論ずるは神を論ずるに等しく危険である。持論はみんなドグマである。(西脇順三郎著『超現実主義持論』より) 事件的真実と「詩」とは本来別次元のものである。「詩」はいつでも純粋に、個々の要素に従って真実でなくてはならない。 (秋葉四郎著『完本 歌人佐藤佐太郎』より)  本稿は、歌人の佐藤佐太郎氏に師事した文学博士・歌人、秋葉四郎氏の論考(戦時下の光と影―第三歌集『しろたへ』論)をもとに、短歌を一流から二流、三流へと落としてしまう一要因を私なりに述べたものである。秋葉四郎氏の

【随筆】米津玄師の歌にみる短詩型文学

 歌は旋律のみにより評価されないだろう。作者からも、映像からも独立した純然たる言の葉として相対したとき、秘められた言霊が真に立ち上がってくるのである。  本稿は米津玄師氏の歌を主に俳句の視点で、私個人の感想を述べたものである。ウェブ上では既に、歌の解釈を巡り多くの評論が発表されている。それらの解釈の上書きにならないよう、一俳人が前提知識なく歌詞(テクスト)と相対したときの気付きを述べ、新たな議論の端緒となれば幸いである。また、米津玄師氏及びその関係者へ最大限の敬意を表して執

【随筆】回天・水中特攻隊―最期の言葉

 テーブルの上に作りかけの折鶴がひとつ置かれていた。おそらく妻だろう。私は鶴を完成させ、その純白の羽を精一杯広げてみた。頭と尾は凛と立ち、今にも羽ばたくのではないかと思えた。その時、蝉しぐれをかき消すかのように、町内放送がはじまった。上気していた私の身体は、徐々に鎮まり、窓からのわずかな涼気に目を閉じた。  八月六日の朝である。「黙祷」の響きはその背負う歴史の分だけ重い。原爆により多くの人が一瞬にして消え、後遺症に何十年も苦しむ人がいる。  かつてトルーマン大統領は両国の犠牲

短歌による旅路の目的地

 旅という経験は、身体が目的地へ行くことのみを意味しないと私は考えている。私個人の告白で恐縮ではあるが、幼少期より乗り物が苦手であり、必然的に旅も苦手である。三半規管の機能が未熟であるのか、精神の弱さなのか思い当たる節は多くある。しかし、私は不幸とは感じていない。なぜならば、言葉により世界を旅することができるからである。世界どころか宇宙も―異世界すらも可能である。光ですら到達しえない宇宙の遥か彼方でさえも、言葉は私を「運ぶ」のである。けだし、目的地を「思い出す」という表現が適

短歌研究社「短歌研究」四月号の鑑賞

 一般的に短歌といえば万葉集や古今和歌集等の古典を思い浮かべるだろうか。最近のことはわからないが、私の時代の教科書では、短歌といえば紀貫之や柿本人麻呂らの歌が紹介されていた。文法学習のみならず、古式ゆかしい表現に感銘を受けたことをよく覚えている。  しかし、短歌に興味のない方々は、まず文法で躓き、さらに読解できたところで現代との「差」に共感できず、何が面白いのか、と感じるのかもしれない。世に遺る古典は、現代にも十分に通用する普遍性を備えているのだが、対象となる景や洞察は、現

歌人・宮柊二の短歌にみる反戦の祈り

「文学は先祖への魂鎮めであり、供養である。」 (折口信夫「古代研究」より)  歌人・宮柊二氏は、大正元年、新潟県北魚沼の地に長男として生まれる。家業は本屋である。師系は北原白秋氏であり、最終的に折口信夫(釈迢空)氏に私淑する。歌集「日本挽歌」は折口信夫氏の命名である。 短歌とは、日常のなかの気付きを詠むことが多い。我々にとって日常とは仕事や家事等、いわゆる平和的日常である。その日常のなかに、戦争という悲惨な体験のある人々がいる。そのひとりが宮柊二氏である。  昭和十四年、二