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大豆田蒲公英と三人のランニング部員 in長野

一昨年のお盆休みに旅行先として選ぶまで、私にとって長野県は縁のない地域だった。それがいろいろあって10月から長野市に転居して仕事と学業の二足の草鞋を履くことになったのだ。人生とはどんなに用意周到に過ごしていても、先がどうなるものかなんて本当にわからないものだと実感している。
いざ暮らすにあたって、長野に関する予備知識などほとんど持ち合わせていないのだが、思い起こせば今までに転勤で居を構えたいくつかの土地でも同じような状況で暮らし始めたのであった。

あわただしく準備を整えて、9月末に長野市内のレオパレスに引越した。ここではじめて気づいたのだが、じつは私には長野に縁のある知人が多いのだ。Facebookで転居の報告をしたところ、彼らから多くの反応をいただいた。特筆すべきは、私が所属しているランニング部のメンバーが3人もいた。せっかくの縁なので機会を見て彼らを頼り、長野を知るよすがにしよう。

① 二拠点生活のT倉さん


T倉さんはランニング部設立当初からのメンバーで、我々の兄貴分的存在だ。10数年前に木島平にセカンドハウスを構え、二拠点生活&業務をされている。私は彼に誘われて去年7月に長野県内のハーフマラソン『小布施見にマラソン』を一緒に走り、その後には県内の北信地区を案内してもらった。ともに長野で過ごした縁もあり、ここは真っ先に頼ることにした。

2022年10月22日、土曜日。
1時間に1本弱しか本数のないJR飯山線に乗り遅れた私は、北陸新幹線に1区間だけ乗車し、飯山駅に向かった。改札口前までT倉さんが出迎えてくれた。普段はWi-Fiが強いという理由で、この駅の待合スペースでリモートワークをすることが多いそうだ。

さっそくT倉さんのベンツで、ランチを採りに向かう。向かうは『奥信濃まぼろしの蕎麦処 富倉そば』。少しだけ待った後、我々はカウンター席に通された。注文するは、天ざるそば。

” ここ「信州 奥信濃」では、はるか昔より現在に至るまで近くの山々に自生する「オヤマボクチ」という植物の葉の繊維をつなぎに使った、大変珍しいそばがございます。それが私たちの暖簾にあります「富倉そば」です。”

富倉そばとは?

長野県内、特に北信地区ではどこの店に入っても蕎麦にハズレはない。そのなかでもオヤマボクチを使った蕎麦は絶品なのである。そもそも、この蕎麦の魅力を私に教えてくれたのがT倉さんだった。

腹も満たされたところで、しばしドライブに興じる。行き先は道の駅だ。

一週間ほど前にリニューアルされたばかりの『花の駅 千曲川』。この界隈は春になると一面菜の花で満たされるとのことだ。頃合いを見て、出直して来よう。

収穫の季節で、生鮮食品を中心に品ぞろえが豊富だ。週末の昼下がり、地域の住人や観光客がごった返している。

軒先には採れたての野沢菜が大量に並べられていた。

では、そろそろ本日の目的地に向かおう。向かうは、飯山駅からほど近くに建っている『飯山市文化交流館 なちゅら』だ。

地元で伐採された木材をふんだんに使用して作られた真新しい施設だ。かなり建設費が掛かっているのではないだろうか?

ここでこれから『NONA REEVES』のライブが行われるのだ。

ドラマーの小松さんが。ここ飯山市出身とのこと。

また、T倉さんがこのバンドの西寺郷太さんとは学生時代からの知り合い、という繋がりがある。

キャパ100席強の小ホールで行われたライブは、レアグルーヴ感にあふれたこ洒落た演奏で、大盛況に終わった。

閉演後はT倉さんの伝手で楽屋まで挨拶に赴き、その後はお待ちかねのディナータイムだ。

最初にT倉さんが予約しようとした店はNONA REEVESの打ち上げ会場だったので、駅前の創作和食店『ワレモコウ』に入った。

地場産の食材を中心とした一品料理の数々はそれも遜色なく素晴らしく、我々は尽きることない会話を楽しみながらも、その味覚を堪能した。


後日譚。
202311月12日、土曜日。ペーパードライバー歴26年の私は、都内でT倉さんに車を借りて運転の練習をした。ベンツを運転できるかと気負っていたのだが、ちょうどマークXに車を買い換えたばかりだった。ともあれ、感謝に尽きる。


② ほぼUターン移住のM林さん


M林さんは上田市出身で、東京で社会人として勤め上げた後、50歳にして群馬と長野の県境にある南牧村に移住された。現在はライターを本業としながら、地域の区長なども務められている。ランニングはしないが山登りが趣味で、健脚を誇っている。ちなみに、アイドルオタクとして私の師匠筋にあたる。M林さんは私が長野に移住した際に、真っ先に声を掛けてくれた。「仕事に関してインタビューさせていただけませんか?」とのこと。私はもちろん快諾して、逢瀬と相成った。

2023年11月5日、土曜日。
しなの鉄道の屋代駅で待ち合わせた我々は、まずM林さんの車(点検中につき代車)で稲荷山に向かった。

” 北国西街道(善光寺街道)の宿場町として栄えた「重要伝統的建造物群保存地区」稲荷山。善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物の商いの町として栄えた。”

蔵の街 稲荷山

M林さんが「興味はあったが訪れたことがなかった」というこの一帯を二人でノルディックウォークで進んでいく。

江戸時代というよりも明治・大正時代にはさぞ栄えていたのだろうなというような街並みを進んでいく。

裏道に入り裏側からお蔵を眺めようとしたら地元の人に「ここは私道だから出ていけ」と怒られるなどのイベントを消化した後、次の目的地に車で移動する。

ここは武水別(たけみずわけ)神社。

” 歴史的にも有名な川中島の戦いの初戦は武水別神社付近で行われた「更科八幡の戦い」でした。”

武水別神社~越後の龍・上杉謙信の勧請文が残る神社

歴史に残る由緒正しい神社に参拝したら、駐車場に車を置いたままノルディックウォークを再開する。スタート!

ここからはひたすら山を上り、姥捨の棚田を進んでいく。

” 姨捨の棚田は、平成11年に全国で初めて棚田として国の名勝(国が指定する文化財の1つ)に指定されました。指定名は、「姨捨(田毎の月)」です。「田毎(たごと)の月」とは、大きさや形の様々な水田の広がる姨捨の棚田に、月が移りゆく様子を表した言葉です。日中の雰囲気とは異なる絶景です。”

信州棚田ネットワーク

あまりの絶景に見とれたのとノルディックウォークで両手がふさがっていたのとで、写真を撮るのを失念してしまった。残念。

紅葉が美しい姥捨山長楽寺で休憩した後、

姨捨観光会館を見学した。

さらに山を上り、JR姥捨駅に到着。

このホームからの眺めは有名だ。ここはスイッチバック駅で通過電車待ちのため停車時間が長い。その待ち時間に多くの乗客がわざわざ下車して景色に見入るほどの眺めである。

余談だが、ここから見下ろす夜景はさらに素晴らしい。

さて、我々は上ってきた道を戻り、車で次の目的地に向かった。
ここは戸倉上山田温泉。

かつては花街として栄えたこの地は、今ではスナックが林立する温泉街となっている。しかし、バブル崩壊やらリーマンショックやらコロナ禍やらの果てに、すっかり寂れてしまったようだ。

日帰り温泉施設で汗を流した後、私はM林さんから根掘り葉掘りインタビューを受けた。そういえば、M林さんにとってはこれが今日の目的なのだった。


後日、M林さんの記事による私の紹介記事ががアップされた。素晴らしい仕上がり!


③ 長野居住だが東京遠征ばかりしているN島さん


N島さんは、坂城町に居住しているフリーランスのプログラマーだ。とはいえ、ほぼ毎週末は東京を中心に全国各地をアイドルのイベントに駆けずり回っている。さらには夏と冬に一か月づつ東京のマンスリーマンションを借り上げ、オタク活動に入れ込むほどの気合の入りようだ。

私が長野に引っ越して3週間ほどたったころ、長野駅前でN島さんとまさかの遭遇を果たした。当日、長野駅近辺でアイドルのイベントがあったようだ。立ち話をしている中、土日多忙な彼のスケジュールを抑えることに成功した。

余談だが、この時にN島さんから推薦されたラーメン屋『らぁめん みそ家』は、信州味噌をふんだんに使用したコク旨のラーメンだった。


2022年11月25日、土曜日。
私は慣れない自動車の運転をして、待ち合わせ場所である南長野運動公園に向かった。ドキドキ。

” 1998年に日本で第3回目となる近代オリンピック大会の長野オリンピックが開催された。その際、長野市篠ノ井地区に式典に使用することを目的としたメイン会場・長野オリンピックスタジアムが建設され、大会終了後、この周辺地域に各種スポーツ施設を兼ね備えた総合運動公園を順次整備していった。”

南長野運動公園

駐車場で待ち合わせた我々は、ノルディックウォークで近辺を徘徊することにした。ちなみに、N島さんにノルディックウォークを勧めたのは、まぎれもないこの私だ

紅葉がピークを迎えているこの一帯を、二人で進んでいく。天下のオリンピックが開催されたとは思えないほどに長野は栄えてないな、と思いながら進む。とはいえ、今進んでいるバイパスもオリンピックに合わせて整備されたとのことだ。

N島さんの案内で、川中島古戦場に到着した。

新潟vs山梨の戦いに巻き込まれて災難だったな、との感想しか浮かばなかった 笑。

とはいえ、今になって観光資源として生き残っているのなら、負の側面だけではなかったのだろう。

続いては、N島さんおすすめの『麺道 麒麟児』に向かい、お待ちかねのランチを採る。

超薄切りのチャーシューは旨味が凝縮され、スープは淡麗かつコクがあり、ゆずの風味がアクセントとなっている。大満足。

食後はふたたびノルディックウォークで駐車場まで戻る。道中の話題は、現在の地下アイドル事情についてのN島さんからのレクチャーだ。


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長野県は移住希望者が日本一だが、実際に移住する人はそこまで多くない。実際に、山の暮らしはなかなか大変であるし、地域のコミュニティも閉鎖的だ。それでもUターンする人は多いし、二拠点生活をする人も多い。今回紹介した3人もそれぞれ長野に縁があり、かつ東京を中心とした都市の住人たちとのハブとして地域活性化の役割を担っている。

私も一役担えるように尽力したい。

 

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【追記】


松本市に、15年ほど前にIターン移住した同世代の建築家の方がいる。彼は、以前に私の東京の家を設計してくれた。東日本大震災が起こった際には、安曇野から玄米をたくさん送ってくれた。
私は大学のゼミで彼が住んでいる松本に頻繁に赴くので、久々に会いませんかと声をかけてみた。

2022年12月24日、土曜日。
宿泊先の窓から、外の様子を眺める。

前日から降り続いた雪はようやく止んだようだが、なかなか積もっている。松本市は長野市より標高が300mくらい高いので、積雪も多いのだろうか?

チェックアウトの11時に合わせて、彼は車で迎えに来てくれた。かれこれ15年くらいぶりの邂逅だ。彼の見た目変わってないが、けっこう激動の人生を歩んでいるようだ。伴侶が変わりお子さんが増え、一時は市民運動が本業になった末に、ようやく最近は落ち着いているそうだ。

女鳥羽川沿いの駐車場に車を停め、『おきな堂』でランチを採ることにした。この店は1933年創業の老舗だが、銀行員出身の3代目が跡を継いで地域活性化に奔走しているとのことだ。

名物料理のボルガライスに舌鼓を打つ。食後は「お茶でも飲みましょうか」ということで、地域で有名なカフェ『栞日』に向かった。

駐車場を見つけられずに狭小な路地に迷い込んだりしたが、お店の人に聞くと「向かいの銭湯の駐車場に停めてください」との回答だった。

どうやら、この銭湯も栞日のグループらしい。

1階でコーヒーを注文し、2階のスペースでお茶をする。

彼の知る人脈を紹介してもらったり、帰りがけにはお勧めの味噌をお土産でいただいたりして、松本駅前で解散となった。

電車に揺られ長野市に戻ると、なんと松本市以上の積雪であった。

私は帰宅する前にカー用品店に立ち寄り、専用の道具を使って社用車の雪下ろしに励んだ。

長野の冬はまだこれからだ。



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