見出し画像

重なりあう矢印

「ビックアメリカンドック」  100円


レシートの紙を天井に透かすと、容易に文字が読み取れる。AM5時、一人の部屋で、あほ面をする自分に呆れながら。

じゃあなんで人間の心は、こんなに読み取れないものなんだろう。

私はサブテキスト(言葉には発しない人間の内側で思っていること)が読めない。額面通りに受け取ってしまう。だから私は、「絵里ちゃん嫌い。」と言われたら、あの子は私が嫌いなんだ。と受け取るし、「私たち、仲良しだよね」と言われたら、仲良しなんだ。と思う。つまり、悪く言えば単純で無知でよく言えば純粋だ。

サブテキストが読めないと、無駄に傷つくし、コミュニケ―ションがうまく図れない。くそー、今の私だったら、あの子は私のことが好きだったんだ。って気づいてあげられたのに。

私は、インスタグラムを辞めた。(今は投稿しないアカウントを所有中)そのアカウントには、自分の作った料理や日々の思い出の写真を載せていた。何度かやめたくなったけど、友達が楽しみにしてると言ってくれたから、続けていた。

けれど自分の中で決定的な出来事が起こり、辞めることにした。

何気なく、母親とアーティストのライブに行ったときの写真をストーリーに載せようと思った。アドレナリンも出ているから、シェアしたい気持ちが爆発しているはず。当時の私にはそんなに難しいことではなかった。


でも、一度冷静になった。


どうして、この投稿をするんだろう?

おめかしした自分を見てほしいから?好きなアーティストを知ってほしいから?ライブの素晴らしさを共有したいから?



ちがうちがう。そうじゃない。



私は、母親と仲良しアピールがしたいだけだったんだ。


そのことに気が付いた瞬間、自己に対して異常な気味の悪さが襲いかかってきた。何より、一番大好きな母親を自己アピールのために利用している感覚が許せなかったのだ。


そこから、もう一度自分自身の内なるサブテキストにアンテナを立てて生活している。友人の行動や言動ももちろんそう。読者の方は、この作者随分と「生きにくいだろうな。」と思われるだろう。その感想は正解100点はなまるつきだ。


でも、一度気づいた気持ちを無視できないし、大切にしたい。他者との会話でも相手の隠れた本心を見つけ出して、できるだけ求めている言葉に近づけるように。


苦しいけれど、そのために心は見えなくなっているんじゃないのかな。


先生に言われた言葉。


「人間の言葉や行動に、意味がないことなんてひとつもないんだよ。」


当たり前のことなのに、どこかホッとする自分がいた。みんな、自分の気持ちを大切にして、生きていると思えたから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?