ラーンネットの後継者? 音楽好きな子どもが、クリエイターになるまで。
探究型スクールに行った子どもたちは、その後にどんな進路を選択するのだろう? どんな大人になり、どんな人生を歩んでいるのだろう? 「探究育ち」第5回は、ラーンネット・グローバルスクール卒業生の間瀬磨音さんとラーンネット代表の炭谷俊樹にお話を聞きます。
間瀬さんは公立中学校に通っていましたが、決められた通りに過ごす学校生活に疑問を感じて中学1年生の2月にラーンネットに入学。ラーンネットでの学びが、現在の生活にどのように活きているのでしょうか。
自分で時間をコントロールできるところに魅力を感じた
—— どのような経緯でラーンネットを知ったのでしょうか?
間瀬:母親の知り合いにラーンネットでナビゲーター(先生)をやっている方がいて、その繋がりで中学1年生の夏休みにサマースクールに参加したことがきっかけです。4日間のプログラムで、手作業で大きい縄はしごを作りました。
ラーンネットに通っている同学年の子たちも3人いたのですが、今まで学校で接してきた子たちと比べると、その3人と一緒にいる方が圧倒的に居心地が良かった。サマースクールでは目標や時間は決められてるけど、その中で何をしてもいいという感じで、「それで良いんだ」と思えたんです。自分で時間をコントロールできる環境にぐっときました。
衝撃的だったのは、ナビゲーターが子どもに対して本気で怒っている姿を見たときです。先生って、怒るときは先生の立場として言葉が出てくるイメージを持っていましたが、そのナビゲーターは1人の人間として意見をぶつけている感じで、そこに惹かれました。
炭谷:それをマイナスではなく、プラスに捉えてくれたんですね(笑)
間瀬:怒られていた子がまだ幼かったので、ちょっと大人気ないなとは思いましたが(笑)
—— それまで通っていた中学校では、どのように過ごしていたのでしょうか?
間瀬:もともと通っていた中学校には仲の良い友達もいましたし、楽しく通っていました。決められたスケジュールの中で授業が進んでいく流れは好きだったんです。
ただ、みんなで同じことをやり続けることへの違和感はありました。スケジュールに沿って動くことは得意でしたが、自分の意志で決められないところは「なんか変だな」と思っていました。
スケジュールが決まっているのは楽だし楽しいけれど、サマースクールに参加したことがきっかけで、やることが決められている中学校の環境に急に興味がなくなってしまったんです。
—— ラーンネットに入学してから、印象的だったことはありますか?
間瀬:「マイプロジェクト」という探究の授業では、CDが出来るまでの流れを調べました。ちょうどその頃、自分で音楽を作ってCDを売る方法に興味があったんです。その経験で、何かを調べてまとめ、プレゼンするプロセスの基礎ができた感じがします。
炭谷:あのときの発表は印象的だったね。あとはやっぱり磨音はリーダーシップとカリスマ性があって、存在感がすごかった。小学生も含めてみんなが付いて来る感じなんだよね。全体キャンプのこととか、何か覚えてる?
間瀬:はい。それまで経験してきたキャンプは、一時的に盛り上がるだけでちょっと場当たり的な感じがしていました。それもいいと思うけど、企画のところからちゃんとやりたくて、それを実現するためにみんなを引っ張っていったんです。
炭谷:みんなも巻き込んでプランニングからしっかりやったんだよね。マネージャー的な動き方もしていたし、やっぱり人を引き付ける思いや情熱も持っている。磨音が卒業する日には、僕から「ラーンネットの未来の後継者だ!」って言ったんだよね(笑)それくらい印象的だった。
生徒会活動で実行と改善を繰り返して身につけた企画力
—— ラーンネットを卒業してからは、どのような進路を選んだのでしょうか?
間瀬:音楽のことを専門的に学びたかったので、大阪スクールオブミュージック高等専修学校(以下、OSM)に進学しました。その後大学には行かず、今はエンターテイメント関係の仕事をしています。
高校の普通科に行くことは全く考えていませんでした。そのときの「音楽を学びたい」という情熱を衰退させたくなかったし、決められたカリキュラムの中で学ぶのもちょっと違うなという感じがしていました。
炭谷:やりたいことがある人ほど、中学時代に自分の専門をすごく深めるんだよね。そうすると、高校の普通科に進んでも面白くない。ラーンネットの中でも、卒業後は高校に行かず、自分の専門分野を極める人が増えてきたと思います。
—— OSMでは、どのような3年間を過ごしたのでしょうか?
間瀬:作曲がしたいと思っていたので、入学前の体験授業でEXILEの曲も作っているような作曲家の先生がいることを知って楽しみにしていました。けれど残念なことに、いざ入学したら高等専修学校には作曲の授業がないことがわかったんです。作曲の授業は、併設されている高等専門学校にしかありませんでした。なんだか拍子抜けしましたね。
ただ、そのときに作曲を学んでいたら今の自分はなかったなとも思います。作曲をしない分、他のことが出来ると思って学校行事の企画運営に関わることにしました。最終的には実行委員会を率いて、生徒主体でライブの企画運営を1年間やり続けました。
もともとその活動は年2回のライブイベントを実行するための組織だったんですが、生徒同士で気になるところをどんどん改善していった結果、最終的にはライブだけでなく学校の運営に関わるようなことをやる組織にまでなりました。自分の3年間を自分でデザインした実感があって、その経験はすごくよかったです。
幼い頃から音楽に触れ合い、作曲家を志す
—— 音楽への関心は、幼い頃からあったのでしょうか?
間瀬:母親が音楽好きだったこともあり、その影響は受けていたと思います。今の父は養父なのですが、実父は音楽の仕事をしていて作業している光景は見ていましたし、一緒にライヴハウスにも行ったことがあります。
2歳のときに母にEarth, Wind & Fireというバンドのライヴに連れて行ってもらって、やたら踊っていたらボーカルの人にステージに上げてもらったと聞きました(笑) よく行っていた大叔母の家でもずっとクラシックが流れていたり、生活の中で音楽が途絶えなかった。
物心ついてくるとアニメの音楽にもはまりました。ラーンネットに入る前くらいに母親のパソコンを使わせてもらえることになって、それでYouTubeやニコニコ動画に出会いました。
当時はちょうどボーカロイドのブームだったこともあり、素人でも自分の音楽を作る人たちの熱いエネルギーを感じました。そんな世界を知って「自分も音楽を作ってみたい」と思ったのが、さらに音楽に関心を持ったきっかけです。
炭谷:幼い頃は、自由な時間があったときにはどんなことをしていたの?
間瀬:毛玉取り機を宇宙船に見立てて遊んだりと、どんな物でも何かに見立てて遊ぶのが得意でしたね。小学生の頃はよく大叔母の家に行っていて、そこにある積み木でホテルごっこをしていました。
瀬戸内海に浮いている架空の国を作って、お金の流れまで考えたりしていました。その遊びは小学校6年生くらいまで続けていましたね。自分の世界観をつくることが好きで、その遊びは今に活きているなと思います。
授業は先生が教える時間ではなく、生徒が探究する時間
—— 現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
間瀬:卒業してから半年間くらいは家にいて、あるとき「学校のイベントの手伝いに来てよ」とOSMの先生に言われて音響スタッフとして手伝うようになりました。それから何回か行くようになって、今は教務部でアルバイトをしつつ、講師として授業を受け持っています。3月には卒業制作発表として卒業生が演劇をするんですが、それの脚本と演出も担当しています。
炭谷:授業では、どんなことを教えてるの?
間瀬:企画制作の分野なんですが、動画の作り方やラジオの番組制作についての授業をしています。私自身がラーンネットで育ってることもあって、ほとんど教えるような授業はしないんです。最初に、授業が終わる日と単位認定のために必要なことを提示する。そして、「あなたは何を作りますか?」とヒアリングして、自分で探究していけるように助言します。
正直授業を受け持つことになったときはすごく緊張してたんです。ちゃんと準備をして、私が授業でしゃべった内容をノートに書いてもらう感じでやっていました。
ですがあるとき、「ラーンネットのやり方に立ち返ったらいいんじゃないか」と気づいたんです。高校生になると知識もあるし情報を拾う能力もあって、中学生よりリッチな探究が出来る。90分間の授業を探究する時間にしようと思ったんです。
炭谷:今年の春は、ラーンネットのスプリングスクールで講師を務めてくれたよね。僕も少し覗かせてもらいましたが、子どもが乗ってくるように明るい雰囲気をつくるのがすごく上手いと思いました。
間瀬:実は講師をやることにはちょっと苦手意識があるんです。ふとしたときに子どもがやっていることに介入しそうになります。私が介入すると、その時点で探究が止まってしまうじゃないですか。それが、やっぱりちょっと怖い。
炭谷:でもそれは健全な怖さですよ。それを怖いと感じずに介入してしまう先生が多い。そう感じるのは、やっぱりラーンネットでナビゲーターの関わりを見てきたからかな。
—— どのようなことを意識しながらスプリングスクールの授業をつくったのでしょうか?
間瀬:私が一方的に進めるのではなくて、能動的に関われる要素を入れました。例えば、事前に「自分のお気に入りの服を着て参加して」と伝えておきました。どうしても授業を受ける方は受け身になってしまうけど、そう伝えるだけで少し能動的に関われるんです。
ラーンネットの授業は自分から動かないと始まらなくて、受け身で授業を受けることはありませんでした。ナビゲーターは子どものやりたいことの後押しはするけど、無理に何かをさせようと引っ張ることは絶対にしませんでした。子どもとの関わり方は、ラーンネットで過ごした経験が活きていると思います。
炭谷:我々が何かを教えたというより、本来磨音が持っている場づくりの上手さがラーンネットでさらに伸びただけな感じもするね。ラーンネットは、もともと持っている能力を出せる環境だった。
パラレルワールドと現実世界が繋がる街をつくる
—— これから挑戦したいことはありますか?
間瀬:今も仲間たちと進めているのですが、自分たちの作品をつくっていきたいと思っています。漫画や小説、アニメなど、あらゆるメディアをミックスさせて、自分の世界観をつくりたい。場をつくって、そこにみんなを連れて行きたいんです。
その世界には、何人ものアーティストがいる。私もいるし、小説家や作曲家、作詞家やイラストレーターもいて、1つのストーリーの中にいろんな人が相乗的に関わりながらクリエイトしている。その中にいくつかの作品があって、それらには繋がりがある。
だから、流れが止まらないものなんです。生身の人間だけではなくて、その世界にいるキャラクターも巻き込んでみんなでやりたい。
炭谷:例えば映画だと作っている間や上映している間だけその世界が存在しているよね。磨音が作ろうとしている世界は、ずっと継続して存在してるの?
間瀬:そうです。ただのフィクションじゃなくて、本当に存在するものとしてやりたいと思っています。意識しているのはパラレルワールドで、既に起こっている事象をこっちの世界で表現しているだけという感覚が強いです。
野望としては、見ている人たちを騙したいんですよね。なんの繋がりもない作品の世界が徐々に近づいていって、あるときショートするんです。そうなったときに、視聴者や読者が「あ、繋がってたんだ」と気づいて、いつか全体が見える。それを12年くらいかけてやりたいなと思っています。
炭谷:面白いね。見せるメディアはどういうもの?
間瀬:マルチメディアで考えていて、インターネット小説や雑誌、漫画や音楽もあります。ゆくゆくはアニメーション会社を立ち上げたいと思っています。
実現するには5つの段階があると思っていて、まずはクリエイティブ、2つ目がデザイン、3つ目が重工業、4つ目が教育、5つ目が都市です。私の夢は、町を創ることなんです。
町を創るためには重工業が必要で、みんなの人生をアシストするために教育が必要。まだ上手く言語化ができていないのですが、そこまで含めてトータルで物語をつくりたいと思っています。
小さいときに、感性を磨く体験を
—— もし子育てをすることになったら、子どもにはどのような教育を受けさせたいと思いますか?
間瀬:自分で自分の人生を創造してほしいので、それが出来る環境は用意したいです。世界を巡ったり、いろんなものを見せてあげたい。
小さいときにいろんなものを見たり経験をしておいた方が有利だなというのは、私自身が感じていることです。自分もいろいろさせてもらったけど、あまり海外には行ったことがなくて、これから巡りたいなと思っています。
学校の修学旅行で行ったオーストラリアの風景は、今も小説を書くときにイメージすることがあります。海と空の広さが尋常じゃなくて、自然のインパクトを感じる。日本のこぢんまりとした良さもあるけれど、その違いを感じたり、感性を磨くような体験をさせてあげたいです。
炭谷:これからの活躍が楽しみです。今日はありがとうございました。
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