短歌による旅路の目的地
旅という経験は、身体が目的地へ行くことのみを意味しないと私は考えている。私個人の告白で恐縮ではあるが、幼少期より乗り物が苦手であり、必然的に旅も苦手である。三半規管の機能が未熟であるのか、精神の弱さなのか思い当たる節は多くある。しかし、私は不幸とは感じていない。なぜならば、言葉により世界を旅することができるからである。世界どころか宇宙も―異世界すらも可能である。光ですら到達しえない宇宙の遥か彼方でさえも、言葉は私を「運ぶ」のである。けだし、目的地を「思い出す」という表現が適