生き辛さ脱出のキーワードは「越境」思考の壁を越えまくれ。

https://youtu.be/xGJLv9dQSys

佐伯 順子さん著書
女装と男装の文化史から
男性の女装とは衆目を引く歴史
古くは、ヤマトタケルのクマソ退治が有名らしい

また、「とりかえばや物語」という平安期に書かれた物語があるらしく
男女のきょうだいが「性転換」したまま成長する物語らしい
詳しくは下記URL参照ください。
https://mag.japaaan.com/archives/69617

ジェンダーについての意識は、周囲との比較、社会的な視線の中で形成される。
性に関する認識が、「自然」に存在するものでなく、社会的に構築される。
成長するにつれ、「自分らしさ」は「男らしさ」という役割認識へと変わる
「自分だけという世界認識」から、「他者共存認識世界」へ移行

なので、青年期には自我の目覚めがあり、異性と親密になることで、
草食系の男性も徐々に能動的な人格を確立していくのが一般的らしい
逆にある女性がジェンダーとしては、男らしく振舞っていても、性的な関係を迫られると気弱になるらしいです
男女の性関係=支配/被支配関係になる
俗世間の楽しみを捨てても、男性主導の人生を来るよりまし
尼になって世を捨てれば・・。ジェンダー越境して、女装僧(尼さん)として世間体から出家
という生き方も新しく出てくるのじゃないかと研究中です。

社会的な性であるジェンダーと生物学的な性を一致させることは、必ずしも本人にとって幸せではない
男性ジェンダーは相手の優位に立つ。女の幸せが結婚、出産という発想が単純すぎるぐらいに
当たり前に歴史的に刷り込まれている。→根底には、生きにくい男性優位の「昭和のおっさん社会の掟」
を脱出して、もっと自由闊達に生きたい!という女性の願望も実はあるんじゃないかと思う。

一般的な男性像や社会的規範としては、男性は戦場で戦うべきというような刷り込み
があるが、草食系の繊細さん男性は勉強が好きで学者肌の人も多いし、読書と創作に没頭
する私のような争い事が嫌いなアーティスト肌の男性もいるわけで。
ジェンダー上の「らしさ」のようなものを押し付けられると非常に生き辛いわけです。
映画「オルランド」に出てくる主人公も同じような立場から
創作上の葛藤も、戦場の戦いも同じだ!という勇気をもらえるメッセージを発しているし
「Same person、no difference」
性が変わったとしても、同じ人間、何も変わらない
「私は私」人格は、性別に左右されない。
というような言葉聞くとまことに元気が出てくるのであります。
世間は、ジェンダーによって、同じ人間の処遇を大幅に変化させる
カミングアウトによる社会的立場激変

beyond=垣根を超える取り払うというメッセージ性のある
UNI-SEXブランドなどがあれば、服とか買うのもっと楽しいかもしれませんね
チャイハネさんとか、ワークマンプラスなども最近気に入ってます。
飾りとしての(絵画とか観賞用の)象徴としての服→需要ないか?
つまり、観る観賞用の服

衣服は我々の世界観を変える。我に向ける世間の目を変える。
服を着るのではなく、社会的な「らしさ」によって、服に着られている
異性装による性的越境。これちょっと、今はやりの多拠点生活に似ている感じがしてます。

作家ウルフのジェンダー論によると
個々の人間の内面の男性性、女性性は流動的なものであると指摘。
周囲の人々に、突飛に見えるがそれは周囲の人々が杓子定規に女性は家事が上手
男性は権力的にといった、ステレオタイプの社会通念に相手を当てはめようとするがゆえに
生じる矛盾→決してそれは、病気や障害ではない。社会の側の理解の問題。思い込み、刷り込み。

ジェンダー(世間体)の束縛にとらわれない自由を謳歌しようとする
「恋」は「その人」に向うのであり、性別に向うのではない。
それと同じように、今までの社会通念にとらわれない、新型の創造型の社会人が
増えてくるとどんどん社会が生きやすく、多様性に富んでくるんではないかと思います。
例えば、同居という枠組みにとらわれないなど、硬直化した家族像や夫婦像に束縛されない
そんな人間の在り方も増えてくるんじゃないかと思います。
その人らしさ、人間らしさを生きる。「性」は人間の数だけ個性の数だけ、存在する
人間の性格や生き方の多様性は無限の可能性

キリスト教の影響がが大きい国では、異性装は旧約聖書の道徳観念に合わないらしいです。
目を覚ませ!OPEN YOUR EYES!
既得権者の世界観から脱出。誰が得をする?誰が幸せ?そして、あなたは自身は幸せですか?

人生の選択肢を増やすことが、ジェンダー論の目指すところものすごく重要な事なんだと認識
ジェンダーとは、人間の社会の根源を問う問題、生きることそのものについての問いである

トイレの男女の表示の色とかに違和感持ったことないですか?
あと、ランドセルの色の多様化最近すごくないですか?→多様化の表れですよね。

美しい男性とたくましい女性。生きやすさのヒントは、越境思考にある。
「らしさ」の他律から出る。そして、より「私として」生きる、一人の人間として生きる

性別という境界、限界を超えようとして手段として異性装という選択がある。
服は社会的な性を表すから。
病気じゃなく、障害じゃなく、解釈が間違っているだけ。思い込んでるだけ。
今の思考の中に、それを表す概念や言葉がないだけ。
じゃ、創ればいいじゃん!そう単純に思いました。
概念の創造による新しい言葉。旧い単一の価値観からあたらいい多様な価値観へ
世界はどんどん進化中。それは、情報が拡散され共有され、人々の理解の中に入ること。

私が死んでも私の作品と魂が誰かに引き継がれ永遠に生き続ける
垣根を超える越境者として、人としての魂に火をつけろ。なんか、そんな言葉が湧いてきました。
ジョンレノンや忌野清志郎さんの作品、実は死後に触れたんです。
すごい、迫力あって影響受けました。
結婚とか家族の在り方とか、概念越境、超越に挑む
人としての「私」を生きる、魂のあり様。

性的な従属は、政治的な従属につながる。
抑圧的な扱いを受け、思考的に室内監禁され、人形として扱われる。
性の商品化が起こると当事者の意志の抑圧や自己の主体を踏みにじられる。
例えば、この本には「指が小枝のようについ出ていた」ためになんと切断、去勢
されて、女として売り飛ばされるという醜い話も出てくる。
その話で、直感的に思い出したのが学生時代の勉強。躾や教育は、学生の私にとって
まさに去勢だった。

見る側の認識世界じゃなくて、世間体という「他律的自律という世界観」
魂の植民地から出ることは、自分を生きる上で最も大事なことだ。

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