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愛という温かいもの

久しぶりに実家の母と会ったのは2年前の秋のことでした。

電話では時々話していましたが実際に会って顔を見るのは8年ぶりでした。

母はその時「パーキンソン病」という病気を患っていて普通には歩けなくなっていました。

家の中にいても、転んで簡単に倒れてしまい自分ひとりの力では起き上ることができず、外に出るには家の前の傾斜のある道を上り下りしないといけないので自分一人ではゴミ出しも買い物もできなくなっていました。

私は大きな衝撃を受けました。
最初は言葉が出ませんでした。

電話で話している時の母の声はとてもしっかりとしていたからです。

だけど実際にそこにいる母は体がすっかり弱ってしまって座っていても自分の体を支えることができなくて、おかしなゆがんだ姿勢しか取れなくなってしまっていました。

その後判明したのですが、母は一か月くらいちゃんと食事を摂っていなかったので筋肉が細くなってしまって自分で体を支えることができなくなってしまっていたんです。

その理由は思い込み。

母曰く、熱中症になってしまって病院に入院していた時に出ていた食事がとても少なかったから「自分はそのくらいしか食べてはいけない」と思い込んでいたそうなのです。

その思い込みは深く強く母の中に沁み込んでしまっていてなかなか外れてはくれなくて、それを訂正するためには時間がかなりかかってしまい、とても大変な思いをしました。

少しずつ少しずつ食事の量を増やしていくと、母はしっかりとした姿勢が取れるようになって体も変わっていきました。

それでもやはり病気のせいで普通の生活はできなくてかなり介助が必要でした。

8年ぶりに会った母の以前より年老いた姿を見て、私は大きなショックを受けましたし、それまで忙しく暮らしていて意識せずにすんでいた長い時間の流れを感じずにはいられませんでした。

私たちは確実に変わっていました。
そのことを母の老いから知ることはとてもつらいものでした。

心はまだしっかりとしていたけれど母は普通に動けない体になってしまっていて、誰が見てもこれから一人で暮らしてはいけないということがはっきり分かる状態でした。

病気になっていなければ違っていたと思います。

母の同年のお友達は自転車に乗ったり車を運転したり家事をこなして家族を支えたりと、みんな自立した生活をされていました。

自分自身がそうなってしまっていても、母は「一人で暮らす」と言い張って周り中の人間を困らせていました。

そのためにそれまで懇意につき合ってくださっていた母の妹に当たるおばさんから「もうこれまでのようにはつき合えない」とはっきりと言われてしまい、母の今後のことをどうしていけばいいのか判断がつかなくて本当に困りました。

母は私にそっと「(私をあなたの家に連れていったら)苦労するよ」とつぶやきました。

母はこんなに弱ってしまって心細い立場になっても私のことを慮って母親として私を心配して、自分を犠牲にしようとしている。

そう感じて心がとても熱くなって、つい、「大丈夫だからついておいで!」なんて強気なことを母に向かって言ってしまったのです。その時は、その後に始まってしまうどうしようもない混乱なんて想像もしていませんでした。

とにかく「母を守りたい」「どうにかして助けてあげたい」その思いだけでいっぱいで他のことなんて全然考えていませんでした。


あの頃の母と二人の生活を思い出すといつも泣きたくなってしまいます。

もう決して戻ってこない二人だけの日々は私にとってかけがえのない大切な思い出で大切な宝物です。

ちょうど秋の時期だったので日差しが少し柔らかくなっていて、少しだけ靄のかかった薄水色の空の下を二人で病院に行ったり、母のために買い物をして急いで家に帰ったり、それまではしてあげられなかったいろんなことをしてあげることができました。

夜母がトイレに行く度に起きたり、昼間は用事を済ますためにいろんなところに行かなくてはならなくて疲れ果ててはいましたが、それでも頑張ることが出来たのは「母を助けてあげたい」という気持ちがあったからだと思います。

本当にあの頃はものすごく疲れていました。

その状況は母が私たちの家に来て、こちらで施設に入所するまでずっと続いたので、私の体力が回復するのに一年以上かかってしまいました。

そのために日常生活がままならなくなってしまった時期もあります。


パーキンソン病には認知機能が落ちてしまうという症状もあるようで、時々母はとんでもないことを急に言い出したりしていました。

なので母に認知機能を調べてもらえる病院に行くことを提案したのですが、「かかりつけのお医者さんに大丈夫だと言われたから」と言って断られました。

「その先生に大丈夫だと言われたのだからそんなこと絶対にできない」、母はそう言って断固として譲りません。

かかりつけのお医者さんの診断を信じたい。もしも病院に行くならここから遠くに離れてからでないと嫌だ。というのです。

母が診ていただていた女医さんは、若い時からずっと母を診てくださっていた方で、健康のことで心配や困ったことがあると必ずその方に相談していたようなのです。

母はそのお医者さんに大きな恩義を感じていて、その先生の判断に傷がついてしまう可能性のあることをするのは嫌だというのです。

そのことを知った時、私は母をそれまでとは違う新たな視点で見るようになりました。

私に迷惑をかけたくないから自分一人で暮らすという母。
長い間お世話になった女医さんを大切に思い、その信念をを貫く母。

そういう母を切り捨ててしまうことがどうしてもできなくて、私は母を守る立場を取り続けました。


母と実家を離れて私の家に連れて帰る前、必要があって母の病気の診,断書を書いていただくためにその女医さんの病院に母と一緒に伺った時、その女医さんは私にそっと「親孝行な娘さんだね」って言ってくれて、母には「可愛がってもらいなさいね」と諭すように話してあげてくれました。

母は黙ってそれを聞いていました。
表情も普通のままでした。

その時の記憶が母の中に今でも残っているのかは私には分かりません。

だけど母の中にある人としての思いや心、そういうものに触れたことで彼女を一人の人としてできる限り尊重しなければいけないということを、その時とても強く感じて、彼女の人間としての尊厳をできる限り守ってあげたいと心から強く思ったんです。

今の私の命や立場は母が育ててくれたものです。

母の中のまじめな硬い信念のようなもの。
それがよくも悪くも今の私という人間に影響を与えていて、今の私が存在しているような気がしています。


小さな小さな誰にも相手にしてもらえないような母や私の存在も、かけがえのない大切な命だし人生です。

それを守り続けるためにいろんなことが犠牲になってしまっても、いいえ、犠牲になってしまったからこそ、それでも守らなければいけないと思うんです。

「愛」というものは、甘くて優しいものというより、強い風に吹かれても、どんな嵐に巻き込まれても、変わらない思いで守り続けていかないといけないというような厳しく重いものだから、その前に立つ度にいつでも足が竦みます。

それでも母を守りたい。
最後まで人として。

そのことで自分自身も変わっていける。

そんなこと言っている余裕なんてないようなとても厳しい状況ですが、それでも私は母のことも自分のことも守りたい。

そう思っています。



#一人じゃ気づけなかったこと

ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。