人生100年時代は「サードライフ」!?

こんにちは。

ありがたいことに時々講演のお話しをいただきます。去年は「リスクマネジメント」と「ドラッカー」に関するものをやらせて頂きました。今年はとある市から「高齢者の生活満足度」に関する講演のお話しを頂いています。

私の元々の専門は「高齢者の余暇活動」。なのである意味、とってもストライクな依頼を頂いたわけで・・・感謝です!

さて、頂いた「仮題」の中に「人生100年時代のセカンドライフ」というキーワードがありました。でも、この「セカンドライフ」。使われるようになってから結構経っているはずです(後日、図書館でちゃんと調べるつもり)。で、私に言わせれば、人生100年時代には「サードライフ」があるはずです。

といっても、特別なものというわけではなく、今までの「セカンドライフ」がそのまま「サードライフ」にシフトするようなイメージを私は持っています。じゃあ今までの「セカンドライフ」があったところには何が入るのか?ここが重要です!ここに労働と余暇の「ハーフ&ハーフ」が入ることが結構理想的なのではないかと個人的には思っています。

つまり、これまでの(フルタイムの)労働時間を半分くらいにして、残りの半分は余暇をしたり、ボランティアをしたり、勉強をしたり、社会的な活動をしたり、地域の活動に参加したり・・・今の60代、70代なら健康で気力が充実した人もたくさんいます、だから色んなことができるはずです。特に期待されるのが「プロボノ」です。かーんたんに説明すると、これは個人の専門的なスキルを生かした社会貢献活動を指します。

プロボノは「既存の有償サービスを毀損しない」という注意が必要ですが、経済的に有償サービスを利用できない人たちなどに対するものであれば、ものすごく立派な社会貢献活動だと思います。

ところで、なぜ生活の半分に「労働」をすることをお勧めするかというと、それは日本語の「余暇」という言葉の意味にも関係しています。日本語の「余暇」という単語を分解すると、「余った暇」という言葉になりますよね。この「余った暇」、何に対して「余った暇」かと言えば、そう、「労働」に対して余った時間のことを「余暇」と言っているのです。とは言っても、別に言葉の意味がそうだから半分は労働をしろ、と言っているわけではありません。日本人はまったく労働をしないで余暇だけ楽しむ、っていうことが結構苦手な人が多いんです。長期休みも上手く使いこなせないような人たちがいきなり仕事を引退して、生活時間のすべてが「暇」になると、まさに「暇を持て余して」不幸になってしまう人も多くいます。

だから、これまで考えられていた「セカンドライフ」は、これから「サードライフ」と呼んで、これからの「セカンドライフ」は「ハーフ&ハーフ」でいきませんか?というのが私の提案です。

なぁんてお話しを今度の講演の一部でさせてもらうかな、と思っています。

いかがでしょうか?

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