4万人の中にすら居場所が無かった【早稲田大学が大っ嫌いだった】

私が早稲田大学に入学してから、10年が経った。

高校で友達が1人もできず、養護教諭には志望校を否定された。馬鹿にした人たちをどうにか見返したいと意地で浪人して、運良く合格した早稲田大学。



夢にまで見た早稲田大学で過ごした大学生活は、最低最悪だった。

クラスにもサークルにも馴染めず、友達は1人もできなかった。クラスに馴染めなかったのでゼミにも入れず、真面目に学問を究めることもなく、誰とも深く関わることができなかった。学外でもアルバイト先では例外なく使えない人扱いだったし、ブスだったので異性にもモテず、彼氏が出来る気配も皆無だった。




早稲田大学にいた5年間で、多くのものを失った。

人より少し記憶力が良いだけで予備校にも行かずに早稲田大学に入学した私の自尊心は、あまりにも簡単に崩れてしまった。


大学の授業で先生が、「高校時代は自分に何ができるのかを見極める時期です。それができなかった人は、大学に入ってからつまずきます」と私の目を見て言ったのを覚えている。

まさにその通りで、高校3年間どころか大学の5年間をかけても、自分にできることを何一つ見つけられなかった。何をやってもすべてうまくいかず、「こんなこともできないのか」と自分の悪いところばかりが見えるばかりだった。死ななかったのが不思議なほど地獄だった。



大学の健康診断の時の面談で友達ができないことを相談すると、早稲田大学保健センターのこころの診療所と学生相談室を紹介された。当時は知る由もなかったが、ここに足を踏み入れたことで地獄を見る羽目になった。

こころの診療所はつまり大学に併設された精神科だった。しかしここの精神科医Cは、驚くほど何もしない人だった。学生生活で困っていることをいくら訴えても「でも大学には行けているんですもんね」と返され、抗うつ剤なども一切処方してもらえなかった。

その結果うつ状態が悪化し、本当に大学に行けなくなって休学する羽目になった。その休学後の診察の第一声が「学校はどうですか?」。精神科医Cには休学のための診断書を2度も書いてもらったのに、私が休学したことすら覚えていなかった。これまでの診察で自分の症状について一生懸命話してきたのが馬鹿馬鹿しくなった。

その時になって初めて抗うつ剤が処方されたが、処方の仕方がまためちゃくちゃだった。別の精神科医にその処方について聞いてみると、明らかにおかしいと言われた。

精神科医Cはまともに薬も処方せず、私の話もまったく聞いていない。1年近く通ったのに、実質的に何の治療も受けられなかった。多大な労力と時間を無駄にした。

学生相談室では2人の臨床心理士のカウンセリングを受けたが、それがまた最悪だった。

1人目の臨床心理士Sのカウンセリングは、認知療法と称したポジティブ思考の押し付けだった。人に嫌われたかもしれないと言うと「人が何を考えているかはわかりません」と言われ、スクールカーストを引きずってしまうことを相談しても「あなたは馬鹿にされていたと感じていたみたいだけど、本当はそうじゃないかもしれない」と言われた。マイナスの感情を薄っぺらい一般論で無理矢理ポジティブ思考に変換されるのが耐えられなかった。少しでも前向きなことを言うと「じゃああなたは大丈夫でしょ」と揚げ足を取られるようでますます後ろ向きになった。

自分は発達障害ではないか、とずっと言っていると、「あなたは発達障害を診断してほしいんですかあ?ここはそういう場所じゃないんですけどねえ」と最後には逆ギレされた。診断されたいというより、私はただ「発達障害らしき特性がある」ことを受け入れてもらった上でカウンセリングを進めたいだけだった。
カウンセリングで本当にすべきだったのは、人に嫌われやすいとか要領が悪いとか、まずはマイナスな部分を受け入れた上で、具体的にどこがダメだったのかを明確にし、今後どうすべきかを考えることだったと思う。今思い返しても、臨床心理士Sのポジティブ思考に無理矢理変換するだけのカウンセリングは発達障害者にとっては毒にしかならない。

またこの臨床心理士Sは、「発達障害を診断されたからといって何の意味があるのかは自分でもわからない」と私が言うと、「そうそう、そうなのよ」とものすごい勢いで肯定していた。当時は私も無知だったが、発達障害の診断を受けることで薬物治療が受けられたり、医療費が安くなったり、障害者手帳を取得して障害者枠で就職活動ができたりと、発達障害の診断には明らかにメリットがある。この臨床心理士にはそういう知識がなく、発達障害に対する理解は皆無だったようだ。


そして2人目の臨床心理士Tは、臨床心理士Sを超えたヤバさだった。特に印象に残っているのが、臨床心理士Tに就活を始めたことを話した時、呆れ顔で「あのさぁ、派遣社員になればいいって前から言ってるよね」と言われたことだ。

私に就活の意志があることをわかっていながら「どうせ無理でしょ」と言わんばかりの呆れた態度で、わざわざ派遣社員を勧めた。

就活を始める前から早稲田大学卒の新卒カードを捨てて派遣社員になるのは、どう考えても一般的ではない。派遣社員なら履歴書さえ出せば派遣先を紹介してもらえるのだろうし、就活としては相当楽だろう。ただ短期的には楽でも、長期的に見れば金銭的に苦労する可能性は非常に高い。「あなたって全部ズレてんだよね(笑)」と言いながら真面目に就活を頑張ろうとする私を全否定しながら、私の言うことが正しいんですよ、という顔をして平然と勧めてきた選択肢が、早稲田大学卒の新卒カードを捨てて派遣社員って(笑)

臨床心理士Tからすれば、どうせ私が就活をしてもうまくいかないと思って、何度も落とされてまた自己肯定感を擦り減らすよりは、最初から就活を諦めて派遣社員になる方が得策だと思ったのだろう。

臨床心理士Tには誰にも言えないような話までしていたのに、私を内心馬鹿にしていたのがはっきりと分かってしまった。心底呆れたような言い方から「あなたみたいな人が就活したってうまくいくわけないのに、マジで就活しようとしてるんだ~。大学生活であなたは何をやってもダメだってはっきり分かったじゃん。悪あがきはやめていい加減諦めなよ~(笑)」と言われているような感じがした。文章では臨床心理士の意地悪さは伝わらないだろうし、私の被害妄想だと思われるかもしれないが、当時の私は臨床心理士Tからとてつもない悪意を感じたのだ。


思い返せば、この発言をする前から私の行動にいちいち否定的な反応ばかりするので、内心私を馬鹿にしていることには薄々気づいていた。

処女を援助交際で捨てた話をすると、第一声が「いくらもらったの?」だった。さすがに具体的な金額は言わなかったが「そんなに高い金額はもらっていない」と言うと、「処女なんだったらたくさんもらえば良かったのに」と言われた。あれ、なんかおかしくない?まず、いくらもらっているかはカウンセリングに関係があるのだろうか。野次馬根性というか、明らかに臨床心理士Tの私的な好奇心が垣間見えたように思えた。そして「処女なんだったらたくさんもらえば良かったのに」という否定。

前述した早稲田大学保健センターの精神科医Cのひどい診察について話すと、「あなたの伝え方が下手くそなのが悪い」と私が悪いと決めてかかってきた。「あなたは困っていることを察してほしいと思っちゃうんだね。そうじゃなくて言葉で伝えないと」と言われた。

何を言っても「学校に行けているなら大丈夫」で済まされるんだから、どう考えても私の言い方の問題ではない。あまりにも一方的に精神科医Cの肩を持つので、「あなたは精神科医Cのことをよくご存じなのですか?」と聞くと、「ハァ?また意味不明な質問して、何言ってんだコイツ」という顔をしていた。精神科医Cが素晴らしい精神科医だと知っていて、「精神科医Cさんは有能なお医者様なんだから、そんなに酷い診察をするはずがない!うまくいかないならあなたが悪いに決まっている!」と思ったのなら一方的に私が悪いと決めつけるのも理解できると思ったからだ。結果、臨床心理士Tは精神科医Cを知らないとのことだった。


臨床心理士Tの発言に違和感を感じたことは他にも色々あったが、派遣社員発言でやっと目が覚めて臨床心理士Tと決別した。

ちなみにその後は自力で正社員に内定し、仕事はうまくいかずに辞めたものの、数百万円単位の傷病手当金を受給することができた。さらにその間に障害者手帳も取得し、通常なら90日分の失業保険を300日分受給することもできた。

臨床心理士Tの言われた通りに派遣社員になっていれば、この数百万円は確実に手に入らなかっただろう。本当にこの人から離れて良かったと心から思う。危うく人生を潰されるところだった。


精神科医Cや臨床心理士Sは単純に力量不足でやる気がないだけで、特定の私に対する悪意はそこまで感じられなかった。

ただ、臨床心理士Tだけは違う。文章で表現するのは難しいが、あの人からはとてつもない悪意を感じたのだ。変にお人好しな私は強く出ることもできず、最後の最後までうまく言いくるめられて「やっぱりコイツ簡単じゃん」と、私を操作して面白がっているようにさえ思えた。あのカウンセラーは淡麺愛という名前の由来となった人でもあり、今でも人生で1番許せない人である。まさかカウンセリングで人生を潰されかけるとは考えもしなかった。早稲田大学で良い出会いはなかったが、人生最悪の出会いはあった。

医師や臨床心理士など、立派な国家資格を持っていて、プロとして支援職に就いている人にすら適切な支援を受けられなかったことは、社会に対して信頼を失う決定的な出来事だった。

別の精神科に移ることに決め、最後にこころの診療所を受診した時、受付の事務員に「あなたを助けてくれる人は絶対にいます」と言われたのも覚えている。

助けてもらえないから他の病院に移るのに、最後だけ綺麗な言葉をかけて良い気になられたのも本当に腹が立つ。「あんまりそういうことは言わない方がいいですよ」くらいは言ってやれば良かった。早稲田大学保健センターは最後の最後まで本当にクソだった。




学生生活に関しても、当時を振り返ると色々と思うところがある。私は大学に5年間在籍して1人も友達ができなかったが、自分に合う友達もきっといたと思うのだ。なんといっても4万人も生徒がいて、“人種のるつぼ”といわれる大学なのだから。

大切なのは、自分に合う方法で友達を見つけること。当時に戻れるとしたら、少人数の授業を通じて友達が作るべきだった。

私の場合は語学の授業を積極的に取るべきだった。語学の授業なら少人数だし、会話の練習もあるので友達ができやすいはずだ。サークルとは違って授業は雑談がなく、大学生特有のノリも生じにくい。

早稲田大学にはタイ語やスウェーデン語、ギリシャ語など、マニアックな語学の授業がたくさんあり、語学に興味がある人にはかなり恵まれた環境だった。


しかし、語学を活かした職に就くイメージがつかないばかりにモチベーションがわかず、結局授業は取らなかった。

親に強く勧められた教員免許の授業も途中で取るのをやめ、難関資格を取ればどうにかなると思い税理士試験の講座に20万円払ったが、ロクに勉強をしなかった。

自分の適性は無視して、職に直結するというだけの理由で分かりやすい資格職に手を付け、大して興味も無いのに中途半端に時間を費やし、結局何も得られなかった。


「将来役に立つかどうか」という基準で物事を判断するのは、一見賢いように見えるがあまりにも浅はかだと思う。特に若いうちほど、何がどこで役に立つかは予想がつかないからだ。今時の若者はコスパ重視の傾向が強いらしいが、個人的にはあまり良い風潮だとは思えない。


私の大学生活最大の失敗は、将来役に立つかどうかという観点を抜きにして、純粋に自分の興味や適性にしたがって行動しなかったこと。早稲田大学にはそれができる環境が揃っていたし、早稲田大学の学歴があれば、そのエピソードを就活で話せばそこそこいい会社に就職できたかもしれない。

大学は、将来役に立つかどうか分からないことを心置きなくできる、人生で最初で最後のチャンスだったのだ。


将来を見据えて確実に役に立つ資格を取るという戦略は賢いし、もちろん素晴らしいことだ。ただ、私のように発達障害だったり不器用であることを自覚している人は、まずは純粋に自分が自信を持てることを見つけてほしい。

必ずしも分かりやすい資格や職業に直結させる必要はない。日本の新卒採用では、大学で学んだことが業務に直結する方がむしろまれである。できることとできないことの差が激しく守備範囲が狭いタイプの人なら、資格や職業にこだわって選択肢を狭めるのは案外得策ではないかもしれない。


もう1つの大きな心残りは、恋愛ができなかったことだ。

大学は恋愛をする上で最高の土壌でもある。クラスやゼミや少人数制の授業など、多くのコミュニティに所属することができ、サークルなど趣味嗜好が合う人とピンポイントで出会える機会も多い。

大学を卒業すると、いわゆる自然な出会いの機会が激減する。婚活パーティーやマッチングアプリはヤリモク前提のため、友達から恋人へ、という流れが普通だった学生時代とは違って、付き合うまでの時間の猶予がない。

相手を知る時間が短いと、どうしてもスペックを重視した恋愛しかできなくなる。学生時代の恋愛も結局は外見が第一で大して崇高なものではないが、 学生時代に恋愛ができた人は「純粋に人を好きになることができた」と思い込むことができるので、変に捻くれずに済む。私が学生時代に恋愛を経験できていれば、もっと幸せそうな普通の人間になれていたかもしれない。

若さと出会いと自由な時間というすべてが揃っていながら、私はまったく活かすことができなかった。垢抜けない容姿と暗い表情と滲み出る卑屈さですべてをふいにした。

そこまで美人ではなくても、大学生の有り余る性欲によって、女子というだけでそれなりに声がかかる方が普通ではなかろうか。私は食事にすら誘われたことがなく、恋愛に発展する気配など皆無。早稲田大学なら将来有望な異性はいくらでもいただろうに、本当にもったいないことをしたと思う。


早稲田大学で私が1番お世話になった場所は、22号館の地下にあるコンピューター室だ。24時間利用できるので、毎日夜に訪れては明朝までネットサーフィンをしていた。他の学生が若い女の子としてちやほやされてキラキラした青春を送る中、私はたった1人で若い時間を闇に溶かし続けた。

今後私の人生で幸せが訪れたとしても、1番若くて可愛かった時期を棒に振ったことは一生引きずり続けるだろう。


毎年3月の後半になると、卒業式の帰りであろう袴姿の学生を時々見かけるようになる。22,3歳くらいの若い女の子が綺麗にドレスアップした姿を見ると、いまだに心を抉られるような思いがする。

私は卒業式には出なかったし、袴も着なかった。友達もいないのに卒業式に出ても余計惨めになるのが目に見えているし、大学で何も成し遂げていない私には袴を着る権利もないと思った。


早稲田大学にいた5年間で残ったのは、歪んだ自意識と青春コンプレックスだけだ。4万人も生徒がいる中で、どこにも居場所がなかった。誰とも関われずに過ごした大学生活はあまりにも虚しかった。私にとって早稲田大学は、あまりにも苦い場所だった。

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