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毎日短歌を50日やってみて

ある日思いたってそのまま50日、短歌(と呼べるものなのかいまだに自信はありませんが)書いてきました。キリも良いので一旦ここまでを振り返ってみたいと思います。

①なぜ短歌をやろうと思ったのか
短歌は完全に初心者、その他俳句とか詩とかもきちんと取り組んだことはありません。学校の授業でやったくらいなもので、5・7・5にしろ5・7・5・7・7にしろなんとなく窮屈だなと思っていたくらいです。文章を書くのは好きで、学生時代には小説なんてものを書いてみたこともありましたが自分で読んでもまったく面白くなく、小説家の凄さを感じるばかりでした。小説に限らず何かを生み出すというのには才能が必要で自分にはないのだなと自覚しようと努めました。けれどもなんとなく自分のなかで作りたいものはいつまでも残っている、そんな宙ぶらりんな気持ちで結局社会人になりクリエーターとはかけ離れた世界で、それでも日々は忙しく、時には忙しさに言い訳し、時に立ち止まってみたりと時間は過ぎていきます。
 前置きが長くなりましたがこういった大前提の「何かを作りたい」という気持ちがある日突然爆ぜた、というと実はそうではなく(大前提は動き出すには必要であったとは思いますが)気持ちの逃げ場所が見つからなかったというのが素直な理由です。
 コロナ禍のなかでまたわたしは立ち止まって考えていました。今の職で良いのかという定期的に起こる悩み。ただし今回は自分がいかに組織に依存し、言いなりとなって生きているかを強く自覚した分、いつもより強い気持ちで動くことができました。またこれまで本当に逃げ場を失くして努力をしたことがあるのか?そんな自責が頭に起こります。どこかセーフティネットを広げて物事にあたる自分を嫌いにはなれないけれど、直視できなかったのです。
 結果として端的に言えば「プログラミング」の勉強を始めました。(短歌となにも関係ないです。はい)何か汎用性のあるスキルを取得することで、組織に依存することなく、働き方や家族との生活の可能性を広げたいと考えました。プログラミングについては半年間、独学やスクール等自分なりに頑張ったといえるところまでは時間をつぎ込みましたがなかなか成果はでず(そんなに甘いものではないですね)少し気持ちが落ち始めていたとき、短歌を書こうと思いました。やっぱり唐突です。
 気持ちの逃げ場所というとすごく後ろ向きですし、そんなことに短歌を使うなという気もしますが、冒頭の大前提「表現したい」という気持ち、そしてプログラミングもそうですがどうにか収益化したいという焦りからそこから最も離れたものである(少なくともわたしにはそう思えた)短歌に無性にチャレンジしたくなりました。数ある表現のなかで短歌を選んだのは、始めるにあたってのハードルの低さ(紙とペンがあればできる、一応)もありますが、当初窮屈だと思っていた5・7・5・7・7という決まりが、救われるなと感じたこともあります。

②短歌をやってみて
 
救われるという表現が適切かは分かりませんが、自分の気持ちを表現するとき何の規制もなく、さあ書けと言われてもなかなか書けません。書けたとしても自己本位な自分側からの一方通行な文章となってしまうことが多くあります(少なくともわたしの場合は)。それは一見「自由」なように見えてとても偏った表現に帰着していると感じます。文字数の規定等ある程度の決まりがあるとそれが手掛かりとなり考えを整理し、自分を見つめなおすことを後押ししてくれる、そういった作用も期待できると思いました。
 この「制限があるからこそ自由になれる」という考えはきっと累積された、良くも悪くもある経験のなかで実感してきたものです。実際短歌をやってみてその感覚は間違ってないと思いました。5・7・5・7・7で表現することはとても難しい、でもその思考の過程は、制限がなにもない表現の道では決して通ることのない面白みや可能性を見せてくれる。当然過程だけでなく結果としての5・7・5・7・7のリズムはそもそも圧倒的に美しいわけですが。
 短歌をやってみて得たもの、気づきは他にもあります。そのなかで現時点で一番感じていることは「今を生きられる」ということです。また言葉で書くとオーバーな印象を受けますが、これはまず日々の気づきの感度が飛躍的に上がりました。道を歩いている、電車に乗っている、ご飯を食べている、流れるだけだった時間のなかで何か歌にはできないかという意識が入ることで思考が充実します。なにげないもののなかで新たな一面を見出したとき、たとえそれが歌に直結しなくとも自分のなかに育まれていくものを実感できました(嬉しさ、とまではいかないかもしれないさりげない感情ですが)。
 ・・・といったことも「今を生きられる」ということなのですが、それとともに嫌なシーンですらも今を生きられるということがこの50日間で一番の驚き、そして収獲でした。これまでただ早く時が過ぎれば良いなあ、と感じていたシーン、面倒くさいとしか思えず意識的に思考停止していたシーン、それすらも歌になるのではないかという感情を当てはめることで直視できるんですね。例えば息子(2歳)のおむつ替えもこれまでだったら「面倒くさい」の一言に尽きたのですが、あえて直視してみると色々な発見がある。限られた時期だけに体験できるものだということも俯瞰できるようになったりします。

③今後も。
 偉そうなこと書いても、まだ50日やっただけ、好き勝手詠んでいるだけなので短歌のレベルとしてはあまり成長しているかは正直よく分かりません。ここまで続けられたのはサークルに入れていただき、参加者の皆様の歌を読んだり、自分の歌を読んでもらったりするのが楽しいからといった単純な理由がかなり大きかったりもします。そもそも誰に言われたわけではないものでありますので、楽しみながらそして真剣に続けていけたらなと思っています。

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