タンナの人生における両親への最後の恨み言~恨み言を言う自分との決別

二つのお題を見てどうしても書きたくなったので書く。
決意表明だよん🫏



父方と母方の、おじいちゃんとおばあちゃんに伝えたい。
お前らのバカ息子とバカ娘はほんっっとにどうしようもない馬鹿だったぜ!!!!!!!

子供を気分でひっぱたく!
感情がコントロールできずに子供を蹴っ飛ばしてけがをさせる!
お互いの昔の恋人自慢を子供に聞かせる!
仲の悪さを子供に見せつける!
子供をいじめる時だけに協力する!
挙句の果てには、子供の貯金(弟は奨学金)を勝手に使う!

どうしようもない両親だよ!
立派なおじいちゃんとおばあちゃんみたいになれなかったんだよ、アンタらの子供は!
全く!!
難解殺してやりたいと思ったか!!!!
でも、親殺しはイヤ!!!!!!

と思っていた若かりし頃。
今もその思考は抜けきっておらず、時折顔を出す。


とは言え、すべては時間が解決するということわざの通りになっている現状もある。
私も弟もすでに自分で飯が食えるようになり、苦手な事務処理もできるようになった。
あれだけ縁のなかった色恋沙汰も何度か経験した。
引っ越しだって誰の力も借りずに一人で出来るし、ネット回線の契約だってお手の物。
信じられないことに、二人ともクレジットカードまで作っている!
両親にいじめられて泣いている兄弟の片割れを見て、自分じゃなくてよかったと喜んでいたあの日の二人とは違う。
肉体的にも、精神的にも。


つまり、もはや、子供とはいえない。
私と弟は大人になった。


なにより、二人とも過去に負った傷以上に生きる喜びを見出し始めた。
だから、私は憎かった両親を許す準備を始める(弟はまだみたい🫏)
実際には今まさにその最中。


ただ、誤解しないでほしいのは、年老いた母と悲惨な最期を遂げた父に同情したから許すわけじゃない。
私はクリスチャンだから……という理由でもない。
ただ、何かにケチをつけて生きるのを辞すことにした。


ケチをつけていたころは非常に楽だった。
これからもそういう状態になることはあるだろう。
しかし、そういう人間にはなりたくない。
両親がそうだったからだ。

確かに、ケチを付けざるを得ない状況というのはある。
ただ、それは状況であって状態ではない。
ずっとケチをつけていると結果的にいい方に行かない。
それは両親を見て学んだ事だ。

こうしてみると結構両親から学んでることが多い。
そのことに気が付いた瞬間、私は次に進むことにした。


両親が反面教師という幸運

いきなり両親への罵倒、しかも物質的に抵抗できないおじいちゃんとおばあちゃんに対して。
そんな始まりをしたnote、というか人生なのに両親という反面教師を得た自分の幸運を自覚している。

その幸運への感謝は、やはり両親に対して向けるべきだろう。
なにせ、両親が立派だとこうはいかないからね。


私はかつて家族が憎かった。
それは前述した恨み言を見ていただければわかると思う。
でも、私はそれを辞める。
私の意志で辞める。

私の家族は確かに酷いものだった。
でも、今もそうかというとそうでもない。
結構うまくやっていると思う。
犬神助清と青沼静馬のように。

私は恨みも恩も水に流す。
これからの新しい家族の出発のために。


現代では親子の確執も複雑化している。
しかも、解決策や答えのないような根の深い状態であることが多い。
そういう書籍やネットの記事なんかもチラホラ目にする。

そうした現代の親子関係は、昔と違ってキツイものがある。
だから、許すことの重要性は飛躍的に上昇したと思う。

仮に壊れていても、子供さえその気になれば元に戻れる。
それほどまでに、子供が成長する。
親が許せないのなら、子供がそうする。
健康的とは思わないけど、上に立つものの高貴なる義務ってやつ。



やはり私は、現状両親を許していない様だ。
子供が成長し、ダメな両親を許してやれるほどの器を手に入れる事こそが本当の親殺しなんだと感じている。
そして、親殺しを達成した自分に喜びを隠せない。


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