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【感想文】 映画 『Perfect Days』

映画『Perfect Days』を、渋谷松濤の東急百貨店本店から宮下にある東映跡地に移転してきたBunkamuraCinemaで観てきた。

渋谷区が設置している公衆トイレ掃除を仕事としている老人の日々の暮らしがドキュメンタリータッチで描かれている。トイレ掃除といえば、こと日本国内では宗教的な行為として捉えられる面があり、監督のインタビューでもそのあたりは意識していたと語られている。

肝心の映画の内容だが、主演を務める役所広司の安定の演技力とベンダース監督が切り取る浅草(観光地化した下町。時間が止まっている)と渋谷(再開発が進む山の手。時流の先端を進もうとしている)のコントラストによって、特に派手なストーリー展開なしでも楽しめる作りになっている。

特に気になったところは、渋谷区が主導している公衆トイレのアート作品化プロジェクトによって生まれた作品にも関わらず、「いくらオシャレなトイレを作っても、それを使う人たちの営みは変わらないし、排泄というプリミティブナ行為をなす場所では人の行動も不断の生活では抑えている悪意が剥き出しになる」ことを身も蓋もないほど映像に焼き付けているところ。

また、やたらとアーティストっぽい動きを伴って神出鬼没に現れるホームレスと思しき爺さん。これは、公衆トイレが設置されているような公共空間からホームレスが追い出され、社会から不可視化されている現状を表現したのだろうと解釈している。

作品内では具体的に触れられることない役所広司扮する平山の過去に個々の観客が思いを馳せることで、余韻を感じさせる設えになっている。私は役所広司が数年前に主演した『素晴らしき世界』を連想していまい、過去に犯罪を起こして社会の周縁へと追いやられてしまったのかな? と想像した。監督が作った設定は別にあるのだが、その通りに解釈する必要もない。

人は絶望した時に空を見上げる。平山は毎朝、そして休憩時間にも空を見上げる。過去の挫折によって時間が止まってしまった彼は、自分の人生の輝かしかった時代のガジェットにこだわりながら、日々ルーティン通りの生活を続ける。しかし過去も未来も自己の内面から消し去ってしまったのにも関わらず、それでも毎日同じ木から差す木漏れ日をフィルムに収め、微妙な変化を意識し続ける。

日々の暮らしの中で、些細な変化に気づきそれを楽しむ。ささやかな生活だが、かけがえのないものだろう。それでもラストシーンで彼は涙を流す。それは過去の悔恨に由来するものか? それとも失った未来への憧憬なのか?私には、平山の姿が僧侶というよりも囚人のように見えてしまうのだ。

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