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栄で『大通り』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode11〜 愛知編 ”

前回のあらすじ

八戸で『横丁』を走る

” パプリカの花言葉は『君を忘れない』。震災で失った貴重な命を鎮魂した歌『花は咲く』へ向けて、復興を果たす目途が見えてきた8年後に送られる返歌が『パプリカ』であり、この歌に乗って楽し気に踊る子供たちの姿に、私は被災地の未来に対しての希望を感じた。"


栄で『大通り』を走る

2019年(平成31年)4月24日朝6時、名もなきおっさんである私を乗せた高速バスは名古屋駅近くにある笹島ライブに到着した。
天皇陛下の生前退位により、1週間後には元号が令和に代わるシチュエーションであった。平成最後の水曜日である。ついでに報告すると、平成最後の一粒万倍日(「一粒蒔いた籾が万倍にもなって実る」という意味があり、万事のスタートに良いと考えられている日)でもある。

やんごとなき私用があり日帰りで名古屋までやってきた。普通なら、こんな早朝に旅先にぽつりと取り残されたら時間を持て余しそうなものだが、私はうろたえない。なぜなら名古屋は私にとってなじみ深い土地であり、ナウなヤングの間で流行りの『モーニングルーティン』が私の中で確立されているからだ。さっそくご紹介しよう。

笹島ライブから名駅(愛知県民は『名古屋駅』のことをこう呼称する)へ向かって名駅通りをまっすぐ進む。歩いている間に徐々に空が白んでくる。5分ほど進むと笹島の交差点に差し掛かる。この先が『駅前』扱いになるであろう一角である。シネコンが入っているショッピングビルや名鉄百貨店やルイヴィトンの路面店や大名古屋ビルヂングが林立する。しかし、まだ時刻は6:05分過ぎ。駅前の繁華街もまだ眠りについており、人気もない。交差点を渡らず、手前のビル『名鉄レジャック』に入る。1階にあるマクドナルドで朝マックするのがいつもの流れである。

店内は私と同じくバス利用者であろう人たちで半分以上席が埋まっている。テーブルに突っ伏して寝ている人も多い。彼らになんとなく連帯感を感じつつ、エッグマックマフィンセットを購入し、適当な空席に腰を下ろす。手早く腹ごしらえを済ませ、コーヒーを飲みながら今日のスケジュールを改めて確認する。一通り確認がおわったあたりで、全身に軽い倦怠感を感じる。バスが東京を0時過ぎに出てからずっと寝ていただけなのだが、それでも旅の疲れ的なものが背中の方に少し感じられる。そろそろ移動しよう。

マクドナルドを出るとすぐ左手にエレベーターがある。 ↑ ボタンを押すと、すぐに扉が開いた。乗り込んで4階に上がると、そこが『サウナ&カプセル ウェルビー名駅』だ。

ウェルビーは私のようにひとり旅を愛好する者たちから非常に高い評価を受けている宿泊施設だ。とにかく大浴場が充実している。もちろんサウナや水風呂も完備しているし、ロウリュウの頻度も多い。さらに朝6時以降入店の場合は、クイックコースが非常にリーズナブルだ。なんと60分コース1,100円・120分コース1,650円だ。汗を流して軽く横になりつつスマホの充電をするくらいの事は普通に行える充実感がある。
普段は60分コースを利用することが多いのだが、今日は『走る』ので120分コースを奮発するとしよう。ご存じない読者の方に説明すると、この連載は『旅先を走る』というテーマなのだ。

靴をシューズロッカーにしまい、フロントに向かう。フロントでシューズロッカーのキーを渡すと、引き換えにロッカーキーを渡される。支払いは先払い。Suicaでピッと会計を済ませる。ちなみに名古屋の交通系電子マネーはJRが『TOICA』でその他私鉄が『manaca』となっている。ロッカーに向かい、ランニングウェアに着替えたら、いざ出発だ。

カプセルホテルのフロントに外出する旨を伝え、ロッカーキーを渡す。ランニングシューズに足を通し、エレベーターで1階に下る。寄り道にはなるが、まずは名駅に向かうことにする。笹島交差点を渡るとヤマダ電機があり、その先に名鉄百貨店がある。

ちょうどその境目あたりにある建造物をひと目見るためにわざわざ寄り道をしたのだ。その名は『ナナちゃん人形』。名駅のランドマークとして地域住民に広く愛されているその像は、地域企業やイベントの広告塔として頻繁にその装いを変えていく。私は名古屋を訪れる度に、その姿を写真に収めることをライフワークにしているのだ。岐阜から東京に戻る際に途中下車して撮影したり、友人O氏の名古屋出張の際に撮影を頼んで、画像を送ってもらったり、なかなかのお気に入りである。

ちょっとここで何枚か紹介してもよろしいでしょうか?

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無事に撮影も完了したところで、ふたたび走ることにする。そのまま名駅の新幹線口まで進み、ここでUターンする。信号を渡り、今来た道の対向車線を走る。ルイヴィトンを越え、しばらくまっすぐに進む。

前後左右どこを見渡しても、見慣れた景色が広がってる。私は以前名古屋に住んでいたことがあったのだ。

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2005年4月、私は転勤で名古屋に赴任した。エリアマネージャーとして、担当範囲は静岡県ぜんぶ+愛知県の三河地方(愛知県民は県内を、まるで昭和のドイツ人であるかの如く『三河』と『尾張』に分割して捉えている)だった。

『三河』とはざっくり豊橋から岡崎・安城・豊田市あたりまでの範囲だ。ちなみに静岡は熱海から始まり三島・沼津・清水・静岡・浜松とひと通りの都市に担当店舗が存在した。計34店舗。
1年間担当したが、1週間のうち名古屋市内の自宅で3泊・東京の実家に2泊・静岡のホテルに2泊、といった感じだったので、正直名古屋の思い出はあまりない。観光地も特にないし… 強いて挙げれば、名古屋めしくらいか?

私が住んでいた金山には東京にも進出している居酒屋チェーン『世界の山ちゃん』が4店舗くらいあったので、帰りが遅くなっても晩飯には困らなかった。主食は手羽先。豊橋では『チャオ』のあんかけスパ。正直あまり口に合わなかったが 笑。そして至るところに存在する愛知県民のソウルフード『スガキヤ』。先割れスプーンでお馴染みだ。お土産は『ういろう』。青柳派と大須派が血で血を洗う抗争を繰り返している(ただし本家は神奈川県小田原市にある)。
しかし私のイチ押しの食べ物は、新興の名古屋土産である『小倉トーストラングドシャ』である。一枚手を付けたらそれが破滅への第一歩。その場にあるだけ全て食べ尽くさないと気が済まなくなる。あな恐ろしや。

まあとにかく、仕事が忙しかったこともあり、名古屋での暮らしを堪能することはできなかったのである。

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笹島の手前で交差点を左折し、しばらく進む。左手に『柳橋中央市場』を臨む。鮮魚メインの市場だが、築地場外のように飲食店が多数軒を連ねている。当然だが新鮮で美味な寿司や海鮮丼をリーズナブルに楽しめる。しかし今はランニング中だ。食欲をグッと堪える。ビジネスビルが立ち並ぶ一帯をそのまま直進し、堀川を渡ってしばらくすると国道22号に出る。ここを右折する。

国道沿いに進む。左手に白川公園が見える。ここを軽く2〜3周するのも悪くはない感じだが、ランニング+入浴+αで120分というタイムリミットがある。先へ進もう。信号をもう一つ越えると左手に大須観音が現れる。境内に入り参拝をする。鳩が大量にそこら辺を徘徊している。踏まないように注意する。なにしろ奴らは平和の象徴だ。
大須観音を出て、アーケードになっている商店街を進む。

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わかりやすく『令和』の懸垂幕が下がっている。この一帯は名古屋を代表する商店街で、寄席やら衣料品店やら飲食店などが立ち並ぶ、いうなれば『巨大化した巣鴨』のような雰囲気である。人通りもほぼないので結構なスピードで駆け抜ける。じつは私は無類のアーケード好きで、地元でも武蔵小山や中延のアーケードを好んで走っているくらいだ。大満足。

アーケードを抜け、左折して矢場町と呼ばれている一帯を走る。しばらく進むと左手に味噌カツ『矢場とん』の本店がある。右手には久屋大通。緑豊かな遊歩道になっている。
この通りに足を踏み入れたところで、フッと記憶の扉が開いた。


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2013年4月、私は40歳を目前にして、結婚を考えたこともある女性とお別れをした。人生の後半戦を一人で生きるか二人で生きるか、熟考のあげく下した苦渋の決断だった。別にひとりで生きて行きたいわけではなかったのだが、いろいろと時間切れだったのだ。人生は一度きり、残り時間にも限界がある。

とはいえ、そんな簡単に割り切れるわけもなく、40歳を迎えてすぐに新規店のオープン業務に没頭して、空っぽになってしまった自分の心を直視しないようにしていた。そんな心の隙間に絶妙のタイミングで入り込んできたものがあった。

それは新興宗教でも笑うセールスマンでもなく、数年前に社会現象になったアイドルグループ『AKB48』であった。

最初は働いている店の有線から流れてくる曲が印象に残ったくらいだったのだ、最初は。家に帰って「あの曲誰が歌ってるんだろう」なんて軽い気持ちで検索しただけなのだ、ほんの軽い気持ちで。「そういえばAKBの曲とかあまり知らないよな」とか思って、youtubeを夜中に一人で観たりしていただけなんだ、たった一人で。
きっかけは本当に一時の気の迷いとでも申しますか、まさかこんな大事になるとは夢にも思っていなかったのだ。なにしろちょっと前まではAKB48(えーけーびーふぉーてぃーえいと)の読み方も知らなかったくらいだったのだ。そうだったのだが… 

いつのまにか2005年からのAKB48の歴史やエピソード、メンバーたちが繰り広げる群像劇、各メンバーが纏う文脈や物語の豊富さに、すっかり魅入られてしまったのだ、すっかりと。


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大通りをしばらく真っすぐに進むと栄に差し掛かる。おなじみのテレビ塔がランドマークだ。

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てれびとうには一度登ったことがあるが、いろんな意味で普通の印象だった。特に印象に残ることもない、普通の展望台だった。テレビ塔の下で結婚式の写真撮影をしている場面に出くわしたことを、今でもよく覚えている。『テレビ塔結婚式』。謎のイベント… いかにも名古屋の結婚式らしい豪華さのバリエーションのひとつなのだろうか?

気を取り直して、このまままっすぐ進むと名古屋城だ。


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昔話の続きを。

主に夜中、youtubeでAKB48の動画を漁ることが日課(もしくは生きがい)になっていた。特に誰が好きとかそういう感情はなく、AKBが持つ組織としてのダイナミズムみたいなものを愛好していた、はずだったのだ。しかしある晩、劇場公演の動画を眺めていると、一人のメンバーが目についた。

その名は『向田茉夏』。愛知県の栄に専用劇場を持つSKE48の二期生。彼女は二期生を中心に作られた『チームK II』のセンターを張っていた。当時17歳。このグループ全体のセンターである松井珠理奈と同い年だ。

向田茉夏が秀でていたのは、そのアイドル性とセンター適性の2点においてである。アイドル性というのは説明が難しいというか「見ればわかる」たぐいのもので、例を挙げると前田敦子を筆頭に、渡辺麻友とか島崎遥香とか渡辺美優紀(みるきー)みたいな、ただそこにいるだけで周囲の人たちを幸せにするオーラがあること。

そしてセンター適性とは、集団の中心に存在しつつも、目立ちすぎず埋没もしない絶妙な存在感を醸し出せること。まるでオーケストラの指揮者のように全体を調和させ、グループとしてのパフォーマンスレベルを最大限に引き上げる。決して自分が目立ちすぎることなく、その任務を遂行できること。

身体的には、大きすぎず小さすぎず中の上くらいのサイズ感。大きすぎると視線がセンターに集中しすぎてしまうし、小さすぎるとアクションが大きくなり、悪目立ちになってしまう。さらに、手脚が長いことも重要だ。長い手脚を持った上で小さく踊る、体幹をぶらさずに。そして性格的には、評価経済的な人間関係には興味を持たず、グループ内での序列にも無頓着であること。このことによって、周囲の嫉妬ややっかみを受け流すことができるとともに、浮世離れした透明感のあるパフォーマンスを実現できるのだ、まるで『空虚な中心』のように。

そういった要素をすべて兼ね備えたメンバーは15年近い48の歴史の中でも数限られている。もちろん史上最高のセンターは前田敦子だ。さすがにキリストを超えたというのは大げさだが 笑。

私は向田茉夏のパフォーマンスを液晶越しにひと目だけで、すっかり気に入ってしまった。ファンになるとか推すとかそういった感情ではなく『贔屓にする』感覚で、彼女の動向を追うようになった。その後ネットで諸々検索を進めていくうちに、彼女の人となりがなんとなく見えてきた。

類まれなアイドル性を持つ存在として他のメンバーたちから一目置かれていることや、『アイドル』としてのセルフプロデュースをかなり自覚的に行っていること、その反面オタクが苦手で握手会の対応は「金を返してほしいレベル」であることetc… 『会いに行けるアイドル』と称していながらも、オタクとの距離感を徹底的に保つ彼女のスタイルに好感を持ち、常に何となく気にかけていた。余談だが、彼女のこういったスタンス、今となっては再評価すべきではないかと、私は半ば本気で考えている。


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大通りを端から端まで走り抜けると、名古屋城が見えてくる。名古屋に住んでいた頃は、市内の移動は地下鉄に頼りっきりだったので、この位置関係に気付くことはなかった。しかも名古屋城に初めて訪れたのはここ数年前なのである。住んでいた当時は貴重な休日を潰してまで、わざわざ近所の観光地に足を運ぼうとは思わなかったのだ。

まだ朝早いので城内に入ることはできない。お堀の周りを一周しよう。

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このあたりも緑が多く、道も整備されて走りやすい。しかも人気がまばらである。お城なのに、犬の散歩とかランナーの同士が見当たらないのだ。官庁街であり近辺に住んでいる人が少ないのだとは思うが、少し寂しく感じた。

一周回りきったら、大通りを引き返そう。


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2014年1月、向田茉夏が3月いっぱいでSKE48を卒業することが発表された。高校三年生になるので、受験勉強に専念したいというのが理由である。彼女のように『アイドル』になりたくてアイドルになった者にとってはアイドルであることがゴールとなる。あとは『アイドル以後』のライフプランをどのように描くかだ。彼女は子どもが大好きなので保母さんを目指すとのことだ。地に足のついた決断である。今後の彼女の人生に幸多からんことを祈る。卒業おめでとう!

とは思ったのだが、じつは私には一つだけ心残りがあった。「彼女のパフォーマンスを一度生で観てみたい」。40過ぎのいい歳をしたおっさんが、自分の娘であってもおかしくない女の子を追いかけるのは端的に気持ち悪い行為であるが、背に腹は変えられない。なにしろ彼女は引退してしまうのだ。

劇場のチケットに応募するために『AKB48チケットセンター』に登録し、私の公休日に開催される予定のチームS公演(彼女は『組閣』によってチームを移籍していたのだ)に申し込んだ。そしたら何と、ビギナーズラックかどうか定かではないが、当時7〜20倍といわれていたチームS公演に一発で当選してしまった。


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大通りを戻ると、さっきに比べて人が多くなっている。時刻は8時ちょっと前だ。先を急ごう。しばらく進みテレビ塔を越えると左手に観覧車が二つ見えてくる。小さい方は三越の屋上、大きな方はサンシャインサカエの3階に設置されている。大きい方の観覧車がある建物の2階に『SKE48劇場』があるのだ。


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2014年2月、およそ8年ぶりの名古屋。昼ごろに東京を発って、高速バスで夕方に到着した。初めての劇場体験。受付・手荷物預かり・入場順のビンゴ抽選など、すべてが新鮮だ。多くのオタクたちとは違って、ペンライトなど持たない。そもそも持っていないからという理由だけではなく、「俺は熱狂的なオタクとは違う」という、周囲のオタクたちやメンバーに対しての態度表明なのである。ビンゴ抽選の結果、7列目下手に陣取った。『影アナ』と呼ばれる前説、『前座ガールズ』と呼ばれる研究生4人による0曲目の披露が済み、『overture 』が劇場内に鳴り響いた。いよいよ本番がスタートする。

演目は『Reset』公演。メンバーたちからもファンからも圧倒的な支持を受ける、元々はチームKの公演だ。Wセンターは大島優子と板野友美、キャプテンは秋元才加が務めた、2009年産の公演だ。一曲目の冒頭、3名のメンバーがハイキックで劇場の空気を切り裂くアクションを合図として、他のメンバーもステージに雪崩れ込んでくる。もちろんWセンターの一角は向田茉夏が務める。

迫力・臨場感・華やかさ、そして16人のメンバーが髪を振り乱し汗を撒き散らして懸命に踊る姿に触れて、一気にその虜となった。大満足。満面の笑みをたたえて、深夜バスで帰路についた。

あまりに楽しかったので、3月に行われる彼女の卒業公演にも申し込むと、なんとこれまた当選した。この時、確実に人生における運の2%ほどは確実に消費したことであろう。しかし問題は、その公演が日曜日に開催されることだ。当時私が担当していた店舗は日曜日がかきいれ時であった。おいそれとは休めない状況にあった。そこで私は一世一代の嘘をついた。

おりしもその頃は私の母校である都立小山台高校が初の甲子園出場を決め、地元は大盛り上がりであった。それを利用して、会社には「母校が甲子園出場を決めたので、壮行会に出席する」と虚偽の報告をし、無理やり公休を取得した。

2回目の劇場公演も最高だった。2列目上手側で観覧した。向田茉夏はこれが生涯最後のステージであることを全く感じさせないパフォーマンスを披露した。長い手脚で小さく踊る。体幹はブレることがない。表情を一切崩すことなく、涼しい顔で踊り続ける。事情を知らない人が見たら、まさかこの公演が向田茉夏の最後の舞台であるとは気づかないであろう佇まいで公演は進んでいき、何事も起こらずに終了した。

おそらく、彼女は幼い頃からTV画面の向こうで華やかなスポットライトを浴びるアイドルに憧れ、家族や友だちの前で歌ったり踊ったりとアイドルの真似をしていたのだろう。人見知りが激しく感情表現は苦手だが、おそらく周囲の子どもたちの誰よりも上手で愛らしく振る舞えたに違いない。そしていつしか『ごっこ』ではなく、本物のアイドルを目指すようになる。日常の延長線上として。周知の視線を一手に引き受けている間だけ、その照り返しで輝くことができる刹那の華。彼女にとって集団の真ん中に立ち衆目を浴びることは、幼少の頃から慣れ親しんでいる行為なのだろう。

そんな想像を思わず浮かべてしまうほどに、向田茉夏は自分自身の一世一代の晴れ舞台に於いても、彼女の『日常』を貫いたのだった。そして彼女の一挙手一投足は、完璧な『アイドル』の所作であった。向田茉夏は最後まで『アイドル』として自分の日常を貫いたのだ。

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錦の交差点で信号を渡る。サンシャインサカエに到着した。ここをランの終着点にしよう。

8番出口から地下街に入り、しばらく進むと地下鉄の改札がある。名古屋に戻ってウェルビーの大浴場で汗を流すのだ。その後は明治村で近代建築を堪能して、夕方には栄に戻って『アップカミング公演』をこの劇場で観覧する。今月で卒業してしまう松村香織のパフォーマンスをこの眼に焼き付けるのだ。公演前には近くの立ち飲み屋で『速達生』を飲み、公演後には『錦』でカレーうどんを食べる。そして23:00発の高速バスで東京に戻るのだ。

明日は朝から仕事だが、向田茉夏にとっての劇場公演がそうであったように、私にとってもこれが『日常』のことなのである。

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私にとって名古屋を走る面白さは、自分のライフステージの変化によって街に対する視座(対象への距離感)が変化することにある。同時に、居住者の視点・遠征民の視点・旅人の視点(対象への侵入角度)も変化する。それによってかつての印象を上書きするのではなく、それぞれ『名前を付けて保存』することになる。

『歴史を修正する』のではなく、『視点を増やす』のだ。このように異なる複数の視点と視座を獲得することによって、視野が限りなく拡がっていく。いわばセルフ拡張現実である。

今後も折々に、名古屋の街を走り続けたい。

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【追記】
名古屋駅の新幹線ホームで食べるきしめんは美味い。きしめんにトッピングするかき揚げや海老天は2番線ホームの店舗で揚げているのだが、私は猫舌なので少し冷めた揚げ物の方が好きなのだ。

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次回予告

“ 難波で『ホーム』を走る “

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