見出し画像

褐色細胞腫闘病記 第27回「黄泉と現(うつつ)の間」

私の左の脇腹に灼熱の鉄の板が差し込まれている。

鉄は白く赤く燃えさかり、私の体の中にグツグツと融けてなだれ込む。
私の左の肋骨は溶岩と化し少しずつ全身に巡る。赤黒い礫に射られた私の口腔からは漿液が滲み、やがて声を奪い、瞳孔は死人のように収縮を繰り返す。

私の左半身は今まさに「焼かれて」いる。
こんな感覚が私の体に存在したことを身をもって知る。
この壮絶極まりない痛苦を取り除ける薬など到底この世にある気がしない。
「絶望」という二文字が眼前に迫る。
その二文字に体ごともっていかれそうになるのを、すんでのところで踏ん張っている。

あたりをゆっくりと見渡す。
ここは、どうやらICUではない。手術室から直接リカバリ室に来たのか。
血圧の管理が不可欠なこの病気で、なぜICUで集中治療しないんだ。
確かに術前説明ではICUに入ると聞かされていた。それなのに。

看護師がやってくる。
「三島さん、気がつかれましたね。今回は8時間かかりました。今、北野先生呼びますからね」
ああ、こんな状態でやっとご対面か。
私は半死の眼で、ずっと姿を見せなかった彼を待つ。


「どう?」

・・・おっと、第一声がこれかい。

私は呆れ果て、敢えて黙する。絶対何も話してやるもんか。

「ね、腫瘍の色、ほんとうに名前とおんなじ褐色なんだねえ」
「・・・」
「ま、僕のメスで切り残すことはないと思うけど」
「・・・」
「なにかあったら言って」
「・・・熱い」
「暑い? 看護師に行っとくわ」
「・・・」
「なにかあったら言って」
さっきも言うたやんそれ。

彼はたいして私の顔も見ずにリカバリ室を去っていく。
あんな態度でずっと患者と向き合ってきたのだろうか。信じがたい。でももう、今の私には怒りという感情を容れる心の隙間も全くない。

10分後くらいだっただろうか。私の体がドクン、とひとつ、大きく波打ち、その後、トトトトン、と脈が走る。すかさず心電図の異常を知らせる緊急ブザーが病棟に大きく鳴り響く。

【 ピーッピーッピーッピーッピーッピーッピーッピーッ 】

ゆらり、と意識が揺れ、周りの景色が遠のくのがわかる。
大勢の看護師が色を変え駆け付ける。
「三島さん、三島さん、わかりますか? しっかりしてください!」
あれ? 胸が苦しすぎて息ができない。声が出ない。苦しい。

「早く北野先生を呼んでください! さっきまでいたからまだ遠くには行っていませんきっと! 早く! 誰か!」
緊迫したリカバリ室。みんなが私の名前を呼んでいる。
三島さん、三しまさん、みしまさん、みし・・・

その後の記憶が私にはない。

「三島さん! わかる? 目を開けて! 三島さん!」
私はゆっくり目を開ける。あ、梶並先生だ。みどり先生もいる。
ああ、よかった。左脇腹の焼けた鉄の板は相変わらず退いてくれはしないけれど、でも二人の顔を見て私はこんなに安心している。

あれ、ここはICUかな?

「気がついた! よかった! 三島さん、わかる?」
みどり先生が私の手を握る。
「北野先生はなぜ最初からICUに入れなかったんだ?」
梶並先生がみどり先生に少し強めの口調で問い質している。
みどり先生がうつむいて唇を噛む。

「ICU管理は必要ないだろうからと…」
「藍原先生、何年三島さん診てるんですかっ! こんなことありえないです」
梶並先生が怒っている。先生がそんなふうに怒ることあるんだ、と私は少し驚く。でも先生、もう怒らないで。みどり先生が悪いんじゃないし。
私は大丈夫、こうして生きてるしさ。

私の病気は通常の癌とは違い、腫瘍自体が活発に活動している。
前にも書いたが、もともと副腎という臓器はホルモンを司る臓器だ。それがなんらかの原因で癌化し、それに伴ってカテコラミンというホルモンを大量に放出する。血圧の上昇や頭痛、鼻血、偽糖尿、代謝異常、動悸、パニック発作、不安障害など、内分泌の攪乱によって人それぞれ多種多様な症状が出現する。

手術によって腫瘍崩壊(クリーゼ)が起こることがあり、体内に分散したカテコラミンによる急な血圧上昇、心臓発作、意識喪失、場合によっては心停止にまで 至ることがあり、術後の管理がとても重要とされている。特に私の場合は肥大型心筋症も併発していたため、ICUでの術後管理は必須だった。
この時の私は、クリーゼを起こしていた。もともと今回の転移巣の悪性度は極めて高かった。あのままリカバリ室で放置していたら確実に死んでいたと後から言われた。

その後、私の意識は行ったり来たりして、不思議な夢を見ていた。
肝臓癌で亡くなった私の父が仕事をしている。
父は腕の良い大工だった。上棟式だろうか。子供の私が父を誇らしげに見上げて いる。
もうすぐお菓子やお餅や小銭が撒かれるはずだ。私はハンカチを広げてそれを待っている。
父はいつもほかの人に気づかれないように私に多く撒いてくれる。私は期待に胸を膨らませ、ハンカチを大きく広げる。

父が紅白のお餅を私に投げる。
その餅は落ちるにつれて大きさを変え、私が受け止められない大きさに変わる。私は驚き逃げまどう。

繰り返し上を見る。また巨大な餅が降ってくる。
父は優しく笑っているのにずっとその繰り返しだ。
何度目かにやっと、私のハンカチの中に紅白の丸いお餅が2つポトン、と沈む。
「お母さん、取れたよ。早く焼いて食べようよ」
母のもとに走る。母がぐいっと私の手を引っ張る。

不意に私は現実に引き戻された。
ICUの中でも、いつもとは別のブースにいる。見たことのない機械が私を取り囲んでいる。
私は幾本もの管につながれ、人工呼吸器で息をしている。

もう、何日経過したのだろうか。
時計を探す。午前4時か。ナースコールのボタンを探して押す。
看護師が何か叫んでいる。あれ、なんだか意味が取れない。
北野医師の顔がぼうっと見える。
あまりの激痛にゆがんだ私の顔を見て、彼は確かにこう言った。
「…チッ。痛みに敏感すぎるのもどうかと思うけど」
私の意識は再びぐるん、と廻る。

妹が面会に来る。
その時のことをさっぱり憶えていないが、私はこう言ったそうだ。
「ねえ、玲衣子、私もう、いいかなあ。どうせ治らないんでしょ。だからお母さんの焼いたお餅早く持ってきてくれる?」
その時妹は、姉がいよいよ錯乱してしまったとかなり動揺したという。そりゃそうだ。いきなり餅の話されてもなぁ。

それから一度も私は北野医師に会うことはなかった。
このことがきっかけで、彼のそれまでの術後管理の杜撰さが露見し、彼はひっそりと大学病院を離れたんだとずっと後から聞かされた。

私はICUに一週間ほどいたという。
夢うつつの状態を脱してリカバリ室に戻った時、小さな封筒に入った手紙と、野乃子の作った御守りを看護師から渡される。
最初に封筒を開くと、小さな可愛い文字が踊っている。

[おーい、いつまでちんたらやってんのかな? 早く戻ってこーい! 先に退院しちゃうぞーっ!]

あっ、芳河さんだ。そうだ、芳河さんが待っててくれるじゃないか。
私ははっきりと目が覚めた。そうだ、なんで私はまだこんなところにいるんだ。野乃子の手作りの御守りも開けて中の手紙を読んでみる。

[ママがかえってきたら、ののがたまごやきを、つくります。ママの中のわるいものが、ぜんぶきえてなくなりますように(*^-^*)]

ああ、野乃子。そうだ、私は野乃子の母親じゃないか。
私がここで生きなくてどうする。
痛みや理不尽さにくじけてどうする。
何をこんなに弱ってる。何をこんなにぐるぐる意気消沈してるんだ。
北野先生がどれだけ冷たかろうが、それがなんだってんだ。
所詮、病と闘うのは私自身なんだと、今まで何度も何度も言い聞かせてきたじゃないか。

その日から私は食事をきちんと摂るようになった。
痛みをきちんと取り除けるよう、きちんと伝え需めた。
そして、歩きに歩いた。次第に意識も、頭も心もしっかりしてきた。
歩けば元気になるのは過去の3回の手術で立証済みだ。
野乃子、芳河さん、私はちゃんと戻るよ! 待っててね!

手術から12日後、私は芳河さんの待つ病室にようやく戻った。

よろしければ、サポートをお願いします。いただいたご芳志は、治療のために遣わせていただきます。