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自己表出と武器だけが人を殺すことができる

言葉は、取り扱いに細心の注意を払わなければならない劇薬である。SNSが発展した結果、感情が乗せられた言葉が、遠く離れている人にも光速で突き刺さっていく。言葉が凶器となって人の命をも奪ってしまう現状を見るに、その取り扱いには慎重にならざるを得ない。どのように言葉を扱えば良いのか?

そのヒントになるであろう作品と最近出会った。以下に紹介しよう。

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昨年の秋から『PLANETS School』というオンライン講義を受講している。宇野常寛さんを講師に、「発信できる人になる」をテーマとした連続講義である。宇野さんがこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有するスタイルだ。この講座を半年ほど受講している中で、あるキーワードが特に印象に残った。それは『指示表出』と『自己表出』という対象的な概念である。

『指示表出』とは文字通り何かを指し示す言葉。メッセージを伝達することが目的である。一方で『自己表出』とは、それ自体が感情を表す言葉だ。宇野さんは「すでに指示表出はほとんどシステムで代替可能となっている。つまり、自己表出にしか文章のアドバンテージはない」と評している。
普段、ビジネス文書という手段で『指示表出』のコミュニケーションしか取ってこなかった私にとって、宇野さんのこの言及はカルチャーショックだった。書く行為を習得していく中で、『自己表出』とはなんぞ?というテーマが私にとって最重要となった。

この『自己表出』について、私が最近たまたま視聴したある作品の中で、非常によく描かれていた。その作品は、京都アニメーションが製作した『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』である。

【あらすじ】
心を持たない『武器』として育てられた少女・ヴァイオレット。戦場で多くの人命を奪いながら、自らも瀕死の重傷を負ったヴァイオレットは、なんとか一命を取り留め、郵便局で自動手記人形として働きはじめる。ヴァイオレットには、かつて戦場で誰よりも大切な人ギルベルト少佐がいた。少佐が口にした「愛してる」という言葉の意味を理解できなかった彼女は、仕事と日常を通じて、その言葉の意味を探していく。


私がこの作品を観て強烈に感じたのは、『指示表出』しか知らない少女が『自己表出』を獲得していく物語である、ということだ。

少女時代のヴァイオレットは感情を持たない一個体に過ぎなかった。縁あって少佐に拾われた時には満足に言葉も話せなかったほどだ。一方でその殺傷力は飛び抜けていた。言い換えると、彼女は『指示表出』しか持たない存在であった。しかし少佐と行動を共にするに従って、ヴァイオレットは少しづつ人としての心を獲得する様になっていく。少佐と過ごす中で、彼女にとってターニングポイントとなった出来事は3つある。

まず一つ目は、『名付けられた』こと。
名無しの殺戮マシーンだった存在に、少佐はヴァイオレットと名付けた。庭先に咲いているその名の花のような、優美な女性に育ってほしいという少佐の想いが込められている。
名付けられた瞬間に彼女は他の存在と分節されて、特別な存在になる。名前を呼ばれる。呼ばれることによって自分と相手の輪郭が明確になる。

次に二つ目は、『美しい』を知ったこと。
ヴァイオレットは縁日の夜店で少佐から碧緑色のブローチをプレゼントされる。彼女は少佐の瞳と同じ色をたたえているそのブローチを自ら選んだ。この色を彼女が選んだ根拠を、少佐は「美しい」という言葉で表出した。ここで彼女は美の概念を獲得した。美を知ることで、自分自身の価値観が明確になる。美醜・好嫌・善悪etc…

最後に三つ目は、『愛してる』を知ったこと。
ヴァイオレットは少佐と共に敵の銃撃に遭ってしまう。もう自分は助からないと悟った少佐は、ヴァイオレットに「生きてくれ」と「愛してる」の二つのメッセージを遺した。ヴァイオレットは少佐を失った深い悲しみに苛まれるが、その感情が『愛してる』に由来するものであるとは気づいていない。そして彼女は『愛してる』を知るために、自動手記人形という仕事に就く。

見知らぬ人々の『自己表出』を受け止め、それを一通の手紙にしたためていく。それが自動手記人形の仕事である。『指示表出』しかないヴァイオレットには、初めは報告書のような手紙しか書くことができなかった。上手くいかないことも多く試行錯誤しながらも、ヴァイオレットは少しづつ『自己表出』を文字通り学習していく。
『うれしい』を、『ありがとう』を、そして『寂しい』を知り、自分の心の中に存在している感情や想いが、少しづつ明確になっていく。そして学習が一定のレベルを超えたところで、彼女は『愛してる』を自分自身の中に発見した。

『愛してる』とは、自分と対象の境界が曖昧になり溶解していくことである。少佐はいなくなってしまったが、ヴァイオレットの内面には少佐の存在が大きな位置を占めて、彼女とともに生き続ける。
『愛してる』を獲得した後のヴァイオレットは、優秀な自動手記人形として、依頼者が話す物語の中からその人が伝えたい本当の心(=『自己表出』)をすくい上げることができるようになった。そして、自らに関わる人たちに救いを与える存在に成長していく。

京アニ特有の美しい背景や世界観と相まって、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のストーリーは、私を含めた多くの観客の心を震わせた。私はこの作品に触れることによって、『自己表出』こそが持つ、人の心を動かす特性と強靭さを思い知ったのである。

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言葉、特に『自己表出』は人の命を奪うこともできる反面、魂を救済することもできる。言葉は取り扱いに細心の注意を払わなければならない劇薬である。特に、遠く離れている人にも光速で自分の感情が届いてしまうSNS、この世界に蔓延しているのは『早い自己表出』である。
今やSNSは、フラストレーションを発露するためのプラットフォームになっている。半匿名のアカウントから発生する、つぶやきという名の便所の落書き。発している当人はモノローグであると捉えていることも多いようだが、その言霊はターゲットに向けて光速で刺さっていく。

一方で手紙を書く行為は、自分の内面と向き合って、思考や感情を整理して要点をまとめたり、封をする前に通して読み直したりするプロセスを辿る。このプロセスによって、言葉そのものが持つ危険性が中和されるのではないかと思う。SNSでの発信という衝動型で早くて便利な価値観に対抗する、手紙を書くという熟慮型で遅くて不便な価値観、すなわち『遅い自己表出』である。

『早い自己表出』が蔓延する世界を少しでも良くしていくためには、このような『遅い自己表出』を一つひとつ世界に蒔いていくこと。またそれだけではなく、『早い自己表出』で人を傷つけた過去を持つ人たちにも、自らを省みて行動を変えさせるきっかけになり得ること。私はそれが非常に重要だと感じている。
なぜなら、ヴァイオレットはかつての大量殺戮者であり、「自分にこの仕事をする資格があるのか?」「生きていく資格があるのか?」と逡巡する彼女を救ったのは、仕事仲間からの手紙(=『遅い自己表出』)だったのだから。

良い行いも悪い行いも、過去を消すことは不可能である。それならば過去の行いを悔いながら、その償いとして今からはより善く行動する。犯した罪の重さによっては取り返しのつかないこともあろうが、だからこそ不可逆的に進んで行く時の流れに逆らわず、前を向いて、世界に対して善い行動を、そして『遅い自己表出』を。


『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』、この作品を生み出し世に問うた制作陣の志に報いるためにも、『遅い自己表出』で世界に触れていきたい。

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