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その人達の考えてることと、今私が直面していること。

 その人達の考えていることは、私から奪っていくことだけなので、離れてしまえばいいということ。

 離れても離れても必死になって追いかけてきてやめないのは、私以外にもう、お金を取り上げられる人がいなくなってしまったということ。

 彼女は誰かから奪っていないと生きられない人だということなんだと思います。

 花咲かじいさんのお話に出てくる欲張りじいさんは、何時も正直じいさんを観察してる。
 観察はしているけれど、自分下は何もせずに正直じいさんから奪ってばかりいて自分では何もしません。 
 だから何も手に入れられない。
 沢山奪って壊しているのにです。

 正直じいさんは、奪われても壊されても、自分で何かを作るから、沢山のものを手に入れていく。お殿様にもご褒美をもらう。

 欲張っても欲張っても、欲張りじいさんは何も手に入れられない。
 昔話ってうまくできているなぁ、て思います。

 私の結婚していた人のお母さんは最悪です。
 奪うことしか考え江いない。
 そして一緒に暮らしている長男の方に何もかも取り上げられても従いつつ私から何もかもを奪おうとして、悪循環から抜け出せなくなってしまっています。こんなことをどうしてやめないのか私にはわかりません。

 だからお金だけ潤沢に与えるのは間違っているような気がするのです。
 そんなことをするから無間地獄に落ちていく。
 どこかで子どもと自分を切り離す努力が絶対に必要だと彼女を見ていて思いました。子どもと私はお互いに精神的な自立が必要なんです。そのために、私が自立していないと駄目だと強く思うのです。

 私は多分、子どもより、元の夫より、そのお母さんより、ご長男より、精神的には自立できているかも知れないと考えるようになりました。

 私の自立への挑戦が成功しないと、子どもの人生は彼女のおもちゃになってしまいます。子どもは自分の人生を自分自身のものとして暮らせなくなってしまうのです。

 彼女のお人形遊びの中に組み込まれてしまうのは多分とても嫌でしょう。
 私なら、きっと逃げたいと思います。

 私の結婚生活は、追いかけて苦しめめてくる彼女との闘いの日々でした。
 その中で子どもにも、家にも、恵まれることができたこと。
 そして、自分の母のことをあらためて知ることができたことは、私にとって大きなことでした。

 それと同時に自分の夢に向かうことができることにもとても感謝しています。私を傷付けたり、困らせたりして喜んでいる人達はきっとどんなふうにしていてもそうなってしまう人たちだから、なるべく関係しないようにしていくことしかできません。

 その人達に最後まで自分で物やお金を配り続けるか、諦めて撤退するか、彼女がどうして行くのかは彼女次第だと、私は思っているのです。

 ものすごい欲張り。
 彼女の眼には、自分の獲物しか映ってはいません。

 爬虫類のような彼女に、温かい愛情を与えてくれる人がいるなら、その人の愛情にこたえて人間に戻ればいいのに。

 私は彼女を知ってから、人が嫌いになり、怖くなってしまいました。

 でも、その反対の部分で、私は人を好きになり、心を動かすこともできました。

 本当に不思議です。

 そして子どもに執着するよりも、自分自身の人生を見つめ直したいと思ったのです。

 まわりの人は私とは関係のない人たちで、私は彼女の言い分に従うつもりはありません。
 
 彼女がどんなに必死でも、私の心は変えられないし、私が彼女に従わなくても彼女は困らないはずです。

 彼女が私に執着するのは、彼女が自立できていないからで、それ以外でhあないからです。ずるずるべったりな関係性は、ない方がいいような気がしています。私が駄目な人間なら、私を追いかける必要はないはずで、彼女の言っていることは根本的なところで、大きく間違っている。私はそう思うのです。


 私のことが嫌いなら、私を離してしまえばいいだけで、私が彼女に気にいられなくてはならない理由なんてどこにも一つもないはずです。
 彼女の言っていることは根本的におかしいです。


 私は、自由。
 自由なはずです。

 私が自由になることをどうしてそんなに邪魔するのか、それが私には不思議です。私が彼女の言うなりにならなくても、彼女は普通に生きて行けるし、何も困らないはずだから。


 それよりも、彼女がいつまでも私のことを追いかけてくることの方がおかしいと思います。お金を取り上げたくて追いかけてくるその人のことを私は怖いとも滑稽だとも不思議だとも感じ続けていて、それと同時に私は、本当の意味で自由になるには、ここから離れていく以外ないとも思っているのです。追いかけてくるのを、もうここでやめて欲しいとも思う。

 私は彼女と他人だし、今の状況を作ったのは、彼女自身の判断も確実にあるはずです。

 彼女は汚い。
 ずるい人です。

 その人に負けるのは絶対に嫌なんです。


 彼女の本当にしなくてはいけなかったことは、自分も子どもも自立すること。精神的な部分でです。

 私を壊してお金を取る。
 私から奪うことしか考えていないその人達の心の中にあるものは、自分の責任を他の人に押し付けて、欲しいものはその人達から奪って、ズルをしたいということだけです。インチキしかする気がないというか。

 ご長男の方は、自分で全部の手続きをしてお父さんのものを全て相続されました。だからその人は、母親にも家にも、責任を取る覚悟を決めたんだと思いました。でもそうではなくて、もらうものだけもらって、嫌なものは他の人に押し付けることしか考えてはいなかった。その証拠に母親は、私を理不尽なやり方で追いかけて困らせてきています。

 恥の感覚があったら、自分の責任を私に(私は法律の上においてはもう赤の他人です)押し付けようとするなんて確実におかしいし、その母親もおかしいです。


 本当におかしな人達。
 彼らは汚い人たちです。
 そして恥の感覚がない。
 ズルが通れば何でもいいと考えているからです。

 私は絶対に自由にしかなりたくなくて彼らから離れました。
 彼らは、自分の責任を果たす気が全くないんです。
 ご長男がおうちやお母さまやお墓や全部にきちんと責任を果たしたら、違うと思いますし、それをきちんとさせることがお母さまのお仕事だと私には感じられるのですが。いかかでしょう?

 わたくしの考えでは、彼らの考えていることはかなり無理があると思うのです。それと同時にそのどさくさに紛れておかしなことをしている人に、気持ち悪いと言いたいです。欲の塊、汚い人達。私の子どもが傷ついているのはその人達におもねって私を、その子を、自分の都合に合わせて利用し用途している人達がいけないんです。私、彼女に虐待されています。その人の子ども達も孫もです。

 彼女は、自分のことを自分自身で、責任がとりたくないと、言っているような気がしています。そうでなければもうとっくに私を追いかけなくなっているはずです。執着を放さないのは、私から物やお金を取り上げてズルをすることしか考えていないからだと思ってしまうのです。

 彼女のズルは彼女のもので私のものではありません。
 私は彼女が嫌いです。
 そして彼女は激しく汚い。爽やかなところが全くない。
 その人の子ども達も同じです。
 いつも獲物を探している。
 狩猟民族です。

 
 私はそこから自由になりたいだけなんです。




 そしてそれは、可能なことだと思うんです。




 その人達の生き方は、私のものとは違うから、そして私、本当に自分らしい生き方を探したいと思うようになりました。

 母はそれを邪魔していたし、理解してはくれませんでした。
 でも私はそうしたいです。
 そして私が自由になって行くことで、子どもも自由にしてあげたいです。
 それは決して野放図なことではなく、本当の意味の自由です。

 その時に、自分どうしてもしてはいけないと思うことは絶対にしたくないから、そして暗いことも大嫌いだから、おかしな方向に進むのは嫌です。
 そして私、お隣にお金を配って困らせてくる汚い汚いその人達にさよならを言いたいです。

 さよなら、って、お別れしたい。
 本当に。


 ずるいことにお金を使ってインチキばかりしているその人達と縁を切りたいとしか思わないんです。

 自分で手続きして相続したのに、どうして自分の母親に責任を撮らないのか、私にはわかりません。ご長男が自分の努力で母親にきちんと責任を撮っていたら、彼女は私を追いかける必要はないはずです。

 そして子どもも自分から私を切り離したいと言っていました。
 それなら私がそこから離れて自分の夢を追いかけても別に問題なんてないと思ったのでそうしています。

 本当にずるいことしか考えていないその人達のことを考えた時、私は違う生き方をしたいと思うようになり、それを形にするために自分なりに頑張ってきただけです。

 私を陥れることで自分の思い通りにすることしか考えていない人達の中で暮らしてきて思うのは、そこから私は抜け出したいということだけでした。

 そんなところから抜け出して自由に生きたい。
 子どもにもそうして欲しいと思ったから、進学を勧めました。

 でも大学に行くことを必要としていない人も確実にいるような気がしています。

 その人達のことは、その人達の世界が決めていくことなので、私にはどうにもできません。

 私は私らしい世界を作ってその中で生きていきたいだけなんです。


 私から奪うより、ご長男をきちんと立てて二人でお家を立派にしていく。それが今、彼女のしなくてはいけないことだと思います。

 私は、私らしく、生きるていくことを頑張ります。


 私を傷付けて、わがままを通してしまった人達に執着はありません。
 そのことばかりいつまでも言い続けても仕方がないです。

 私は源氏物語の世界より、ハイジの世界、赤毛のアンの世界が好きです。
 それと同時に自由が好きです。

 そして彼女とはもう、つながりがありません。
 だからどうして追いかけてくるのか、全く理解できません。

 私、全体主義も体育会系もあんまり好きではないんです。
 それと同時に、かっこつけてるくせにいつも獲物を狙ってずるばかりしている自分のこと、どんなふうに感じているのか知りたいです。

 私、その人とはもう赤の他人です。
 そして彼女は間違っています。
 私を傷付けている段階で、大きく間違っています。

 私は誰のものでもなくて自分自身のものです。



 彼女にも、先生にも、迎合はしません。


 私らしく、私のまま、素敵になって行きたいだけです。


 私が結婚していた人のお母さんがお金を土地を取り上げて、他の人が私のことを自分の持ち物のようにしていくなんていうへんてこな筋書きに従うなんて絶対に嫌。

 ハイジは着せられた服を脱ぎながら山に登っていきました。
 デーテおばさんがその服を拾いながら追いかけていた。

 ハイジのようにのびのびといろんなことにとらわれずに生きることが私の願いです。クララはだから立てたんですもの。

 私が自分の思い通りにならないから傷つけてしまおうなんてそんなかっこ悪いこと、かっこいい人がする訳ないし、そんなにせこいことしないよね。って思うのです。


 爽やかが好きだし、インチキは好きじゃないし、気持ちわるい人は嫌い。

 好きな人は一人だけです。
 大体の人はんみんなそうですよね。


 私を守ることよりも、自分自身のわがままに走って私を傷付けた人なんて嫌いに決まっています。


 私には私の意思があるんです。
 私、元になんて戻らないし、他の人に都合のいいようになんてなりたく無いし、源氏物語も平家物語もそんなに好きじゃないんです。

  男尊女卑の考え方は好きじゃないから。


 しなやかに自由にのびのびと柔らかく。
 女性のいいところをもっと世の中のちからにしていくことができたら、少しずつでも何かが変わる、そんな気がしています。

 柔らかくしなやかに。


 私なんて小さなものでなんのちからもありません。
 それでも私、自分が好きです。

 そんな小さな存在の私を大切に思ってくれる人達がいて、それを壊そうとする人たちがいて、巧妙なやり方でからめとろうとする人がいて、それから守ろうとしてくれる人達もいて。

 私の世界はなんだかとてもカラフルで面白いです。

 それは誰とも共有できない私だけの世界だから、そしてほかの人もみんなその世界の中で生きているから、みんな孤独。

 その中で本当に大切だと思える人がいて、その人と大切にしあいながら息うrことができたら、本当に素敵だなって、思うんです。

 それは私だけの望みで誰とも共有できないとしても、それを望んでその方に行こうとすることは間違ってないような気がするのです。


 沢山の人と徒党を組んで困らせてくる人のことよりも、心を込めて私のことを大切にしてくれる人達の方が私にとっては大切だから、私は明に向かいたいんです。

 私、彼女のような考え方に自分をあてはめたいとは思わないんです。
 自分らしく自由に。
 そのために頑張りたいんです。


 私の結婚していた人は、お母さんから自立できていませんでした。
 それはその人のお母さんが子どもを自立させたくない人だったからです。
 いつまでも子どもに子どもでいて欲しいと必要以上に望む人でした。
 その人自身が自分として生きることができなかったから、子どもに自立させたくなかったんだと思います。

 でもそういう関係性ってある意味間違っているような気がするんですね。
 だから子どもは外に向かって放してあげた方がいいような気がするんです。
 外にその子の世界ができて、その子がその子自身として生きられる世界ができないといけないような気がしたから。

『君たちはどう生きるか』の映画を見た時に、主人公の少年が大人に案っていくためのイニシエーション、そんな印象を受けたのは、子どもと私がそれぞれの人生を引き受けてお互いに自立していく時期に見たからのような気がしています。

 そこをきちんと通り抜けないと、その後の人生が狂ってしまうような気がして、自分が変わることを大きく求められていると強く感じたんです。それは今の私の課題で他の誰かとは多分、共有できないことなんです。

『君たちはどう生きるか』の不思議な世界観は、誰かが見ている夢の中にいるような感じでもあると思っていて、あの世界は主人公の少年の精神世界、そんな気もするのです。

 彼は大きな岐路に立ち、その中で自分を新たに統合していく必要に迫られて、自分の中の混沌とした精神世界の中に入っていくしかなくなっていた。
 そこに誘ってくれたアオサギは彼自身の中のもう一人の彼でもあるような気もするし、彼を成長させるために存在していたもののような気もします。

 彼は大人になって行く。
 その時彼のお母さんも自分自身の運命を受け入れる覚悟をしてそれを彼にきちんと見せる。それは彼に大人になることを強要せずに覚悟をさせるきっかけにもなっているような印象も受けました。

 母親は、どこかで子どもと自分とはっきりと切り離さないといけないのかも知れません。  

 私自身もそうです。
 
 母とも子どもとも切り離された自分を今、作る時が来ています。
 頑張ります。

 

ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。