大人になると自己肯定感は上がらないし、失われた自己肯定感は二度と元に戻らない

この記事に、私が思っていた通りのことが書いてあった。

なんの能力も、成果もない、まっさらな状態でも、なんもない自分でも、ただそこにいるだけで、なんぼでも話を聞いてくれて、褒めてもらえる経験なんて、たしかに子どものときぐらいだよな。


そうだ。自己肯定感は、子供の頃に家族やまわりの大人からどれだけ褒めてもらえたかということでしか、上がらないのだ。

「自己肯定感と自信って、違うんですよね」
自己肯定感とは、ありのままの自分でいいんだと認め、尊いものとして、自分を信じて、大切にすること。
自信とは、勉強や仕事での成功を積み重ねて、自分の能力を信じること。


言い方を変えれば、自己肯定感と自信の違いは、自分が肯定される根拠を自覚しているかどうかである。

自己肯定感は、自分のどこに価値があるのか、どうすれば人に好かれるかを意識せずとも、自分は他人から尊重されるに値する存在だと思うこと。まさに「根拠のない自信」というやつである。

自信は、自分が持っている、社会的に価値のある能力を自覚することで生まれるものだ。


世に溢れる「自己肯定感を上げよう」というコンテンツは、大抵が自己肯定感を自信と混同している。

ダイエットをして異性にモテるようになったとしても、外見がマシになったのだから以前よりはモテて当然だと思うだろう。それは自己肯定感ではなくただの自信である。


親から普通に愛されていた子どもの頃は、まさか「周りの人がチヤホヤしてくれるのは、私がまだ小さい子どもだからだ」などとは思いもしなかった。


しかし、小学生あたりになるともう、たくさんチヤホヤしてもらえる子とそうでない子の差が歴然としてくる。

まず見た目が良くて、明るく社交的な性格で、勉強やスポーツができて、要領が良く利発な子はどこに行ってもチヤホヤされる。そういう子は友達も多いし、先生にも好かれるだろう。逆に、真逆の性質を持つ子は誰からも好かれないし、先生からもあまりいい扱いは受けない。

子どもの頃ほど、生まれ持った能力だけで差がついてしまう。外見は完全に生まれつきな上、器用な子は努力しなくても勉強もスポーツもできる。だからこそ、そういう子は自己肯定感が高い。努力しなくても持っていたからこそ、「ありのままの自分に価値がある」とナチュラルに思いこんでいるからだ。

飛び抜けて優秀ではなくても、並の外見と並の知能を持っていれば友達くらいはできるだろうし、大半の子は「自分には価値がない」とまでは思わずに済むだろう。

ただ、ブスで内気で内向的で勉強もスポーツも極端にできない子は、「価値を持たない人間は誰からも相手にされない」という真実に早々に気づくことになる。そういう子は周りから雑に扱われやすく、いじめのターゲットにされる可能性も高い。その上、周りの大人からもダメな子向けの扱いをしっかり受けて育つからだ。


もう1つ言いたいのが、大人になると自己肯定感は上がらないうえ、自己肯定感を失うことはある。しかも失った自己肯定感は二度と元には戻らないということだ。

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