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西の果てを走り、鯵を食べつくす九州旅 " 旅先で『日常』を走る ~spin-off⑳~ "


2023年11月8日。午後3時。

私は高速バスと新幹線・在来線特急を乗り継いで、長崎県の佐世保駅にたどり着いた。

今日と明日は、地方出張の合間にできた休日なのだ。

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今回の出張、最初の目的地は熊本県五木村。最近、ついに人口が1,000人を切ってしまったという、九州で最も人口が少ない自治体である。

この村で生まれ育ち、進学で五木を離れたが社会人として東京で3年勤務した後にUターンして、村の活性化に尽力しているTさんという方がいる。彼女の招きで、というか「一度現地を見てみないとなにもわからないですね」みたいな話をしたところ、快く視察を受け入れていただけることになったのだ。

彼女の会社が経営するカフェの2階に泊めてもらい、村の秋祭りに行ったり、高さ60m以上のバンジージャンプに挑む人たちを遠巻きに眺めたり、村営の温泉施設で汗を流したりした。

また、村内でお茶を栽培している方にお話しを伺ったり、原木椎茸の採取体験もさせていただいた。

ここまで読んで「遊びに行っただけじゃないか!」と憤慨される諸兄もおられるかもしれないが、地域の催しを体感し、地域の人やそこで産み出されるモノと現地現物で触れ合うことこそが、地域活性化に取り組むための第一歩なのである。

というのはあくまでも大義名分で、じつは私が大好きな熊本を訪れる口実がなにか欲しかっただけなのだ。

五木村で2泊した後、同行のメンバーとは道の駅で別れて、路線バスで人吉に出た。

まずは、Tさんにあらかじめ伺っておいた鰻が美味しい店を目指す。昼時はたいそう混雑するそうだが、火曜日の夜は街も閑散としており店内にも他に客さんはほとんどいなかった。

評判に違わぬクオリティの鰻を堪能し、翌朝は人吉城から球磨川の河川敷へとノルディックウォークで巡ることにした。

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水量も少なく穏やかな姿を見せている球磨川ではあるが、日本三大急流のひとつとされ、その歴史の中でたびたび氾濫を起こしている。

治水対策として川辺川ダムの建設が計画され、五木村の中心地が水没することとなり、高台の斜面を切り開いて大規模な移住が行われた。これは、村の人たちが長年培ってきた生活の拠点が消えてしまうことを意味していた。

ところが、2008年に突如ダム建設は白紙になった。とはいえ、高台に移住した人たちが元の場所に戻れる状態ではなく、しかたなくその場所にはリゾート施設が建設された。そんな中、2020年7月の大豪雨によって球磨川は氾濫し、人吉市内は多大な被害を受けてしまったのである。本来の計画ならば2017年にダムは完成されていたはずだった。

結局は流水型ダムとして川辺川ダムは整備される方針となった。

国や県の方針に、この流域に暮らす人たちは翻弄され続けているということだ。巨額のお金も絡む問題なので、詳しくは触れないがそれが住人同士の軋轢の元にもなっているようだ。

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辛気臭い話になってしまった。気を取り直して、焼酎工場の見学に行こう。このあたりで作られる焼酎は『球磨焼酎』という名称でブランド化されているのだ。

" 球磨焼酎は熊本県球磨郡および人吉市で製造される米焼酎[1]。米焼酎の代表的な存在として知られ[2]、国税庁による酒類の地理的表示に1995年に登録された。"

wikipediaより

見学受付時刻の午前9時ちょうどに受付を済ませ工場見学もそこそこに、私は試飲コーナーへと向かった。

こちらの蔵元で扱っている全種類の球磨焼酎を一口ずつ試飲し、3種類を購入した。

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という旅程の続きが、ここ佐世保になる。

まだランチを摂っていないので、まずは腹ごしらえから。名前だけは聞いたことがある『佐世保バーガー』にしよう。佐世保で一番の繁華街といわれる四ヶ町商店街に向かうことにした。

佐世保駅から5~6分歩くと、大きなアーケードがこちらに向かって顔をのぞかせている。ここが四ヶ町商店街だ。アーケードの中を進んでいく。平日の昼間だからかシャッターが下りている店舗が多く、人気もまばらだ。どうにも活気が感じられない。

商店街の中ほど、交差点を左に折れると、目的地のハンバーガー屋が現れた。

1970年から営業しているそうだ。店内に入り、レジカウンターでベーコンエッグバーガーを注文した。POPを見る限りこの店が元祖のようだ。

" 佐世保には、1889年に大日本帝国海軍の佐世保鎮守府、1903年に海軍工廠が置かれて都市化したが、1945年6月28日深夜からの佐世保大空襲で焦土と化した。
占領期に入ると佐世保にも進駐軍が展開し、旧日本軍施設に米海軍が進駐した。すると、米軍属相手にした飲食店・バー・キャバレーが佐世保市内に現れた。そして、佐世保が朝鮮特需による好景気に沸いた1950年頃、米海軍関係者よりハンバーガーのレシピを教わり、佐世保におけるハンバーガーの歴史が始まったとされる。なお、初めて佐世保で手作りハンバーガーを作った店がどこなのかは不明。"

wikipediaより

どうやら佐世保バーガーにはあまり細かい定義がないようだ。

注文から5分ほどで、ベーコンエッグバーガーが到着した。

ベーコンがスモーキーで、目玉焼きは大きめな印象。タレは甘みが強く、なんとなくアメリカンな感じだ。毎日食べていると体脂肪率が右肩上がりになりそうだ。もちろん味は美味い。

腹も満たされたところで、駅まで戻ることにする。駅のコンコースを通り抜けると、すぐ前はもう海だ。佐世保港旅客船ターミナルがある。

港に隣接して真新しい商業施設が建っており、高校生らしき若者たちを中心にかなりの賑わいを見せている。

私はトイレで着替え、荷物をコインロッカーに押し込んで、走る準備を万端に整えた。じつは、熊本県から佐世保まで足を延ばしたのは、ここで走るためだったのだ。

全国に点在する中核市のなかにはまだ訪れたことがない場所がいくつもあることに気づいたのは、半年ほど前のことだった。ならばその地に足を運んで、ついでにその地を走ろうということを今年(2023年)の目標をして掲げたのだ。一宮・大津から始まり阪神間を制覇して9月には北海道旭川まで赴いた。そしてとうとうここ佐世保を走ることで、中核市制覇の目標が達成されるのだ。

九州の中でも最西端に近い佐世保ではあるが、急がないと日が暮れてしまう。スタートしよう。

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まずは海沿いを進む。
港を抜けて道なりに行くと、左手に見えるのが海から建物に変わる。いつもは朝市をやっているようなフードセンターの脇を通り過ぎていく。

佐世保にはあまり漁港のイメージはないが、長崎県全体では漁獲量も多く魚も美味いのだ。五島列島や壱岐で獲れる魚は、特に絶品なのだ。

市街地を抜けると、県道に出た。歩道を進んでいく。左手に現れるのは、米軍佐世保基地だ。金網の向こう側は日本国ではあるが、アメリカのルールによって社会が形成されている。

明治時代から海上交通と軍事の要衝だった佐世保は、旧日本海軍や米軍との結びつきによって街が形成され発展していったのだろう。
私が佐世保と聞いて思い出すのは、村上龍の自伝的小説『69』だ。

自分の町に入り込んで我が物顔で振る舞うアメリカ人を毛嫌いしながら、一方でアメリカからもたらされる最先端のカルチャーに憧れる、相反した感情を抱いて思春期を過ごしている高校生の主人公に、当時高校生だった私は共感した。そして、彼が自分を縛り付ける外部(学校や教師)に対抗していく痛快さを胸いっぱいに享受したのだった。

交差点の向こうに、『佐世保地方総監部』という看板が見える。

在日米軍の基地だけでなく、ここには自衛隊の基地も存在するのだ。

さらに歩道を進んでいく。すれ違う人の姿もアメリカ人とおぼしきものに変わってきた。視線を右側に移してみる。

こちらはかなり急な斜面になっており、丘というよりは山の斜面を切り開いて住宅地を形成しているように見受けられる。だんだんとこの道も上り勾配がきつくなってきている。

左手に視線を戻すと、造船所のような設備がいくつも連なっている。

佐世保重工業だ。後で調べてみて知ったのだが、ここではたまに自衛隊の艦艇を修理することもあるようだ。

上り勾配はこのあたりで終わり、緩やかに下りになっていく。道も右に緩やかなカーブを描いている。

下り坂の途中を右に折れ、トンネルに入る。

通行車両の音がトンネル内に響き渡る。歩道と車道を隔てる柵も心許ないが、慎重に先を急いでいく。ゴールはもうすぐのはずだ。

トンネルを出てほどなく、看板が見えた。

ここは九十九島。パールシーリゾートだ。

" 西海国立公園九十九島の玄関口となるリゾートパーク。遊覧船による九十九島巡り、ヨットやカヤックで楽しむ海の散歩など、九十九島の体験基地となっています。リゾート内には、九十九島水族館海きらら、ショップ、レストランなどの施設もあり、ご家族連れで楽しんでいただけます。"

ながさき旅ネットより

佐世保市内にある海沿いのリゾートだ。

ゴールまでわずか。メインストリートを一気に駆け抜ける。

海が見えたところをゴールにしよう。

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走り終え、息を整えながら海沿いを歩く。向こう側にある島の向こう、空一面を覆う雲の向こうに、今まさに沈もうとする太陽の姿を見ることができた。

次の目的地に移動するため、九十九島からは路線バスに乗り佐世保駅まで戻る。駅前からコインロッカーにダッシュして荷物を取り、トイレで着替えると、バス停に急いだ。

佐世保駅前のバスセンターから路線バスに飛び乗り、1時間半ほど揺られた先が今日の宿泊地だ。

『アジフライの聖地』松浦。

鯵がよく獲れるのはわかるが、なぜアジフライ限定? 疑問を持ちながらも宿まで移動し、予約してあったディナーにありついた。「鯵食べつくし御膳」的なネーミングのコースだ。

鯵の刺身・煮つけにフライ。まさに鯵だらけだ。しかし肝心のアジフライが小さくないか?? 実食する。小さい… なぜにここ松浦がアジフライの聖地なのか、これではわからない。私は勇気を振り絞って、アジフライ単品を追加注文した。

「けっこうデカい」
単品の方はけっこう食べ応えがあった。しかしすでに御膳を間食した私はすでに腹が満たされており、アジフライをしっかり味わうことはできなかった。残念……

ちなみに、鯵の刺身を食べた後には骨と頭を揚げて、骨煎餅にしていただいた。親切。


一夜明け、11月9日。ブレックファーストは鯵の干物定食だった。ド定番なラインナップだが、とても美味かった。

宿をチェックアウトして、松浦駅に向かう。

ここから松浦鉄道で次の目的地に移動するのだ。

余談だが、私の家の近所にある耳鼻科の先生がなぜか松浦鉄道のスポンサードに熱心で、中刷り広告なども出稿しているそうだ。

その後、伊万里と唐津で路線バスに乗り継いで、

お昼前には目的地に到着した。

ここは佐賀県呼子。

イカと朝市が有名な漁師町だ。

せっかく来たので、海中展望船『ジーラ』に乗ろう。

平日にも関わらず20名ほどの乗客を乗せ、ジーラは出航した。

軽快に沖に向かって進んでいく。甲板では家族連れや、ものすごくイチャイチャしている中年カップルの存在が観測されている。

20分ほど進んだところで、ジーラはエンジンを止めた。どうやらこの辺りがお魚たちの観測スポットのようだ。

さっそく船内に入る。

船の両側に窓があり、どこからでも海中の様子が見えるようになっている。

空いているスペースに腰掛け、窓の外を凝視する。

うおっ、けっこうな魚群ではないか。

イシダイやクロダイをはじめとして、多くの魚たちが悠々と横切っていく。

すっかり魚たちの姿を堪能した私は、ジーナを降りると一目散にイカ料理を提供する店を探しに朝市に向かった。しかし朝市はとっくに終わっており、空いている店は一軒もなかった。どうやら平日は閉めているか朝しかやっていないようだ。

諦めきれずGoogleとにらめっこし、ようやくみつけることができたのは、寿司屋だった。

イカが一貫入っている。なんとか目的を達成できた。どうやら呼子のイカを平日に、食べるなら唐津に行かねばならなかったようだ。それでも寿司屋の大将が気さくな方で楽しかったので、これでよしとしよう。


その日のうちに福岡天神まで移動し、翌朝はブリしゃぶのモーニングを食べた。

ここは私が昔住んでいたアパートの近所で、めでたいことに開店10周年を迎えていた。最初は和食居酒屋だったのだが、この業態に転換してから大繁盛でディナーは予約を取るのも困難なほどだ。

朝8時からブリ刺しとしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち、締めの雑炊まで完食した。満足だ。

では、これから新幹線に乗り次の仕事場に向かう。

京都の日本海側まで6時間かけて移動し、道の駅でテキ屋をやるのだ。




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