30分間の奮闘と絶望、しかしそこから救ってくれたのは……。
人と人の繋がりが「希薄になった」と叫ばれる時代。
確かに以前、都市部で働いていた頃はとくにそのことを痛感していた。
アパートの隣の部屋に住む住人の顔も知らない。通路でスレ違えば軽い挨拶は交わすが、出ていく時間も帰ってくる時間もバラバラで住人と殆ど顔を合わせることがない。
何をしていてどんな風に生活しているのか、情報が入ってこない、閉鎖的な狭い世界で暮らしていた。
「人付き合い」
それは、面倒で煩わしさの上に成り立っている。
人は人によって傷つけられるし、
時に自分が誰かを傷つけてしまうこともある。
不安な気持ちから干渉しすぎてしまうこともあるし、理解してもらえず憤りを感じることも。
悲しみや悔しさを上手に受け止めて付き合っていければいいのだけれど、まだまだそれには修行が必要そうだ。
自分が築いた居心地の良い王国への侵攻を
防ぎたい。誰にも邪魔されずに自分の世界に
閉じこもっていたい。
なのにそれとは裏腹に誰かに構ってほしい時もあるし、おもいっきり甘えてみたいと思うこともある。
自分の「大好き」や「感動」を誰かと
共有したいと思う気持ちは、
しょっちゅう生まれる。
本当に矛盾しているのだけれど。
人間って面倒くさい。だけどそれが面白い。
そして私はどうしても信じたいのだ。
人の優しさを。
穏やかさを。
暖かさを。
それがこの世の中を、
世界を変えることを。
これから書く物語は、3年ほどほど前に
私が実際に体験した「優しさの連鎖」の
お話である。
当時、社会人になったばかりの私は
経済的に余裕がなく、実家のある兵庫から
京都の職場まで公共交通機関を利用して
通っていた。
(今思えばよく通ったよね…)
この物語の始まりは、仕事終わりで
ヘトヘトに疲れ切った私が何とか
最後の力を振り絞って実家へと向かう
電車へ乗り込んだところから幕をあける。
***
事件は、仕事が終わり家路へと急いでいた、
まさにその時に起こったのだ。
その日は朝早くから仕事があったので、仕事が終わってから帰るときには疲れも重なってすぐにでも寝てしまいそうなほど瞼が重かった。
職場から家までは、公共交通機関を使って二時間以上と時間がかかる。この時間に十分寝ることだってできるのだが、そんなことをしてしまうのは余りにも勿体ない。それだけ時間があれば、読みかけの小説だって読めるし、次の企画だって練れるし、ライティングのネタだって考えられる。
電車に乗り込む前に、一つ気合を入れる。
さぁ、この時間を有効に使おう。
あともうひと踏ん張りだ。
そうして電車に乗り込むと、車両の一番奥の席が空いていた。迷わずそこに腰かける。
この電車の座席は、横に長い椅子ではなく二人掛けの椅子が、前後で向かい合っているタイプのもので椅子を回転させて向きを変えることが可能だ。
だが、私が座った座席は一番端の席だったため椅子の背が電車の壁とくっついており、向きを変えることができなかった。
この椅子を選んでしまった。
その一つの選択が、この後悲劇を生むことになるとは、その時の私はまるで想像もしていなかった。
電車が動き始めて、私は早速戦闘モードに入った。とりあえずまずは、次の企画の告知文を考えよう。それに目途がつけば〆切が近づいているライティングの課題を考えて。小説も読めたらいいなぁ。
頭の中でやるべきことの優先順位をつけて、早速取り組み始めたのは良かったのだが自分の意思とは裏腹に睡魔が襲ってきてなかなかはかどらない。その時、私は携帯のメモを使って記事の下書きをしていたのだが、ふっと意識が遠のいていくような感覚に陥った。そして次に意識が戻った時には携帯が手から忽然と消えていた。
慌てて周りを探してみるが、目で見える範囲には見当たらない。
「まさか……」
嫌な予感が頭をよぎる。
そして、もう私は気づいている。
こういう時の予感は大抵、的中することを…。
恐る恐る私は、覗き込んで見る。
私の腰近くに存在する隙間を。
そして数秒後、絶望するのだ。
見たくないものを見てしまった……。
薄暗い空間の一部にそこだけ異様な明るさを
発しているピンク色。
あぁ、間違えなくあれは私のスマホのケースだ。
そこから、終点の梅田駅までの約30分間、
携帯救出作戦が決行された。
まずは普通に隙間に手を突っ込んでみる。だがこれが届きそうで届かない。もう少し指が長ければ……。
次に持っていたセンスを隙間に突っ込んでみる。長さは足りそうだ。だが、幅があり携帯に届くまでにつっかえてしまって、結局動かすこともできない。
今度は席から立って、椅子の下から携帯を探り当てる作戦に出た。
だが、結局これも失敗に終わった。下から手を入れてもぎりぎり届かないところに綺麗に挟まってしまっているのである。椅子が動かない分、取るのが非常難しそうだ。
いやー、これは参った。最悪、駅長さんに言ってとってもらうということもできるのだが、面倒なことはなるべく避けたかった。場合によっては、すぐ手元に戻って来るとは限らない。完全に自分が悪いことはわかっているが、無性に苛立つ。疲れている上にこの悲劇に見舞われるというダブルパンチを食らい、思わず舌打ちしそうになるのをぐっとこらえた。
しかしこの後、思いがけない救世主が一人、また一人と現れるのだ。
最初に私に声をかけてきてくれたのは、前の座席に座っていた高齢の女性二人であった。
「ねーちゃん、どうしたんや? その隙間に何かおったんか?」
「いやー、ちょうどこの間に携帯を落としてしまって……。上からも下からも試してみましたが、ダメですね」
私がそう言うと、二人は「あら、それは大変やないの!! これ使ってとれへんかな?」と、何か棒状のようなものをカバンから取り出した。よく見てみるとそれは物差しであった。だがそれでも、携帯に届かない。
「ありがとうございます。でもダメみたいです」
「あらぁ、残念ね。深いところに入ってしまったのね……」
そんな私たちのやり取りを見ていたおじさんが今度は、声をかけてきた。
「それな、後で車掌さんに言い。それで取ってもらいなさい」
おじさんがそうやって優しく言うので、さっきまでは絶対車窓さんに言うのは嫌だと頑なに思っていた気持ちがすーっと消えていき、落ち着きを取り戻した。
どうせ仕事は終わったんだ。急がなくてもいいし、後で車掌さんを呼ぼう。
そこで一旦、携帯救出活動は中断したのだが、この一部始終を見ていたお兄さんから突然、声がかかった。
「これ使ったら、とれませんか?」
そう言ってお兄さんが私に差し出してきたのは、バインダー。これなら薄いし細い隙間にも入るだろう。
私はすぐに救出活動を再開した。この頃になると、私の周辺にいた乗客たちは何が起こったのかを把握しはじめ、みんなが携帯の行く末を見守っていた。
バインダーを差し込む。入った。もう少し奥に移動させてみる。するすると入っていき、ついに携帯の端を捉えることができた。
「あ、届いた!」
私が思わず声を上げると、お兄さんを筆頭に私の様子を見ていた周りの人たちが「お。ひっぱれー」「出せるか? 頑張れよ」などと声援を送ってくる。
その声に背中を押されて、私も頑張るのだが上手く携帯がバインダーに引っかからず、びくともしない。
するとお兄さんが、隙間に手を突っ込んだ。
「あー、これ届きそう……。俺上からいくから、下から手入れてもらえる?」
お兄さんに言われ、私は座席の下に手を入れる。
そしてついにその時は、やってきた。
二人で協力したことによって、隙間の陰に隠れていた携帯が顔を出したのである。
その瞬間の車内の様子を想像できるだろうか。
私たちの様子を見守っていた人々から、一斉に歓声が上がる。
「よっしゃ! 出てきた、出た来た!」
「ようやった、兄ちゃん。姉ちゃんよかったなぁ」
「おっ! おめでとう」
携帯は、無事私の手元に戻ってきた。気がつけば、この騒動で眠気は吹っ飛んでいた。
「みなさん、本当にありがとうございました。助かりました」
私が頭を下げると、最後に携帯を取ってくれたお兄さんが言った。
「いや、実は俺も隙間に落としたことあるんよ。届け出たら戻ってはくるけど、めっちゃ時間かかるし。よかった、助けられて」
たまたまそこに乗り合わせた人間が、
こうして一つの事件をきっかけに繋がっていく。
「困っている人を助けてあげましょう」
小さいときから、叩き込まれてきたことではあるが実際こうしてすぐに行動に移せているだろうか。
こうして、見ず知らずの人から助けてもらうという経験が自分を優しくさせる。きっとこれは優しさのバトンなのだ。この優しさのバトンを受けとった者の使命とは、果たして……。
今度、自分の周りで
困っている人を見かけたら、
ちゃんと声をかけよう。
直接その人の抱える問題の解決策にはならないかもしれないが、「大丈夫ですか?」の一言で救われたから。
周りのことに無関心な人が増えてきたという噂話をどこかで聞いた覚えはあるが、人間捨てたもんじゃない。
仕事疲れもすっかり飛んで、人のぬくもりを感じて安心した一日になった。
携帯を落として、とれなくなってしまうという一見マイナスなことが起こったが、こうして人のぬくもりに触れることができ、結果オーライだ。
ありがとう。
***
どれだけめんどくさくったって私が人間を愛してやまない理由がここにある。
勿論、生まれたときから天性の優しい人は存在する。「お前、まじで天使かよ」って叫びたくなるくらい出来過ぎた人って、いるんだよな。
だけど、私は残念ながらそうではない。
やっぱり時々計算高くもなるし、
下心が働くことだってある。
人間だもの。
だけど昔っからブレずに考えていたことがある。
「誰かを喜ばせる人になりたい」
「困っている人に自然と手を差し伸べられる人に憧れる」
もともと好奇心旺盛で、
夢はコロコロ変わるタイプだった。
だけど、なりたいものは変わっても、
「どうありたいか」
「どんな自分になりたいか」については、
ずっと変わらなかった。
私は思う。
人は「こうありたい・なりたい」を強く意識した時、可能性の入り口に立つことができるのだと。
そこに立つことができればあとはもう
やることは一つだ。
それを実現するために、練習をすること。
訓練を重ねること。
最初は何だって上手くいかない。
音楽だってスポーツだって一緒だろう。
練習を重ねることで、身についてゆく。
慣れないことをすると初めは違和感を感じるだろう。
不自然さも出るかもしれない。
から回ってしまうことだってあるかもしれない。
それでもトライ&エラーを繰り返して、
自分の体に馴染むまで反復すること。
もし、みなさんの周りにも
「何かあいつからまわってんなぁ」
「ちょっとお節介が鬱陶しいわ…」と
感じる人がいたとしたら、
ちょっと立ち止まってその人を
観察してみてほしい。
もしかしたら、その人は「なりたい自分」に
なるために必死に努力をしているかもしれないから。勇気を振り絞って、行動しているかもしれないから。
それが分かったら、ゆっくり
見守ってあげてほしい。
今、変わろうと頑張ってるんだな、と
寛容になってあげてほしい。
そして決して否定だけはしないでほしい。
みんなで優しい世界を創りたい。
創ることができるって、信じている。
ちょっと忍耐力は必要だけど、
やっぱり人間って愛おしいね。
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