見出し画像

【読書メモ】 『オッス!食国』 小倉 ヒラク

序章

 ・「食国」とは日本そのものを指す言葉だった。天皇の仕事は田畑を司り食物を生成させること。秋に食物を調理した神饌を神に捧げることが大事なまつり(祭/政)ごとで、「国をお(食/治)す」ことだ。
 ・折口信夫の言う「食国」には、生物的な行為・社会的な行為という「個のレイヤー」の外に神や怪物・祖先や死者たちが溶けた境界に入り込む「第三のレイヤー」があるのではないか?
 ・日本列島に生きる民は食を通して神を自分の中に招き入れる。主導権は神にある。食を通して民は個でありながら神のクローンでもある、という構造をつくる仕組みが神饌である。
 ・2つの源流、外国からもたらされた洗練と、ローカルに続いてきた土着性がせめぎ合って日本の食文化が発展してきた。このせめぎ合いは「トレンドと伝統」「グローバルとローカル」「仏教と神道」と言い換えられる。

第一章:米と麹

 ・古代から天皇は現人神であると同時に「田をつくる人」であった。麦作よりも各段に生産性の高い稲作を主とするアジアの地域は、限られた土地で多くの人口を養えるがゆえに、寛容で富の偏りの少ない、農村を基本とした分散型の社会が生まれていった。
 ・天皇が米を育て、民が米を食べ続ければ神は死なず、国は永続する。民と米と神は三位一体なのである。これが「食国」が日本に根付いたカラクリである。
 ・神饌に使われる食材の上位3つは「米」だ。酒は米麹と飯米と水を混ぜてアルコール発酵させたもの、餅は蒸した糯米をついたもの。神に捧げる食事を「贄」と言う。本来的には「食べやすく調理したもの」だ。生のまま奉るのは「生贄」と言う。
 ・米には粳米と糯米の2種類があり、調理法は「煮る」「蒸す」方法が基本である。かた蒸しによって米にコウジカビが繁殖し麹となる。ここで米と菌が結びついて、技術的シンギュラリティがあらわれた。  

第二章:塩と醤油

 ・イザナミ・イザナギが混とんとした大地の沼をかき混ぜると、矛からしたたった雫が固まって「おのころ(自ら凝まる)島」となった。日本の原始的な製塩法も、このように「潮をかき混ぜて凝固させる」。
 ・海中に豊富に存在しているナトリウムを媒介に「運動」という機能をゲットした動物は、地上にあがった後もナトリウムを摂取しないといけない。肉食によって手っ取り早く摂取できるが、家畜にも十分にナトリウムを摂取しなければならない。
 ・殺生を禁止した精進料理が普及するにつれ、高濃度の塩分が抽出された醤油(的なもの)の需要が高まってきた。醤油の登場で発達した食材は、豆腐と麺類だ。
 ・鎌倉時代以降に生み出された「揚浜式塩田」法により生産効率が飛躍的に向上し、産業として成立するようになった。塩の価格が下がったことで、より付加価値の高い醤油という商品がつくられるようになる。水運を活用して江戸に運ばれ、寿司などの外食で活用された。

第三章:味噌

 ・近世以降に確立したマス文化である醤油に対して、古代から日本の食文化にローカルに根付いていったクラフト文化が味噌だ。中国から来た「大豆の塩辛」のような醬が豆味噌(八丁味噌)に変化し、13世紀頃には北に「豆の麹」・南に「穀物の麹」で味噌づくりをする文化が発展した。
 ・戦国時代には、味噌が国民食として裾野を広げた。山梨では米と麦の二毛作で米麹と麦麹を使った合わせ味噌をあみだした。このように南北に長く山あり谷ありの日本列島で、土地ごとの気候風土に合わせて様々なバリエーションの味噌に変化していった。

第四章:だし

 ・豊臣・徳川の天下統一で開運が再編成され、松前船で北海道から敦賀まで昆布を運び、そこから陸路で京都に届くようになった。蔵で長年にわたり熟成させた昆布は、臭みが抜け品がよくなっていく。
 ・洋食の「長く食材を煮込む」味の決め方に対し、和食では昆布や鰹節など事前に手間をかけて日持ちするようにしておいた食材をお湯にさっと浸して、スピーディにだしを取って味のベースとしてしまう。

第五章:お茶と懐石

 ・中国の世界戦略と禅宗の導入により、日本で本格的な茶の歴史が始まった。やがて武士の自己鍛錬の場として日本的な「茶の湯」の文化が生まれる。千利休により茶の湯のすべてのスタイルが「わび」という思想にもとづき、空腹をしのぐための質素で温かい料理でもてなす「懐石」の引き算の美学が生まれた。
 ・茶葉には ①熱や乾燥・摩擦などの物理的な作用を加える ②茶葉自身に含まれる酸化酵素などの酵素作用を加える ③カビや乳酸菌など、微生物の発酵作用を加える といった加工を行う。緑地は①。本来②は発酵には当てはまらないが、お茶の領域では③とともに②も「発酵茶」のカテゴリーに入る。日本でも地方にひっそりと③の文化があり、カジュアルな茶会が開かれている。

第六章:おすし

 ・江戸時代まではおすしは漬けるものだった。おすしとは魚の漬物。小魚などを大量の塩に漬け込み魚自体の酵素作用でドロドロに溶かし、その上澄みを調味料として使う。残ったドロドロの部分を甕で発酵させて、ペースト調味料する。
 ・しょっぱい塩辛から酸っぱいなれずしに移行した瞬間に「すし=酸っぱし」の文化が生まれた。その後、塩分が少なく発酵期間も短い、保存性が低い代わりにう味や甘味が強い「いずし(飯寿司)」が生まれた。

第七章:粟・豆・麦・芋

 ・五穀とは「米・麦・粟・豆・キビ」。日本でも神話時代の黎明期は五穀並列で、平野が多く湿潤な近畿へと中央集権が進むうちに稲に統一されていったのだろう。大麦は米の代替品として消費され、小麦は冷涼で乾燥した山間地で栽培された。大豆は肉食代わりの貴重なタンパク質として重宝され、小豆はご飯に混ぜたり餡にして食べられた
 ・稲カルチャーの「父系的・漁撈民的文化」とは異なる系譜の、「母系的・狩猟民的」性質を持つ芋カルチャーが温暖な西南部に存在し、芋と獣肉を主食としていた。日本正史には残っていないウラの食国。芋から見ると日本の食は違った様相で見えてくる。

第八章:獣と鯨

 ・675年に天武天皇が肉食禁止令を出す。この時点では家畜と人間に近い猿だけ、夏~秋の期間のみに限定された。その後、仏教の伝来だけではなく稲作への集中を促す朝廷の戦略によって「草食の民」へと作り変えられた。室町後期になると四足獣が食べられなくなっていくが、兎や鹿・猪は田畑を荒らすので獣害対策も兼ねて食べられていた。
 ・流動的な存在である「非常民」は肉食を続けていく。皇族の鷹狩り世話をする餌取は肉を鷹や猟犬の餌にしたり、皮を加工していたが、後々には周縁に住み皮の加工や肉食をする者全般を指すようになった。また、江戸時代以降には捕鯨が巨大産業となり、地域に巨大な富をもたらした。食用にも用いられたが、第一に「工業資源」として重宝された。

終章

 ・究極の神饌として、まず受け入れやすいものとして「水」がある。水は喉の渇きを潤し、良い食材を生み出し、その食材を美味しく長持ちさせるための「全ての美味しさの源泉」なのだ。反対に受け入れがたいものとして「人の生き血」がある。人が神となるために生き血と身体を捧げる「生贄」だ。人間もまた神饌として神に戻すのだ。
 ・仏教の影響により外の「方法論」と中の「素材」がフュージョンされ、発酵などの「食の神仏習合」が生み出された。しかし開国による神仏分離により神饌から仏教由来の「百味の飲食」の要素が薄れていく。
 ・標準化の波に飲み込まれず、ローカリティを捨てなかった神仏習合、あるいはそれ以前の記憶を宿した存在に希望があるのかもしれない。和食が持つ「再現された伝統」を突き抜け、セオリーから外れた発酵食を重用して不便な地に店を構える人が増えている。環境を変えることで、自分で選ぶのではなく食材に、その土地に自分が「選ばれる」。制限だらけの環境に適応しようともがくうちに、結果的に個性が現れる。これはこの列島で先人たちが辿ってきた苦難の再現だ。」
 ・世界が肉食から草食に向かっていく現代、日本の食の経験と技術は他の文化圏から興味深く受け入れられている。食いしん坊な日本の民の次なるミッションは、食国を世界に広げていくことだ。「食べる」が元気になると、土も水も人も菌も生き生きと輝きだす。

いただいたサポートは旅先で散財する資金にします👟 私の血になり肉になり記事にも反映されることでしょう😃