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異端の中でこそ際立つ、渡辺麻友という『正統』

突然ですが、アイドルの話をしてもいいですか?

もちろん「嫌だ」といわれても話し続けるのだが、ここで私が話したいのは、つい先日突然引退してしまった渡辺麻友についてのことである。

あらためて説明するまでもないと思うが、AKB48は選抜総選挙の開催や、東日本大震災の被災地訪問など、アイドルの枠を超え社会現象化したグループであり、テン年代の大衆文化を象徴する存在である。2005年の年の瀬に、秋葉原のドン・キホーテ最上階に常設の専用劇場をオープンさせたAKB48。オリジナルの劇場公演やCDを購入すると参加できる握手会を開催するなど、『会いに行けるアイドル』として一世を風靡することになり、地下アイドルの先駆者となった。

そんなAKB48が、いわゆるアイドルオタクの層を超えて世間一般の注目を集めたのは、『どこからどう見てもアイドルには見えない』メンバーたちの存在がきっかけである。スレンダーでまるでモデルのような佇まいの篠田麻里子、ギャルにしか見えない板野友美など『従来のアイドルらしさ』からはみ出した個性豊かなメンバーたちが、CMなどに起用されることによって世の中の関心を集め、新規ファン獲得の回路となったのだ。
彼女たちをはじめとして多様な出自と将来の夢をもった個性豊かな面々が数十名、一つの旗の下で時にはぶつかり合いながらも切磋琢磨し、それぞれの夢を叶えるために突き進んでいく。運営が仕掛けてくる試練やら無理難題やらをくぐり抜けながら。それがAKB48を社会現象たらしめる、独自の魅力であった。

このような環境下で繰り広げられる群像劇の中で、メンバーの一人ひとりが自分のポジションを確立するためには、他のメンバーと被ることのない独自のキャラ付けが必要になる。昭和の少年マンガでいうところの『ノッポ』とか『ハカセ』とか『メガネ』とかいうアレである。この状況を放置しておいたらキャラ設定のインフレ化を招くのが目に見えている。AKBの歴史を紐解くと実際そうなっている。しかし、意外性を狙ったり気をてらったりすることなく、ただ一人だけ逆張りをしたメンバーがいた。そのメンバーは、渡辺麻友である。

『まゆゆ』こと渡辺麻友、彼女はアイドルらしくないことをアイデンティティとしたAKB48の中で、逆説的に『アイドル』を演じることによって存在感を確立したのだ。
しかもおそらく、それは彼女自身の強い意志によってなされたのではないか? という問題提起が本稿のテーマである。


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話は変わるが、本題に触れる前にここで日本のアイドル史を簡単に振り返りたい。
アイドルといえば、日本が戦後復興から高度成長期を経て先進国の一員にと成り上がった70年代初頭に生まれた存在である。当時はまだ外国だった沖縄からやって来たエキゾチックな少女やら、TVドラマで描かれた親しみやすい隣人の少女やら、オーディション番組から一躍スターダムに駆け上がった数多くの『普通の女の子』やら。時を同じくして各家庭に普及していったカラーテレビのブラウン管の向こうから、手を伸ばせば触れられるかのような等身大の少女たちが、世界のトップランナーに躍り出た日本人たちを慰撫するアイコンとして現れた。あたかも日常と非日常の間の中間的な存在のごとく。

70年代を代表するアイドルであった山口百恵は、80年代の到来と同時に二十歳そこそこで結婚し専業主婦となる道を選び、引退した。当時社会的に規定された価値観では、女性の幸せは『お嫁さん』になることとされていた。白馬に乗った王子様を待ち続けるお姫様、といったモチーフが当時のアイドルソングには数多く出現していた。
山口百恵の引退と同年にデビューし、彼女と入れ替わるかたちでトップアイドルになった松田聖子は、『ぶりっ子』キャラを確立し攻撃的なまでの過剰な媚びを武器とした。一方で『ツッパリ』キャラを百恵から踏襲した中森明菜も頭角を現した。当時の日本は敗戦時に立てた目標を達成してしまっており、その先の道標を失っていた。衣食足りて、その先の未来を描くことが困難な時代。その歪みは教育現場から顕在化した。校内暴力といじめが社会問題となった。子供たちはツッパって環境に反抗するか、ぶりっ子となり環境に過剰に迎合するか、二極化した。

そんな状況下、新たな道標として『女性の社会進出』というテーマが現れた。男女雇用機会均等法が1985年に成立し翌年に施行された。反動保守的なキャラであった松田聖子はこの年にまさかの電撃結婚をした。しかし家庭にはとどまらずに、後に出産を経て『ママドル』として活動を再開することになる。
さて、中心を失ったアイドル界。ライバルとして対になる存在だった中森明菜はアイドルから『歌姫』へと方向性を変え、この年と翌年の日本レコード大賞を連覇した。
一方、常に世界に対して受け身の存在であったアイドルというジャンルはアイデンティティクライシスに陥り、ジャンル全体が存亡の危機を迎えることとなった。

『軽薄短小』を是とする80年代、これを象徴するメディアであったフジテレビが、松田聖子の結婚と同年に放送を開始した夕方の帯番組があった。その名は『夕焼けニャンニャン』。
番組のアシスタントであるごく普通の女子高生たちの課外活動的なユニットが『おニャン子クラブ』と名付けられた。彼女たちは当時戦場と化していた教室の中で『ツッパリ』にも『ぶりっ子』にもならずに日常をやり過ごしている、バランス感覚にとても秀でた『フツー』の少女たちだった。彼女たちのように、二極化した価値観のどちらにも所属せずノンポリを表明することが、この時代を生きていく上でラディカルな選択だったのだ。

その後、おニャン子クラブはグループ本体だけではなく各種ユニットやソロ活動によるシングル曲リリースがほぼ毎週行われて、オリコンのシングルチャートをハックした。そして、メインの作詞家としてこのプロジェクトに関わっていたのは、後にAKB48を立ち上げる秋元康。昭和も残り僅かとなったこの時期、『普通の女の子っぽさ』を売りにしていたアイドル業界に『本物の普通の女の子』が進出して来たわけである。おニャン子クラブというポピュリズムによって『アイドル』というジャンルが死を迎えてしまった。
時を同じくして、松田聖子の所属事務所が後継者として送り出した岡田有希子が、自らその若い命を散らしている。失恋が原因だと憶測を生んでいたが、何によって彼女が絶望してしまったのか、今となっては誰にも知る由はない。奇しくも、彼女はこの数年前に打ち切られたオーディション番組『スター誕生』最終回のチャンピオンであった。

しかし、この話には続きがある。出産しママとなった松田聖子が1987年に本格復帰を果たすとおニャン子クラブはその勢いを失い、その年の夏休みの終わりに解散してしまったのだ。一方、結婚し母となってもなお第一線で社会人として仕事を続け、さらに海外進出まで企てる彼女の姿は、同時代を生きる女性たちの圧倒的な支持を受けた。そして松田聖子のライバルであり、彼女の不在時にこの世の春を謳歌した中森明菜は、1989年(平成元年)に交際していた男性宅で自殺未遂を起こしてしまう。彼女は憧れの山口百恵のように結婚して専業主婦になるのが夢だったのだが。


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えーと、このままアイドル史を語っているとそれだけで10,000字を軽く超えてしまいそうなので、断腸の思いではあるがここで閑話休題とする。

私が何を言いたいかというと、渡辺麻友は王道アイドルだと評されてはいるが、いわゆる古典的なスタイルのアイドルではない、ということだ。
時代の変化によって、昭和的な価値観である『白馬に乗った王子様を待つお姫様』というモチーフはもはや成り立たない。法律の後押しもあり、この35年間女性の社会進出は緩やかな歩みではあるが、不可逆的に進んでいる。現場では様々な軋轢や問題が生じながらも。女性たちは少ない装備で、偏見の壁にぶつかりながらも社会と戦っている。

渡辺麻友が子供の頃に愛したのは『プリキュア』シリーズであり、長じてからも『炎神戦隊ゴーオンジャー』といった特撮ヒーローものや、宝塚歌劇団で活躍する女性たちを偏愛した。彼女の好きなモノに対するスタンスを言い換えると、80年代に発祥し平成の30年を掛けて熟成され、今や日本を代表する文化として世界に影響を与え続けている、『kawaii』そのものではないだろうか?

「カワイイ」の定義は、「自分だけの小宇宙を作ること」だと考えていて。つまり、誰にも邪魔されない、本当に「カワイイ」と思うものを、自分の中に持つことで、自らを解放できて、自由になれるというか。
大人になったらこうしないと、とか、幸せな家庭はこうあるべきだ、とか、凝り固まった既成の概念を全部フラットにして、自分だけの信念を持つことによって、幸せな人生になるというのが「カワイイ」の一つの答えなのではないかと。

渡辺麻友は、幼い頃から人一倍聡明かつ繊細で、それ故に社会と折り合いをつけるのが苦手な女の子だった。友達もほとんど作らずに、好きなアニメやアイドルに耽溺していた。そんな彼女にとっては、自分自身が拾い集めた『kawaii』を身に纏って、自己の内面で確立した『アイドル』を演じることこそが自己実現であり、自己の解放だったのではないだろうか? それがたとえ周囲から「まゆゆはCGで出来ている」と一抹の敬意を含めた揶揄を浴びることになったとしても。

とっ散らかってしまったが、ここまでをまとめよう。渡辺麻友の魅力であり、AKB48という組織の中ででの存在意義にもなっていた要素とは、『kawaii』をベースとして現代的にアップデートされた『アイドル』というキャラ付けと、それを全うする執念である。

渡辺麻友のそんな存在意義がAKB48というグループの中で大きく作用した出来事がある。2014年6月に行われた『AKB48 37thシングル 選抜総選挙』。このイベントである。
選抜総選挙の投票期間中である5月24日に事件は起こった。岩手県内で開催されていた握手会の会場内でメンバーである川栄と入山が暴漢に襲われ、重傷を負った。一時は選抜総選挙の開催すら危ぶまれた。この機に乗じて、AKB48の握手会商法を批判するような記事も散見された。AKB48は存続できるのだろうか? メンバーも不安だっただろうが、我々ファンの心労も計り知れないものがあった。

結果として選抜総選挙の開票は行われ、速報では指原莉乃に負けていた渡辺麻友が、見事に逆転して一位の座を獲得した。当時を思い返して今でも鳥肌が立つ光景がある。1位発表の際の、会場全体を揺るがす大まゆゆコールだ。
不幸なアクシデントによってグループの存続が怪しくなる。しかもこちらは被害者なのにも関わらず。そんな状況下で、ファン一人ひとりが強い願いを込めて投票した(または応援した)メンバーは、『アイドル』であることに誰よりも自覚的で、『アイドル』として振る舞っていた渡辺麻友だった。

握手会や被災地訪問では子どもたちにとても親切に接し、オタクを釣ろうとするような行動は一切ない。SNSにはほとんど手を付けず、プライベートは非公開を貫く。一方で好きなアニメや宝塚、あと唐揚げに対しての愛情は惜しみない。 人間関係よりもモノに対して興味があり、誰にも邪魔しさせない自分だけの『kawaii』を纏ってまゆゆというアイドルを演じる。アイドルの由来は偶像であるが、まさに渡辺麻友は『アイドル』を象徴する存在として、救いを求めるオタクたちの前に現れたのだ。ここまで書いて思い出したが、私も確かにこの年はまゆゆに一票を投じたのだ。「神様、ここでAKB48を終わらせないでください」と強く願いながら。

そして渡辺麻友は栄えある一位としてのスピーチで、「AKB48は私が護ります。」と、胸を張りまっすぐな視線を携えながら発言した。この瞬間、少なくともAKB48を応援している者にとって彼女の存在は、キャラとしての『アイドル』から実存としてのアイドルに変貌したのだ。
アイドルらしくないということを売りにして社会現象化したAKB48。その存続の危機に際して、手を差し伸べグループを救ったのは紛れもなく、アイドルである渡辺麻友だったのだ。この一件によって渡辺麻友の存在はより神格化されることとなった。

また、こんなこともあった。大組閣という、グループ全体のメンバーをシャッフルするようなイベントがあった。この場でサプライズとして、乃木坂46のセンターを初期からしばらく務めていた生駒里奈が、交換留学生としてAKB48に期間限定で入ることになった。彼女は乃木坂のオタ達からは「運営のゴリ押し」などとやっかみが9割くらい混ざった誹謗中傷を浴びていた。そこで環境を変えて事態を鎮静化しようという運営の思惑もあったのだろう。
そんな針のむしろ状態であっただろう生駒に対して、大組閣の場で渡辺麻友が掛けた言葉は「私が絶対に護るからね」だった。守護神としてのまゆゆ、その本領が発揮された発言であった。この一言によって、生駒里奈がAKB48に在籍している間、AKB48オタからの彼女の対する誹謗中傷的なものは、ほとんど見受けられなかった。

こういった渡辺麻友のスタンスへの理解者は、いわゆるオタクたち以外にも、かなりのボリュームで存在した。それは、『まゆゆに憧れてアイドルを志すようになった』数多くの少女たちであった。
まゆゆに憧れた少女たちはAKBグループはもちろんのこと、公式ライバルと称された乃木坂46や、他の地下アイドルたちも含めると枚挙にいとまがないほど多方面で、アイドルとして活動するようになった。その誰もが、渡辺麻友に憧れてアイドルになったのだと、隠すことなく胸を張って公言した。
きょうびドルオタといえば中高年の男性が中心であると思われれがちではあるが、まゆゆに関してはそれだけではなく、小中学生の女子人気が突出していたのである。過去のアイドルに例えるなら、まるで70年代後半に一世を風靡せたピンク・レディーのように。

まゆゆが果たしたアイドル界への人材流入の回路としての功績は、少なくともテン年代の地下アイドルブームを牽引してた原動力の、大きな要因になっていただろうと思う。しかしその一方で、メタ的に『アイドル』っぽいアイドルを再生産したり、「目標はアイドルになることです」というような人材の均一化を招き、アイドルブームが終焉するきっかけの一つになってしまった面もあるのだが。

ともあれ、渡辺麻友こそが現代的なアイドルの象徴であることには異論はないだろう。そしてそれ故に、彼女からAKB48という環境を奪ってしまうと彼女のアイデンティティは保たれなくなってしまうのだ。
彼女は歌も演技もそつなくこなすタイプで、このままキャリアを積んでいけばミュージカル女優としての確固たる地位も約束されていたのだと思う。それでも、約束された将来を投げ打って、引退を選んだ選択は間違ってはいないと私は確信する。なぜなら、彼女には『アイドル』であること以外に芸能界に籍を置くモチベーションはひとつもないからである。

渡辺麻友がこの先に進むべき道標を見失い、挙句に自らの命を散らすようなことが起こらずに済んで、心底胸を撫で下ろしている。なぜなら私は常日頃から彼女の佇まいに、往時の岡田有希子と似た印象を抱いていたのだ。


この先の渡辺麻友の人生に幸多からんことを祈って、本稿の結びとしよう。

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