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アートやデザインが学べる、まちなかの部室? 人口13000人の珠洲市にできた、NPO法人ガクソー

学校でも自分の家でもない、無償から低額でアクセスできる、地域の居場所を紹介する「まちの探究サードプレイス」。第一弾にご紹介するのは、石川県能登半島の最北端に位置する珠洲市で活動するNPO法人ガクソー。

ここでは、デザインやアート、建築などに造詣がある20〜30代のUIターン者が中心となり、商店街の空き店舗を活用した場づくりを進めています。ガクソーの活動目的は、地域の教育格差をなくし、すべての人々が健やかに暮らせる地域づくりに寄与すること。

珠洲市に移住して活動する北澤晋太郎さんと新谷健太さんに、立ち上げの経緯やプログラム内容、子どもとの関わり方、経営上の工夫についてお聞きしました。


普段話せない大人に出会えて、いろんな価値観に触れられる場を

—— はじめに、ガクソーが立ち上がった経緯を教えてください。

北澤:僕は2017年に東京都から珠洲市に引っ越してきました。その珠洲市で2018年の冬頃に僕の知り合いの大学生が学習塾を始めたんです。「子どもたちに勉強を教える講師が足りない」と僕に声がかかって、数学と国語を教えるようになりました。

その後、学習塾を立ち上げた大学生が途中で引っ越してしまって。「これからも勉強を教えてもらいたい」と僕に話してくれた子が一人いたことで、家庭教師として引き続き彼女に勉強を教えることになりました。そんな形で、僕が塾を引き継ぐことになったんです。

彼女のお父さんとお母さんとは定期的に面談をしていたんですが、そのとき「珠洲から出ずに高校生まで過ごしたら、出会えない大人がいる。いろんな価値観や生き方を娘に教えてくれているだけで本当に嬉しい」と言われたんです。僕が東京都の大学出身だったこともあって、「勉強以外に、東京の大学がどんな雰囲気か、どんな学生生活だったかも教えてあげてほしい」と言われたんですね。

この話を珠洲市に引っ越してきた仲間に伝えたんです。そこで、「子どもたちが普段出会えない大人に会えて、いろんな価値観に触れられる環境を整えてあげたいね」という話になって。当時はガクソーで具体的に何をするかまではしっかり決まっていませんでしたが、とりあえず物件を借りることに(笑)

なので、ガクソーを立ち上げる構想があって珠洲市に引っ越してきたわけではないんです。部室みたいなノリで始まって、たまたまデザイナーやアーティストが集まったんですよね。

—— ガクソーのほかに北澤さんはデザイン会社も経営されていますね。そのご経験もガクソーの立ち上げに関わっているのでしょうか。

北澤:そうですね。デザイン会社の仕事って、「誰にどういう形で、どんなメッセージを伝えたら良いか」みたいに、伝え方を考えることじゃないですか。

クライアントから話を聞く中で、どうやって情報を発信するかという課題が奥能登でも共通してあることに気づきました。それで、「伝えるとは何か」を考える場をつくれたらいいなという思いがあったんです。民間企業が抱えている課題と、子どもたちが多様な大人に出会えていない課題を、同時に解決できないかな、と。こんな経緯でガクソーが始まりました。

大切にしているのは、考えることと伝えること

—— ガクソーではどのようなプログラムを行っているのでしょうか。

新谷:学習塾のほかにも、アートとデザインを中心にした様々なプログラムを企画しています。プログラムのひとつが「寺子屋美術部」です。美術大学で油画を専攻していた僕が担当しています。美術とは何か、創作するとは何かを一緒に考えていく場ですね。

例えば、子どもたちに動物や花など好きなものを観察してもらい、そこからひとりひとりに合ったプログラムを一緒につくっていきます。いろんな描画材を使ってデッサンをしたり、一人ひとりの興味にあわせて何をするかを設計していく、完全にオーダーメイドのプログラムです。美術大学に進学したい高校生も受け入れています。

寺子屋美術部のコンセプトは、子どもたちから「生えてくるモノ」を大切にすること。日本の美術教育は、先生が子どもたちに美術を教え込んでいきます。まさに「植えられたモノ」ですよね。そうすると、子どもたちは正解探しをしてしまうので、「こうしたら点数が良くなる」「これをつくると先生が喜ぶ」というように、他者の視点で物事を見てしまうようになると思うんです。これは貧しいクリエイティビティにつながってしまうのではないでしょうか。

寺子屋美術部ではこの課題にアプローチしていきたいです。僕が考えるアートや美術は「生えてくるモノ」。正解を探すのではなくて、自分自身の視点で物事を「視て」「創って」いく。そのことが豊かなクリエイティビティにつながってくると思うんです。僕がガクソーに関わるモチベーションは、子どもたちから何が生えてくるかを観察すること。子どもたちの中から何かが芽生えてくるよう、環境を整えていきたいです。

北澤:他にも、デザインをテーマにした「デザイン研究会」というプログラムがあります。デザインとは、誰かの課題を解決するための思考と表現のことです。そういう意味で、市民にとってより良い公共サービスとは何かを考えて実行する行政システムもデザインですし、子どもたち一人ひとりの成長に合わせてどんなサポートや声かけが必要か考えて実行することもデザインです。世の中に存在する、誰かの役に立とうとする仕組みやモノは全部デザインなんですよね。

デザイン研究会では、「観察」と「制作」をしながらプログラムを進めていきます。第一部の観察では、良いデザインとは何かを考えます。身の回りの製品や広告、社会の仕組みなどから観察する対象を選んで、良いデザインとは何かを説明し合うワークショップをしたり、街を散策する時間をつくったり。

良いデザインが社会でどのように活用されているか知ることは、より鋭い観察力につながっていくんですよね。第二部の制作は、表現の技法を学ぶ時間です。具体的には、イラストレーターやフォトショップ、ライトルームの使い方、写真・動画の撮影、ライティングを学んでいきます。

ガクソーで大切にしているのは、考えることと伝えることです。僕はデザインのこと、新谷はアートのことを考えていて、新谷は「視ること」と「創ること」、僕は「観察すること」と「制作すること」を大事にしたいと言っていて。それってほとんど一緒だねと気づいたんです。

僕らがしていきたいのは、視て観察する中で問題点や理想像を考えて、それらを何かしらの形で表現すること。考えることと伝えることのふたつを大切にしながら、アートやデザイン領域の物事の見方を、子どもたちと一緒に学んでいきたいです。

第3の大人として、子どもたちと共に学ぶ

—— 子どもたちはどのような経路でガクソーのことを知るのでしょうか。

新谷:ガクソーでは小中高生や大学生を見ていますが、一人ひとり違いますね。街中や学校の授業でガクソーの噂を聞いて「今度行ってもいいですか?」と連絡してくれる子もいますし、不登校の子どもたちを受け入れている施設の先生がガクソーを紹介してくれることもあります。不登校の子どもたちは、先生方と連携しながらフォローしていますね。

—— 印象に残っている子どもたちとのエピソードはありますか。

北澤:僕が勉強を教えていた高校生の中に、薬学部に進学した子がいました。高校卒業後、初めての夏休み期間中に、里帰りついでに元気な顔を見せてくれて、その事自体がとても嬉しかったのですが、「入学して早々ではありますが、学校を辞めて、別の道を志すことに決めました。」と報告を受けました。

せっかく入った大学を辞めてしまうのはもったいない、みたいなことも考えたと思いますが、自分がしたいことに正直に、自分で考えて決めてその道に向かって進んでくれていること、その勇気を持てていることが嬉しかったですね。その勇気に少しでもガクソーが貢献できているなら、本望という感じです。これからも、引き続き何かあったら相談に乗りますし、きっと困ったら相談してくれると思います。

—— ガクソーに通っている子どもたちからは、どのような声が聞かれますか。

新谷:ガクソーに通って良かったこととして、「いろんな人と出会って考えが変わった」「考えの幅が広がった」という声が寄せられました。「地元で暮らしていると出会える大人が限られていて、知っている仕事が少なかった。でも、ガクソーで変わった大人たちと出会って、自分のやってみたいことにチャレンジしたいと思うようになった」と高校生から言ってもらったんです。僕らは先生ではないので、子どもたちの周りにいる第3の大人として、これからも一緒に学んでいけたら嬉しいです。

僕らが町にケアされてるなら、子どもたちをケアするのが自然

—— 子どもたちが無償から低額で利用できるように、ガクソーを運営されていますよね。その理由を教えてください。

北澤:まず、子どもたちからお金を取りたくなかったんです。お金のある家庭に生まれた子だけが通えて、経済的に困窮している家庭の子は通えないのは嫌だな、と。家庭の経済状況に関係なく、子どもたちに等しく接したかった。

それに、僕ら運営メンバーが海と山に囲まれた奥能登に引っ越してきて、精神的にも身体的にもケアされている感覚があるんです。僕が東京のスタートアップで働いていたときと全然違うんですよね。

そうやって僕らがこの町にケアされているのであれば、子どもたちをケアするのが自然かなと。お金を負担してもらってサービスを提供するというより、相互ケア関係になれるといいなと思っていました。

—— ガクソーを経営する中で、難しさはありますか。

北澤:やっぱりお金ないなあ、って思います。資金を確保することは課題のひとつですね。今は、10代の場づくりに携わりたい団体を応援するインキュベーションプログラム「ユースセンター起業塾」の第一期生に採択され、人件費などの援助を受けています。ガクソーをNPOにしたのも、このユースセンター起業塾がきっかけです。

でも、「助成金が切れた後はどうするの?」「次の助成金を探すの?」と言われることはあって。人数の多い大人が子どもたちにお金や物資を出していくような、逆年金システムみたいな仕組みをつくれないかと考えています。

子どもたちへの眼差しを変えていく

—— 珠洲市へ移住した皆さんがガクソーを運営していますが、どのように地域の人から理解を得ていったのですか。

北澤:珠洲市で過ごした月日が大きいですね。どうやって地元の人たちに受け入れられるかが重要だと、僕らは思っていて。たとえ日本中の人が知らなくても、ガクソーのある商店街に住む人たちが全員ガクソーのことを知っている状況をつくらないといけないと思ったんです。

そうしたら、やっぱりまずは僕らが住むことが大事で。僕もガクソーから徒歩1分くらいの場所に引っ越して、そこで子育てをしています。他のメンバーも、今は結婚して近所に引っ越したけれど、最初はガクソーに住み込んで、町内会や消防団に率先して入ってくれました。この月日がなければ今はないですね。

—— 地域で子どもたちの居場所をつくってみたい読者の方へアドバイスをお願いします。

北澤:みんなと一緒に場をつくることが大事だと思います。例えば、場所をつくるときに町の人と一緒にDIYをするとか。ガクソーはDIYを始めた段階で、町の人が手伝ってくれたんですよね。「町を騒がしくしてくれて嬉しい」と地域の人が声をかけてくれて、それが僕らの勇気にもなりました。

後、仲間に電気工事士がいることもすごく大事だと思っていて。僕らの仲間もDIYをするために勉強して資格を取ってくれたんです。

それと、子どもの居場所のことだけを考えるのはやめた方が良いと思います。町の人が喜んでくれる場所になったら、たとえ子どもたちが通ってくれなくても意義があると思うんですよね。

—— 最後に、これからどのように活動を広げていきたいか教えてください。

北澤:今ガクソーがある場所が手狭なので、商店街の空いた店舗を何軒か借りたいです。本がたくさん並んでいるところや、物づくりができるところなど、拠点ごとに機能を分けていきたい。

一方で、僕らがやっていることの半分は、割と公共性があるのではないか、とも感じていて。だから、僕らがいつまでもひいひい言いながらやるのも違う。いや、決して「続けるのが無理」と思うくらいひいひい言ってるわけではないし、そんな運営ではダメだし、言い出してやりだした重い責任もあると認識しています。でもやっぱり辛いこともあるじゃないですか。

だから、長期的にはガクソーはなくなっていいと思っています。これからはガクソーの事業を大きくしていくのではなくて、似たようなサービスがたくさん生まれてくる社会の空気感をつくっていきたいですね。そうして社会の子どもたちへの眼差しを変えていく。僕らはそんな存在になれたらいいなと思っています。

文:田中美奈

新谷さんが関わっているアートプロジェクトが、3/11−26にのと鉄道で開催されます。能登に行く機会がある方はぜひ立ち寄ってみてください。



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