自分を生きる!良い子の「生詩なまうた」第59話

https://youtu.be/KvVArxi8ZcE

自由を愛するボヘミアン
自分という名の真実に向き合うこと

すべての人が、人生を自分に素直に本音で楽しめますように。

いつも誰かのせいにして?
いつも何かのせいにして、やらないことの言い訳にして生きてきた。
世間体を気にして、排除を恐れて自分という真実に向き合わずに逃げてきた。

不安だし、怖いし、失敗したらどうしよう・・・。逃げ腰の自分がいたことに気が付いた。
釈迦がなぜ出家したんだろう?世捨て人、ボヘミアンとなって・・・。

決められないのは、目的地がわからないから
人生の目的、魂の目的?

結局どうしたいの?自分に問う。

それは、主体的納得人生。
「あるがままの自分でいいんだって安心したい」
「この人生でよかったんだと納得したい」

答えは、20年以上も前のノートに書きなぐっていたじゃないか!
何回も!

潜在意識では知っていた、でもそれを具体的にする方法が情弱の私にはわからず
堂々巡りの思考の中で、モヤモヤしてもがいていた。

本の中に答えを求めて、さまよっていた。
自己啓発セミナーにもいくつか参加した、完全に情弱ノウハウコレクターになっていた。笑。

目的を明確にして、覚悟して進むだけだった。
やってみるだけだった。

目標が定まれば、猪突猛進。昔から、そうだったことに気が付いた。
目的が定まらなければ、同じところをぐるぐる酩酊する。

失敗を学びに変えて、成長して進むだけ。
人生とは、プロセス。その、道中に起こる「何か」そのものだ。

しなびた魂を復活させるもの・・・。
愛、感謝、尊敬の循環の中に有るもの
それが、人格、人徳につながって自己が実現してゆく

「自分でよかったんだ!と安心して人生を心豊かに生きたい!」
「この人生でよかったんだ!と納得して終わりを迎えたい!」

「何がしたいか?」わからないのは、開くべき自分(=自我)が無いから
主体がないから、欲求の発露と受け皿になるべき確認がない

「おいしいね」→「うん、そうだね」みたいな、対になる受け皿
同じものを見て「きれいだね」と共感する他者。

気持ちを表すボキャブラリーを増やす、感情を言語化することから
インプット過多、じゃなくてそろそろアウトプット重視へ切り替え必要
自らの内なる声に耳を傾け、心が動いたこと
喜怒哀楽に言葉を与えて・・・。

その声に理解を深めて受け入れて・・・。

「自分でいい」という安心感。
自分は、欲のあるただの人間。
ただの凡人。立派な人でなくていいから。
理想とは、他人の期待の幻想。そんな重荷、早くおろせ!
身軽になれ!鬱になって、命やられてしまう前に。

現実の自分の中の「生の声」を受け入れる。
「地に足着けて」人間は欲まみれの生きもの。

善も悪も心の中にあっていい、それが人間。
我々は、神じゃない、聖人君主でもない。
ただの人間!

そういう「欲まみれの自分」を愛せないで
どうやって、「欲まみれの他者」を愛せるのか?

世間体を気にする「いい子、いい人」は善良な市民ではあるが
ここぞとなったら自分という名の「真実」から逃げる
対立して、排除されるの怖いから。
本音を置き去りにして、嘘の顔で生きていく。

そのままの自分をまず、愛すことから、理解することから始めていこう。
満員電車と手あかのついた誇りまみれの世間体から脱出するのは
テクニックじゃなくて、「自愛」の心の発動から。

そこから出た、愛と感謝と尊敬の循環が社会の根底に流れたとき
一人ひとりが自分を愛して、心豊かに「一人の人間として」生きられる
本当の「社会」が実現される。
本当の「自己」が実現するように今の私は感じる。

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