【読書の魅力】楽器になってみる〜個性的な読書感想文のヒント
1.本を読む時、あなたは楽器になる。
皆さんは自分のことを楽器だと思ったことはありませんか? 例えば自分がバイオリンだったらどうでしょう。あの切ない音が自分の体から出ているとしたら、とても素晴らしいですよね。
もし自分がトランペットだったら、あの音が自分の体から出るとしたら、とても素敵なことだと思います。自分の音でみんなを元気づけることもできるし、自分自身もとても元気になります。
そんなファンタジーのような話は苦手という方もおられるでしょう。しかし、私は本を読む時に自分が楽器になったような気がする。つまり、私は本を読む時に楽器になることができるのではないかと、勝手に想像してしまうのです。
それは本を読むことによって、自分の体や心が響いて、そして他の人にも影響を与えるようなエネルギーが出てくる。例えば、バイオリンのように弦が響く。たとえばトランペットのように元気な音が出せる体や心になる、それが読者の特権ではないかと思うのです。
途方もないファンタジーかもしれません。でも、どうでしょう。本を読んでいる途中でも、読み終わった後でも、本から得る感動は、一言では表せない複雑なものです。私はこの感覚は、楽器が響いているように感じるのです。
2. 小説家は指揮者です。
読者が楽器であるならば、小説家は指揮者であろうと思います。私たちは楽器であり、小説家の指揮者のタクトの振り方によって、響きはさまざまに変わります。
ゆっくりしたリズムでは、楽器もゆっくり響き、テンポが上がると、楽器もしきりに速く響くようになります。小説家である指揮者が、情景描写によって、心理描写によって、指揮者のタクトの振り方によって、読み手の心が変わってきます。響き方が変わってきます。
私は小説家は指揮者であり、私たちの楽器との調和がとれた時、素晴らしい読書の時間になるのではないかと思うのです。
指揮者と楽器、その関係は微妙なものです。例えば指揮者のリズムが楽器と合致しなければ、その奏でる音は調和しません。調和しないばかりか、楽器は途中で奏でることをやめてしまうかもしれません。指揮者は続けようとするのですが、楽器の方で、関係性を絶ってしまうと演奏は全て終了してしまいます。
📌「この小説は私には合わない」と途中でやめてしまうことが多いのは、指揮者の意図がまだわかっていないからかもしれません。なぜなら前半はただただ単調なリズムの繰り返しであるかもしれないからです。なぜそのような構成になっているのか、それは指揮者が後半に向けての、意図的な構図なのです。その前段の部分で、やめてしまっては、シンフォニー全体の響きを知らないままで、中止してしまいます。
交響曲は最初から最後までの一連の流れの作品なのです。単調なリズムであったり、陰鬱な雰囲気でもなんとか前に進めてください。その後の響きが違ってくるのです。
3. 読書会はオーケストラです
このように楽器である私たちが集まって、それぞれの楽器を響かせて、つまり、すべての人間が感じたことを話すことによって、オーケストラを形成する、それが読書会であると思います。
あるいはわざわざ出かけなくても、ネット上で読書会は頻繁に開催されています。ネット上でも実社会の読書会でもオーケストラです。
これはとても面白い発想だと思います。例えばコントラバスのようにいつも低い音(渋い感想)を述べる人もいるでしょうし、トランペットのように高音で感じる人、それからクラリネットのような感じ方など、人それぞれの性格によって、一つの小説の感じ方が変わり、響き合って、それらが集まってオーケストラを形成する。素晴らしいなあと思います。
4. 私がなりたい楽器
私はなりたい学期はなんだろう、そんなことも考えています。バイオリンがいいなと思います。クラリネットやフルートもいいなあと思います。
どんな小説を読んでら、私がフルートになれるのだろう。どんな小説を読んだら私からコントラバスのような渋い低い音が響くようになるのだろう。
そんなことを考えてみると、本が面白くなります。小説を読む楽しみも増えます。
📌こんなファンタジーもたまにはいいのかもしれません。
5. 私が楽器だったら観客は誰だろう
読者が楽器で、小説家が指揮者ならば、観客は誰だろうと思います。
その演奏を聴いている人たち、つまり観客の人たちは、私たちがアウトプットをしないと生まれてこないのです。つまり観客は私たち読者が作るのです。楽器である私たちが奏でる音楽を聴きに集まってくるのです。
指揮者である小説家の意思を楽器である私たちがアウトプットすることによって、観客を呼び、どんどん感動の輪が広がっていきます。
📌楽器である私たちが、主体として響あい、そしてアウトプットしていく。
そうです。この主体性がとても大切なのです。楽器である私たちは、ただ受け身の楽器ではないのです。本を読むことによって、読者が楽器になる。それはとても素晴らしいことです。この楽器は主体的にアウトプットすることによって、その周りに人集めることができる、主体性のある楽器なのです。この「主体性のある楽器」という意味は、とても重要です。
📌私たちは主体性のある楽器です。本によって感動し、それを自分らしく響かせる、そういう楽器ではあるけれども、その楽器は主体性を持った楽器なのです。
個性的な読書感想文のヒント
あなただけの感覚を持つ
ファンタジーでもいいじゃない
本を読むとあなたは楽器になれる
どんな楽器がいい?
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