「私とは何か?」新たな自己発見へ(4)~ADHDが長所になるまで【第二章】
第一章の「私」というストーリーから始まり今回が最終回!
「私」を知っていく過程は、人生というパズルのピースを一つ一つ、試行錯誤しながら当てはめていく、長い長いものでした。ではなく、今も途中なので、「長いものです。」が正解ですね。
けれどもそれは、本当に欲しくてたまらなかったものを教えてくれるものでもありました。
知的好奇心「も」満たされる
奇跡講座は心の平安も与えてくれますが、私の知的欲求を完璧に満たしてくれるものでした。
「私」が生まれてきた理由も
宇宙の成り立ちも
ニューエイジ系のスピリチュアルの違和感も
輪廻転生や死後の世界も
思考が現実化するということの本当の意味も
ずっとずっと知りたかった形而上学的な疑問に、奇跡講座は全部全部、ぜ~~~んぶ完璧に答えてくれました。
とても楽しい趣味のように、それらを勉強していました。
疑問があっても「それは今は私にはわからないだけで、いつかわかるときが来るだろう」そうやって楽しむことができています。
「私、こういうことがしたかったんだ!」
そうこうしていると、ある日、全くあずかり知らぬところから、動画作りのアイデアが湧き出てきました。
あまりにも自分の考えではないそのアイデアに驚き、思わず頭を上げて天井を見上げてしまいました。
「これは聖霊のアイデアか?それとも自我か?、、、よくわからない、、、。どうやって作っていいのかもわからないわけで、、、、う~ん、、、でも、、、でも、、、楽しそう!やってみたい!」そんな思いに駆られながら「私にそんなウキウキする心なんてあったんだ、、、」という自分に驚いていました。
illustratorは維持費がかかる、、、なら、無料のInkscape(どちらもイラスト編集ソフト)にする?、、、でも私にできるのか?ちょっと面倒くさい、、、そんな思いに足を引っ張られながらも、創作することの楽しさを味わっていると
「私、こういうことがしたかったんだ!」
という思いが、ふと湧き出てきます。
最後に
「ADHDの人は豊かな創造性を持つ」なんてことは、私には当てはまるわけがないと思っていましたが、この「創作することの楽しさ」は、私の人生全般の質をかなりあげてくれました。
奇跡講座では「私の人生」は幻想そのものであるけれども、それを理解しながらも楽しめるものがある喜びはやはり嬉しいものです。
他にもやってみたいアイデアがあり、実現するかどうかは関係なく、心躍ります。
最近では動画にコメントも頂けるようになり、それは楽しさこの上ないのです!
赦しの実践に行き詰ったり(←これが本当に大きい(◞‸◟))仕事が忙しかったりで動画づくりが捗らないもどかしさもありますし、これがどうなるかもわかりませんが、育んでいきたいなと思っています。
次からは作ってきた動画と純粋な非二元を交えて文章を創作する、という楽しみをnoteで表現出来たらなと感じています。
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