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皇居で『境界』を走る " 旅先で「日常」を走る 〜episode 1〜 東京編 "

前回のあらすじ

旅先で『日常』を走る 〜episode 0 〜 

“ 淡々と繰り返されていく日常の単調さに息苦しさを感じ、(主にスマホの中で日々展開される)非日常の世界に逃避することによってやりすごす。皆さまにも多少の心当たりはあるのでは?しかし生活に根付かない非日常への逃避は、問題の解決にはならないだろう。自分自身の人生をより豊かにするためには、「ちょっとだけ違ったかたちの日常」を自ら用意する必要がある。たとえば、『旅先で走る』のはどうだろうか? ”

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皇居で「境界」を走る 
【 旅先で「日常」を走る 〜episode 1〜 東京編 】

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第一回目に東京を選んだ理由

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旅先で走ると言うテーマで連載をすることにした。その第一回目として、どこから始めるのがふさわしいのかとしばし考えた。
旅先と言うのなら少なくとも電車やらバスやら飛行機に乗って結構な距離を移動し、軽く一泊ぐらいする程度の距離感の場所が適しているのだろうか? そして、テレビや雑誌でしか見たことのない風景の中をさっそうと駆け抜ける。そういったシチュエーションを書くのが無難なのかもしれない。
しかし全47回にわたる連載を構想する中で、やはり第一回目はわが地元、生まれ育った東京から始めようと思う。

私は東京23区内で生まれ育った。こう書くといかにも都会っ子のように見えるが、実は住んでいるのは23区のはずれ、多摩川を渡ると神奈川県というロケーションだ。

ものの本には東京は山手と下町で分断されていると書いてあることが多い。確かに昔はそうだったのだろう、明治維新から終戦くらいまでは。
しかし戦後生まれの我々の実感からすると坂の上とか下よりももっと大きな分断、いうなれば結界とでも呼ぶべき境界線がくっきりと存在している。

それは『山手線』という境界である。


山手線という心理的な境界

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皆さんもご存知の通り、ここ100年位の都内の住宅地開発は山手線の駅をターミナルとして郊外に扇状に広がった私鉄沿線を中心に行われてきた。なので山手線の内側は、基本的には人が住むような仕様にはなっていないのだ。

企業活動や司法や立法や行政の活動が主に行われている場所であり、23区民の私でも特に用事がない限りは足を踏み入れるような場所ではない。

私も来月で47歳になるが、わざわざ山手線の内側に足を踏み入れる事はほとんどないままに今までの人生を過ごしてきた。私にとって山手線の内側は『旅先』と同様であると言っても過言ではない。

しかし、そんな私にとってなじみのない山手線の内側で、継続的に走る機会がひょんな事から生まれたのである。


ふとしたきっかけからの皇居ラン

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私がランニングを始めたのは一昨年(2018年)の10月である。時を同じくして、当時勤めていた会社で大手町に新業態をオープンさせるプロジェクトが立ち上がり、私がその担当者になった。

そもそも私がその会社に入ったのは、寿司屋しかやったことがないその会社でとんかつ屋を立ち上げるためだった。なにを隠そう、私はとんかつ業界最大手の企業で新卒から15年間、マネージャーとしてバリバリ働いたキャリアがあったのだ。

ところがとんかつ屋を始める話はなかなか進展せず、鮨ダイニングと言う業態を担当することになった。

鮨ダイニングの店は年末にオープンししばらくはバタバタしていたが、3ヶ月もするとお店もだいぶ落ち着き、正直あまりやることがなくなった。だが本来私が担当するはずのとんかつ屋の話はこの期に及んでも進展する事はなく、端的に言って干されている状態になった。

とりあえず毎日出勤し忙しい時間帯だけお店を手伝い、あとは自分で無理矢理仕事を見つけて日々過ごしていたが、一秒たりとも残業する必要のない職場だ。とりあえず空いた時間で走ろうかと思い立ち、職場の近くを走ることにした。

そこがたまたま『ランナーのメッカ』と呼ばれる皇居であった。


ランステという非日常な装置

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まずはネットで調べて、竹橋にある『Run Pit』と言うランステ(ランニングステーション)に行った。そこは手ぶらで行ってもランニングウェアからシューズ、さらにはバスタオルまで貸してもらえるという、ランナーにとっての理想郷と呼んでも過言ではない場所だった。

さっそく会員登録を済ませSuicaで会計する。そこで、唐突に店員さんから「正方形と細長いかたちはどちらがよろしいですか?」と意味不明な質問を受けた。私はランステ初心者だと思われるのが癪なので、平静を装って「細長い方で」と答えた。するとロッカーキーが手渡され、「ごゆっくりどうぞ」と声を掛けられた。

ついにロッカールームに足を踏み入れる。どうやら土足厳禁のようだ。靴を脱いだが下駄箱らしきものが見当たらない。仕方ないので脱いだ靴を持って中に入った。

ロッカーの形は2種類あった。ひとつは正方形のもの、もう一つは細長いものだった。さっき受付の若いアンちゃんに聞かれたのはこの事だったのか。
鍵を差し込みロッカーの扉を開ける。特に説明も書いてないが「ここに靴をおけ」とばかりにちょうどいいサイズのトレイが置いてあったので、そこに靴を置いた。

ハンガーもいくつか備え付けられてあり、仕事帰りの私にとってはとても重宝した。周りを見渡すと、他にも仕事帰りとおぼしき利用者が多く見受けられた。
ここまできて、自分の気持ちがいつになく弾んでいることに初めて気づいた。ちょっとした非日常の気分になる。

さっき借りたランニングウェアに着替える。準備は万端だ。
あとはシューズの紐を締め、出発するのみだ!


信号なきセカイを走り抜ける

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さっそく走り始めよう。当初は準備運動の大切さなど知らずいきなり走り始めたが、今は違う。準備運動は入念に行い、身体と心を整える。
皇居ランのルールは逆時計回り。コースはもちろん皇居を取り囲む内堀に沿った道。一周はちょうど5km。信号はひとつもない。

竹橋をスタートするとまず最初に登りが来る。いきなりスタミナを奪われることに辟易していると、右手に東京国立近代美術館が見える。もう少し進むと北の丸公園への入り口がある。ここを右に入ると日本武道館、そして靖国神社。だがそちらには寄り道しない。1キロちょっと走ったところでようやく登りが終わり、左にカーブする。

左手が千鳥ヶ淵、桜の名所。インターバル走をする人たちはここをゴールにしたり、休憩したりしている。もう少しまっすぐ進むと左手の視界が大きく開けて、長い下り坂に入る。勢い付きすぎて転ばないように気をつけながら、それでもスピードを早めて1キロほど一気にくだる。

下りきったところで左手に桜田門が見える。カーブして門をくぐる。ここが皇居ランでのスタート地点として最もポピュラーな場所。
砂利道が心地よくこのまま進みたいが、その先はランニング禁止区域である。諦めて歩道へ出る。

ここからゴールの手前までは1.5kmほどひたすらまっすぐ進む。下り道で飛ばしすぎるとここでバテてペースダウンしてしまう。気を付けよう。また、並走するランナーのペースに惑わされると自分のペースが狂う。まさに、ここは自分との戦いに終始する区間である。
この難関を乗り越えたところで、左に曲がるとゴールはすぐそこだ。

一周で済ますのか、もう一周するのかでペース配分は変わるが、一周で済ませるなら5分/kmは切りたいところだ。どっちにせよ、春でも夏でも秋でも冬でも季節は関係なく、とにかく汗だくになる…

空いているベンチを見つけ、腰かける。乱れた息を整えながら、額の汗を拭う。拭っても拭っても、汗は引かない。むしろ走り終えてからの方が、発汗が激しくなる。

徐々に呼吸は落ち着きを見せ、発汗のせいか火照った身体もクールダウンしつつある。疲労感が身体全体にまとわりついているが、倦怠感は感じない。むしろ爽快感に満ちあふれている。学生時代に体育の授業をサボってばかりいた私が、まさかオッサンになってから走るようになるとは自分でも信じられないが、当時を知る人が見たら腰を抜かすだろう。誰にも指図されずに自分の身体と向き合うことがこんなにも楽しいことだとは、45歳になるまで知らなかったのだ。

さあ、あと少しだけ休憩したらランステに戻って、シャワールームで汗を流そう。


右手に日常、左手に非日常

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結局とんかつ屋の話は日の目を見ることなく、私はその会社を辞めた。
しかし皇居ランは、頻度が少し減ったとはいえ今でも続けている。

なぜなら、皇居ランに他では味わえない独特の魅力を発見したからだ。

わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市全体がめぐっている。

ロラン・バルトは『表徴の帝国』のなかで皇居についてこう書いている。


東京都千代田区千代田1丁目1番地。よくも悪くも日本を象徴する空虚な中心。ランニングコースを境として、内側にはまさに非日常がある。対して外側は日本の政治経済を司る大いなる日常が存在している。

私は皇居を走り続けるうちに、ここにふたつ目の境界を発見した。

先ほども書いたとおり、皇居ランのルールは逆時計回り。したがって皇居を走る我々にとって常に右手には日常、左手には非日常が存在する。あえてルールを逸脱しない限り、左右が反転する事は無い。

そして私を含めた皇居を走る人たちの多くは近くの企業に勤めるオフィスワーカーであり、1年を通して同じコースを走り続ける人である。

我々にとって、1年中ずっと左手には都会には似つかわしくないほどの緑と静寂をたたえた『空虚な中心』があり、これ以上ないほどのぜいたくな定点観測を続けているのだ。

これこそが、まさに私が求めていた『ちょっと違ったかたちの日常』そのものではないか?

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追記

などと知った風なことを主張していたのだが、この発見にはひとつだけ大きな勘違いがあった。

2020年5月。日本全域が緊急事態宣言下にある。不要不急の外出は自粛要請を受けている。しかし、私にとって皇居ランは日常そのものなので気にせず皇居まで走りに来た。とはいえ、不特定多数との濃厚接触を避けるために、公共交通機関を使わず自宅から11kmほど走ってきた程度には、常識人(自称)なのだ。

そして日本中、いや世界中が緩やかな非日常に覆われているこの状況であらためて皇居の周囲、日常と非日常の境界を走り抜けた。結果として、今まで自分がとんでもない勘違いをしていたことに気付いたのである。
緊急事態下で、右手のビジネス街が『非日常』に、左手の皇居が『日常』になる逆転現象が起こってしまったことに。

走る私が右手に携えるオフィス街は、テレワークの浸透によりすっかり閑散としている。私がかつて勤務していた飲食店も休業を続けている。一方で私の左手に携えている皇居といえば、呆れるほどにいつも通りだった。まるで普段走っている時とは左右が反転してしまったような不思議な感覚が生じた。いや、これまで勝手に日常だと感じていた右側が勝手に変わってしまっただけなのか…

政治や経済の中心地が非日常に覆われる中、都会には似つかわしくないほどの緑と静寂をたたえた『空虚な中心』がある。東京都千代田区千代田1丁目1番地。よくも悪くも日本を象徴する、この存在の変わらなさこそが日常そのものだったのである。文化や歴史の重みというか恐ろしさを垣間見た気分になった…

私にとって走ることは『ちょっと違った日常』のバリエーションを増やし、日常を豊かにする行為だ。走り続けていなければ、こんな発見はなかったはずだ。この出来事を通じて、走るという行為によってもたらされる、とてつもない豊かさがあることに気付かされたのであった。


次回予告

京都で『歴史』を走る

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