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ありふれた川の河口で釣りをしている時に出会ったありふれた老人の特別な物語

7月の終わりの午前1時頃、福岡県宗像市にある川の河口で釣りをしていたら、ボロボロの自転車に乗ったホームレスのような老人から声を掛けられた。

「釣れよりますか?」

30センチくらいのセイゴ(スズキの幼魚)が釣れていたが、それを伝えると、話が長引いて、釣りをする時間が奪われてしまうかもしれないので、

「釣れませんねー」

と答えた。しかし、老人は自転車を降り、僕の近くに来て「こないだは、40センチくらいのチヌが上がっていた」というような話を始めた。

「そうなんですね」と言うと「今日は草刈りしたばってん、日に焼けてしもうて。この道を真っすぐ行ったら山があって、そこに畑があるの知っとろう?その土地はうちの土地やけんくさ、草刈りしよったと」と老人。

その土地はかなりの広さがあり、老人の言っていることが、もし本当なら、この老人は結構な土地を持った地主さんということになる。

ボロボロの自転車に乗り、ホームレスのような格好をした、この老人が地主であるというのだろうか。

嘘かもしれないが、この老人がもし地主であるというなら、おもしろい話が聞けるかもしれない。僕は、釣りをしながら、老人の話を聞いてみることにした。

やたらエンジンの「つくり」に詳しい

「あんた大学を出とうのやろ?」と老人が尋ねてきたので「まあ、一応は出ています」と答えると、老人は、初めて自動二輪の免許取得のために筆記試験を受けた時のことを話し始めた。

老人いわく、当時の自動二輪の筆記試験は「法令」と「機械構造」の2種類があったらしい。試験については、文章を読み、問題に答えるというものであるが、中卒だった老人には読めない漢字がたくさんあったらしく、取得するのは、とても大変なことだったそうだ。

「自動二輪は当時、ホンダよ。知っとうちゃろ?」

そして、老人は僕の返事を待たずに話し始めた。

「当時のホンダのエンジンのつくりは2ストでくさ、あれはマフラーじゃなかとて、エンジンの中でピストンが動く時に空気が圧縮されて、それが馬力になると。あんたは、大学出とるき、知っとうちゃろうけど」

「いえ、そこまで詳しいことは知らないです」と僕が言うと、

「なーん、大学出とうっちゃろ?そんくらい知っとかな」と老人は言った。

老人は、エンジンや機械の構造にやたら詳しく、大型の重機から自転車まで、色々な知識を僕に披露してくれた。

「しかし、おとうさん、やたらに詳しいですね。仕事は何をしてたんですか?」

僕がそう尋ねると「なーん、頭ば悪いけくさ、土方(土木作業員)よ」と老人は答えた。

山を削るために必要なこと

詳しく話を聞くと、老人は、中学卒業後、一旦は北九州市にある会社に就職した。その時に、自動二輪の免許を取得したそうだ。

それからしばらくして、その仕事を辞めた。そして、自動二輪免許を取得するための勉強で得た知識を活かして、自動車やトラックの免許を取得し、土方(土木作業員)になった

老人は土方として、大手ゼネコンの下請けで、様々な現場で仕事をしたらしい。「おとうさんは、何の作業をしていたんですか?」と僕が尋ねると「重機でくさ、山を削りよったとよ」と老人は答えた。

国道を通すために山を削ったし、ゴルフ場を作るために山を削った。現場は、中部地方や近畿地方、四国地方にもあって、色んなところで、山を削ったそうだ。

名神高速の分岐点を作るために山を削り、しまなみ海道を整備するために山を削った。大手ゼネコンが受注した大きな仕事の基礎を作るため、老人は色んな山を削った。

老人は重機に乗り、山を削っていった。老人は「その重機の運転席はここから、こんくらいあるとよ」と2メートルくらいの大きさを動作を交えて教えてくれた。

「大きいですねー」と僕が感心すると「なーん、大学出とうなら、そんくらい知っとかな」と言って笑った。「いや、建設の現場に行ってないと、知る方法がないですよ」と僕が言うと「勉強せな、勉強」と老人は言った。

免許の取得のために老人が勉強した「機械構造」は「機械がどのように力を生み出すのか」そして「その力がどのように伝達して機械が動くのか」を理解しなくてはならない。

老人は、その一つ一つを現場で学んでいった。ある程度の構造を理解できれば、あとは応用なのだと、老人は教えてくれた。エンジンはピストンによって力を生み出す。ショベルは油圧によって力を伝える。そして、山が削られるのだ。

母親を大阪に呼んだ

土木作業員として多くの経験を積んだ老人は、大手ゼネコンの下請けとして、各地の山を削ったし、様々な建設物の基礎工事に携わった。

大阪では大手ゼネコンが建設する大きなビルや巨大な施設の基礎工事に携わったそうだ。

「大阪で仕事をした時、ちょうど親戚のところにおったけくさ、母親に電話をかけて、新幹線に乗って、すぐに出ておいでって言うたんよ。そしたらくさ、「新幹線に乗るようなお金がどこにあるとかいな!」て言うけんね、

そんなん俺が出しちゃーけ、何も考えんで新幹線に乗っておいでって言ったんよ。そしたら、新幹線に乗ってきたよ。あの時、新幹線は運賃が高かったけんね。母親に立て替えてもらって、後でお金あげたもんね。

それにしても、その時に、よう立て替えるお金があったな、って思うけどくさ、きっと倹約家なんやろうね。俺が倹約家っちゅうのは、母親から受け継いどんやろうね。俺も、ほとんどお金使わんけん」

老人は誇らしげに母親とのエピソードを話してくれた。

老人は、他にも母親の話をしてくれた。

初めて自動二輪の試験に合格した時のこと。

「最初、自動二輪の筆記はね、駄目やったとよ。何回か落ちたんやけどくさ、初めて筆記試験に合格したんよ。その時は、試験会場にあった電話を借りてくさ、母親に電話したとよ。

「あんた、よく受かったね!」ってびっくりしとった。俺が中卒で頭が悪いって知っとったけな。えらく喜んでくれたよ。「馬鹿なんに、よう受かったなー」って、言いよったよ」

老人は昭和16年生まれだという。母親は明治生まれの人だそうだ。でも「古臭い人」ではなかったと、老人は言った。あと、老人には兄弟がいた。父親の話はしなかった。

何のために働くのか

「兄ちゃんは、大学を出とんなら、もう40万くらい稼ぎよると?今、いくつくらいね?」

「今、37歳ですけど、そんなにもらってないですよ」

「なーん、バリバリ勉強して稼がな。勉強しよったらくさ、40万くらいすぐに稼げるようになるよ」

老人は自分のことにお金を使わなかった。その代わりに、兄弟に家を建ててあげた。最近までローンを払っていたという。

「母親ににてくさ、倹約家やけん、お金はよう持っとうよ」

僕は、老人が乗ってきた自転車を見た。ボロボロの自転車だった。

「この自転車はくさ、スクラップ工場で500円でもらってきたとよ。他にもくさ、工業用のミシンも、工場で安くもらってきた。それで、自分で溶接して、修理したよ。そういうのが、楽しみなんよ。」

いいわけのための嘘かもしれないが、今まで色んな話を聞いてきた上で、とうてい嘘だと判断できない。嘘にしては、知識量がすごいし、口からでまかせを言っているようでは決してない。

老人は、しまなみ海道の整備に携わったのだが、そのボロボロの自転車ではなく、家に置いてある高級な自転車で、しまなみ海道を走り、四国へと渡る、野宿の旅をしたそうだ。

野宿で使用するテントは、テント用の布を買ってきて、工業用のミシンで縫い合わせて、自分で制作したらしい。なんでも、自分でやるのが好きで、それが趣味なのだそうだ。

「兄ちゃん、勉強せなよ。勉強して、月40万円稼がな。何にしても、勉強が大事。大学出てもくさ、勉強せんかったら、駄目よ。勉強、勉強」

そう言って、老人はボロボロの自転車に乗った。

「僕ももう帰りますよ。色々お話をありがとうございました。また」

「そうね。勉強せなよ。そして、月40万稼がな。がんばり」

結局、話ばかりに気を取られ、最初に釣れた一匹以外は、食べれないような小さな魚しか釣ることが出来なかった。月40万稼いで、僕は何をしよう。家族みんなで旅行に行きたい。

30センチくらいのセイゴ一匹だけが入ったクーラーボックスを車に乗せて、僕は帰路についた。途中で、老人が仕事で関わったという国道3号線と、大きなゴルフ場の近くを通った。

それらは、当たり前のようにそこにあった。車のエンジンは、ピストンして、力を生み出す。僕の車はハイブリッドなので、エンジンと電気を動力にしている。蒸し暑い、夏の深夜の話。


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