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奈良で『修学旅行』を走る " 旅先で『日常』を走る ~episode21 ~ 奈良編 "

前回のあらすじ

琵琶湖で『廃墟』を走る

" 圧倒的な存在感を放つ物の影に隠れている物の中にも、意外に良質な存在はあるのだ。それを見つけることができるのは、常にアンテナを高く掲げて探求をやめない、好奇心や感性を持ち続けられる者だけだ。"


奈良で『修学旅行』を走る

朝の8時半から、東大寺で奈良の大仏を見上げている。早起きが苦手なことには定評がある私がなんでこんな早朝からこんなところにいるのだろうか?
順を追って説明しよう。

2019年9月、東京発の深夜バスで京都に降り立った。時刻は午前6時。
この日の午後に大阪で私用があり関西まで出向いたのだ。なぜ京都で降りたかというと、午前中のうちに一ヶ所寄ろうという算段なのだ。では、さっそく目的地に向かうとする。

京都駅から近鉄線に乗る。関東民の私には馴染みがない鉄道会社だ。近鉄といえばバファローズの印象しかない。リーグ優勝がかかった1988年10.19のダブルヘッダーや、ブライアントの4打席連続ホームラン、300勝投手鈴木啓示の「人生、投げたらアカン」くらいしか思い付かない。

バファローズのユニフォームと同様に、白地に赤青の車体を期待していたが、そうではなかった。上七割が赤、下三割が白に塗られている。惜しい。電車に小一時間ほど揺られ、大和西大寺で乗り換える。すると5分ほどでお目当ての駅に到着した。

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奈良。
中学校の修学旅行で来たことがある。どの寺を見学したのかまったく覚えていない。テントの中でお坊さんの話を立ったまま聞いたような記憶がうっすらとある。薬師寺だろうか?
じつは高校の修学旅行も京都・奈良だった。しかしその時は宿泊が京都のみ、しかもグループ行動で引率の教師がいなかった。私たちは奈良に行ったことにして、京都の喫茶店で半日ダラダラと時間を潰していた。

まとめると、私は今までの人生で奈良に興味を抱いたことはほとんどなく、知識も『大仏』くらいしかなかったのだ。

最近、走ることが趣味になった私は、47都道府県すべてを走ることを目指すようになった。この取り組みの中では、今まで興味がなかった土地も走ることになる。私は奈良県でどの場所を走るか真剣に考えた。特になにも思い付かない… 結果、「奈良を走ろう」となった。我ながら雑な判断だ。

このような経緯で、奈良という地に対する知識と興味の欠如により、私は『走る修学旅行』を決行することになった。


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近鉄奈良駅に到着した私は、構内のトイレで着替えた。地下の改札を出て、コインロッカーに荷物を押し込み、地上に上がる。街路樹の向こうから、陽の光が鋭角に差し込んできて、思わず目を閉じる。朝が弱い私は、奈良からの手痛い洗礼を受けた。時刻はまだ8時。
ゆっくりと大きく背伸びをして、まだ半分寝ぼけている身体を目覚めさせる。深く息を吐きながら準備体操をしたら身体が温まってきたようだ。そろそろ走りはじめよう。

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スタートして100mほどで早くも右手に緑豊かな緑道が現れた。すでに奈良公園名物の鹿の姿もチラホラと見受けられる。緑道の向こうには興福寺がある。せっかくなので寄り道をすることにした。
参道とおぼしき石畳を進むと本堂があり、その先には五重塔が建っていた。

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どうやら全国に9ヶ所しかない、国宝に指定されている屋外の五重塔の一つのようだ。ちなみに、国宝に指定されている五重塔で屋内に建っているものは2基あり、その両方ともが奈良市内にあるそうだ。ただ、屋内物は高さが4〜5mほどで、あまり迫力はないらしい。
修学旅行をはじめ、観光のメッカである奈良公園一帯。まだ朝早いからかあまり観光客の姿はなく、気兼ねなく走ることができる。今のうちに思う存分走ることにしよう。

先ほど来た石畳を引き返し、元の道に戻る。鹿煎餅を売っている屋台を横目に先を急いだ。県庁東の信号を超え、奈良公園の中に入った。道なりに左折しその先の三叉路を右折すると、歩道の幅もかなり細くなる。

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ここまでの道とは段違いに鹿が増える。歩道を優雅に闊歩している鹿が多数だが、側溝で寝ている鹿もいる。総じて、人間にはさほど興味を示さない。腹が減っていればまた行動も変わるのだろうが。
左手に東大寺南大門へと伸びる道が現れた。ふたたび寄り道しよう。

受付まで進む。拝観料をキャッシュで支払うスタイルになっている。いきなりのピンチだ。荷物になるという理由で、私はいつも走る時には財布を持たないようにしている。
しかし、慣れない土地で走っている途中なにが起こるか分からないと思い、この日はスマホカバーの中に小銭を忍ばせていた。ラッキー!

無事、東大寺の中に入ることができた。

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という経緯で、冒頭のシチュエーションに至ったのである。朝8時半から、旅先で奈良の大仏を見上げる私。美しい日本の私。

開門すぐのタイミングで入ったので、境内は閑散としていた。大仏殿でゆっくりと『奈良の大仏』を鑑賞した後は、お寺の方に注意されない程度の速度で軽く境内を走ることにした。しかし中学時代に修学旅行で来たことがあるはずなのに、まったく記憶がない。おそらく悪の組織に捉われて、改造手術で記憶を消去されたのだろう。もしくは逆行で歴史を変えられたかのどちらかだ、きっと。

そんな適当なことを考えながらダラダラと走った。朝の空気は清々しく、陽も少しは高くなって、走り始めた時よりも当たりが柔らかくなってきた。木々が風に揺れる涼しげな音、草の匂い。大仏に見守られながら、五感をフルに解放して楽しんだ。

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東大寺を後にして、また先に進む。元のルートに戻って少し走ると、春日大社がある。時刻は9時をまわったくらいで、さすがにこの時間帯になると、かなり人手も増え出した。休日の神社仏閣はシルバー世代が多数を占めているが、外国人観光客らしきカップルの姿も見える。公園という場所は人々をリラックスさせるようで、皆一様に笑顔を見せている。私は、ここではランナーという特権を利用し、透明人間的に彼らの間をすり抜けて走り抜ける。

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せっかく来たのだからと形だけ参拝し、春日大社を後にする。けっこう混んできたので、先を急いだほうが良さそうだ。
春日大社に向かって緩やかに登ってきた坂道を、今度は下っていく。位置エネルギーの働きで、意識せずとも行きよりスピードに乗っている。ますます人手は増えている。主にシルバー世代だが、家族連れも増えてきている。そして観光客らしきカップルの姿も見える。

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カップルの女子の方が、鹿を見ながら爆笑している。笑いながら男子の腕をつかんで、なにかを訴えかけている。なにがそんなに楽しいのだか気にはなったが、たぶんあれは好きな人と一緒に見ているから楽しい類の物なのだろうと思い直し、そのまま真っ直ぐ進み続ける。

春日大社一の鳥居まで戻ってきたところで左折し、すっかり観光客のもののなってしまった奈良公園を脱出した。
道なりに進んでいくと、両側に池が広がっている。ここから見る景色がいい感じで、思わず立ち止まって写真に収めた。

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さらにしばらく直進する。風景が、ごく普通の片田舎の街並みに変化していく。その日常性に亀裂を入れるように、ところどころ古民家っぽい建造物が混在している。

1kmほど直進したところで、交差点を右折する。
この先の一帯が、古き良き町屋が数多く残った街並みだということだ。

ならまちは平城京の「外京」にあたり、当時の道筋をもとに発展した長い歴史を 持つ町です。平城京への遷都以来まちづくりがはじまり、南都と呼ばれる社寺のまちから商業のまちへ、商業のまちから観光のまちへと様 々な時代背景の中で盛衰をくり返してきた町でもあります。
江戸時代の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝えるならまちは、訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え、時には懐かしささえ感じさせてくれます。

楽しみ!

うねうねと入り組んだ道を思うままに進んでいくことにした。気が向いたところで曲がる。ただし、スタート地点に戻ることだけは意識して。

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内部を一般公開している町屋もいくつかあった。なんと入場無料。こういったシチュエーションでは、迷わず寄り道をするのが私の流儀である。

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いやあ、楽しかった。京町屋との対比で表現すると、泊まるなら京都・暮らすなら奈良、という感じ。奈良の町屋が持つ肩の力の抜け方や、暮らせば暮らすほど味が出るようなしつらえがすっかり気に入ってしまった。特に光の取り込み方が秀逸なのだ。
生まれ変わったら、もしくは突然大富豪になったら町屋を購入して、自分の好きなようにリノベーションして暮らしたい。将来の夢が、これでまた一つ増えた。

などと思いを巡らせながら進んでいると、視界が五重塔を捉えた。

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どうやら興福寺の裏手に出たようだ。五重塔の前を、このランのゴールとしよう。そう決めると、心なしか足の運びが軽くなった。もう一息だ。ペースを上げよう。

走り終えたら近鉄奈良駅の改札前に戻り、荷物を引っ張り出して、トイレで元の服装に着替える。旅先で走るためのルーティン、いや儀式とでも言うべきかもしれない。透明人間からただのおっさんに戻る儀式、スーパーマンにおける電話ボックス的な。

この旅の続きはJRを利用するので、ここでは電車に乗らずにJR奈良駅に向かう。徒歩で10分ほどのところにあるようだ。
近鉄からJRの駅に向かう通りは、おそらく奈良県有数の繁華街だろう。路面はインターロッキングで整然と舗装され、観光客と地元民が渾然一体となり、休日の街らしい賑わいを見せている。

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道すがら、先ほどのランを振り返る。
京都を走る時は『観光しない京都ラン』を意識して走るのに、奈良を走る時には思いっきり真逆の行動を取ってしまった。この事に、走り終えてはじめて気づいた。
『観光しかしない奈良ラン』。ポリシーに反する行為だったが、感想をひと言でまとめると、ものすごく楽しかったのだ 笑。

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それは奈良という土地が観光地然としておらず、気取ったところが感じられない事に由来するのだと思う。人々の日常のアクセントとして歴史が溶け込んでいるというか、歴史が街に寄り添っているというか。そもそもここに住んでいる人たちが、ここを観光とだとはあまり思っていなくて、「来たければ来れば?」くらいのスタンスなのだろう。

奈良を走る心地よさは、まさに日常と歴史の絶妙なバランス、あるいは共犯関係にあるのだといえるのではないか?


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2020年9月、縁あって再度奈良に立ち寄ることになった。一年ぶりの再訪だ。

大和西大寺駅に着いた。去年はここで乗り換えて奈良駅まで行ったが、今回はここで下車することにした。お目当ては「なんときれいな平城京」である。先日の『ブラタモリ』で取り上げられていたのを見て、ぜひ一度行ってみたいと熱望したのだ。

着替えなどの儀式を済ませ、ランニングの準備は万端だ。ちなみに今回は駅構内のコインロッカーを利用した。なぜなら、違う駅まで走った後に電車でこの駅まで戻り、大阪方面の電車に乗り換える算段だからだ。ここで一回改札を出てしまうと、交通費が無駄にかかるのだ。我ながら天才的な発想である。

自画自賛はこれくらいにして、走り始める。2km弱走ったところで、ようやく平城京跡にたどり着いた。正直ここまでの道のりは特に見るべきものがない単調なもので、「はやく着かないかな」の一心だった。ここから先は退屈な日常を壮大な歴史が異化してくれるはずだ。楽しみ!

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結果、これである。何もない。誰かの説明がなければ、この地にかつて都が栄えていたなどと誰が信じようか? いや、説明があったとしても「またまた、ご冗談を」と軽く流してもおかしくはない。もはや歴史学よりも考古学に片足を突っ込んでいるレベルだ。

しかし、これを求めてはるばる(所用のついでだが)やってきたのだ。この何もなさこそが、私の想像力、例えるならば『マイマイ新子魂』を喚起するのだ。この、今となっては跡形もない文明の残骸を噛みしめながらゆっくりと走り抜けていく。厳かな気分で。

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気持ちよく走っているところを邪魔するかのように、ばかデカい門がそびえ立っている。観光客向けのサービスだろうが、こんなのものは不要なのだ。無粋にもほどがある。

気を取り直して先に進む。次の目的地は古墳である。最近、身の回りで『古墳ラン』がちょっとしたブームなので、いっちょかみするのだ。アーリーアダプターな俺、なかなかイケてるのではないか?

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自画自賛しているうちに到着した。宝来山古墳、またの名を垂仁天皇陵。「デカいな…」心の中で思わず呟いた。内部立ち入り禁止だった。
仕方がない。先に進もう。

道なりに進むと、唐招提寺に到着した。閉門時間を過ぎているので、中には入らず、そのまま薬師寺に向かった。ほんの数百mで薬師寺に到着した。ここも概ね閉門時間を過ぎていたが、ごく一部だけはギリギリ入ることができた。

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残念なことに、お坊さんの面白い話は聞くことができなかった。
薬師寺の目と鼻の先に近鉄の駅がある。ここをゴールにして、電車に乗り込もう。

大和西大寺に戻る車内で思いを巡らせる。修学旅行で奈良をスルーした若き日の私。今となっては、なんてもったいない事をしたのだろうかと思うのだ。しかし、その歳になりその趣味を持ってしかわからない楽しみがあるのだから、それも仕方がないことだと、改めて思い直した。

高校時代の私が、もし今の私を見たら間違いなく驚くだろう。その時、私は「奈良の良さを味わうなんてお前にはまだ早い。京都の喫茶店でタバコでも吸ってろ。」と言い返すに違いない。
そんな妄想をしてしまうほど、奈良という土地は奥が深いのであった。


次回予告

金沢で『横恋慕』を走る

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