11月あたまの所感

 もう11月ですね。外に出ればすっかり秋冷です。コロナ禍の中のマスク効果で、マスクの防寒効果に気づきながらも、やはり息苦しいったらありゃしません。

 今年の5月に農夫を辞めてから半年が経ち、体脂肪は増えれど、所持金は減る一方。農夫をやってた頃は体脂肪を二桁切ったこともありましたが、体脂肪はあまり増えて嬉しいものではないので、積極的に自転車で山や友達の家などに出かけ、ここ1週間は毎日、30分ほどの腹筋の時間を取るようにしています。

 さて、先日、写真スタジオの撮影補助の求人の書類選考に落ちました。その前にも、この木なんの木、某ヒ○チでも書類選考で落ち、水道局の仕事は2週間ほど連絡もないので、落ちたのでしょう。

 職探しの片手間で詩や小説執筆や、楽曲制作をしていましたが、Bandcampというサイトで売っていたデジタル・アルバムが、今までに2000円ほどの収益があるので、「プロ」の音楽家とはいえないまでも、自分の作品が収益を生んだことは、少なからず自信につながっています。この要領で詩や小説等も、将来は電子書籍として発表できたら幸いと考えております。

 小説は今年から書いていた短編・掌編小説を合わせたら、53ページほどだったので、短編を書き続けるか、あと150ページほどの中編小説を書けたら200ページの書き下ろし処女作として電子書籍で売ろうと思います。
 一番良いのは、300ページほどの長編小説を書いて、それ一本で是非を問うことなのでしょうけど、去年に一度、中編小説を書いたら中だるみした、要点がぼやけた「駄作」が出来上がったので、ある程度長い小説を書くならば、今以上に色々な本を読んで、人の話を聴いて、色々な体験をして、思索を深めてそれを「ことば」にするしかないですね。

 さて、やはり「物」を書くとなれば人生経験は、私が思うにある程度必須の条件だと思います。
 私は現在、28歳ですけど、13歳で不登校になり、23歳で通信制高校に入学し、26歳で通信制高校を卒業し、26歳で初めてアルバイトとして、農夫として社会的に働いたので、いわゆる「モラトリアム人間」として、10年間のブランクを考えると、実感としても現実的にも「おれはまだ実質的には18歳なんだ」と感じることがあります。
 ただ、いつまでも「モラトリアム人間」で居るわけにはいかないですし、最近「おれはなんでこんなに自己評価が低いのだろう」と考えていたところ、どうやら自分が社会的には「28歳の実家暮らし」で、衣食住を親に頼っているという負い目があったことに気づきました。
 
 社会人としてのキャリア的にも、28歳でありながら18歳のティーンエイジャーのような実態ですが、次の仕事を得たら、私が最も心を許している親友のひとりとルームシェアをして、親元を離れて生活をしようという計画があります。

 その前に今年中に仕事が得られるかどうか分かりませんが、「物を書くこと」が生きがいであり、それが個人的なライフワークとなっているので、その職を通してしか体験できない「経験」として、その経験を通した、物を書くための「材料」として、どんな職であれ受け入れる心持ちでおります。

 22歳で教会と出会い、改心し、クリスチャンとなり、23歳での高校入学、26歳で高校卒業。そして、1年間の農夫生活。
 「モラトリアム人間」としての、「空白の10年」は容易には埋められないかもしれませんし、社会人としてのキャリア的には大幅に遅れを取っているかもしれませんし、持病の強迫性障害の影響か、誇大妄想の強くなることがありますが、ひとつひとつ、一刹那一刹那、「主の召し」として有り難く享受していきたく思った、素晴らしい聖日の夜です。

P.S.
素晴らしい聖日の夜といえば、今日、礼拝中に奏楽で弾いたベースの演奏がとても楽しかったです。いつもよりも悦に入った演奏でしたが、誰かと音楽を奏するというのは、やはりいいものだと思いました。

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