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【瞬間の美】風が見える瞬間:佐藤春夫『病める薔薇』の美の表現


✅日本語の魅力

佐藤春夫は門弟が3000人と言われるほど、日本文学に影響を与えました。
しかし、佐藤春夫の小説を読んだことのある人は少ないでしょう。

それは、純文学と呼ばれるフィールドを少し難しいと感じているからかもしれません。
佐藤春夫の文章は確かに少し古風です。
佐藤春夫の文章の中には今は誰も書かなくなった表現があります。
その古風な表現から、日本文学の良さを感じることができます。

私が感じる日本語の魅力とは

言葉の意味の深み
言葉の組み合わせの妙

つまり、日本語の一つ一つの言葉のもつ意味の深み。
その深い意味を持つ言葉の組み合わせの妙。
📌それらが、重なり合い、連なって文学が生まれていきます。

ですから、プロット(あらすじ)はあまりはっきりしていません。

だから何?

という感じで終わる小説も多いです。
ですが、📌そのなかで一行だけ、一言だけ「心に残る」

これが日本純文学の魅力です。



✅目の前に現れた家


📌佐藤春夫の有名な小説は『病める薔薇』です。

これは『田園の憂鬱』という別のタイトルが付けられています。
内容は同じです。

この『病める薔薇』から日本文学の表現の妙を感じてみましょう。

小説の冒頭の一行は

その家が、今、彼の目の前へ現れて来た。

です。

途中で、「その家」の話をしていたのです。
今まで森に隠れて見えなかったのです。
その家が、突然見えたのです。
📌どうですか、この迫力。
次に詳しい描写があります。

彼等の瞳の落ちたところには、黒つぽい深緑のなかに埋もれて、✔目眩しいそはそはした夏の朝の光のなかで、✔鈍色にどつしりと或る落着きをもつて光つて居るささやかな萱葺の屋根があつた。

佐藤春夫が妻と二人で武蔵野の農家に移りたいと考えていた理由。

いや、理窟は何もなかつた。ただ都会のただ中では息が屏(つま)つた。✔人間の重さで圧しつぶされるのを感じた。其処に置かれるには彼はあまりに鋭敏な機械だ、其処が彼をいやが上にも鋭敏にする。



✅日本語の描写

この家は大きな樹々で囲まれていました。松や桜や槇の木です。
ここにも日本の美の表現があります。

すべての樹は、土の中ふかく出来るだけ根を張つて、そこから土の力を汲み上げ、✔葉を彼等の体中一面に着けて、太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居るのであつた。――📌松は松として生き、桜は桜として、槇は槇として生きた。出来るだけ多く太陽の光を浴びて、己を大きくするために、彼等は枝を突き延した。

この文章をわかりやすく箇条書きにしてみましょう。


すべての樹は、
土の中ふかく出来るだけ根を張つて、
土の力を汲み上げ、
葉を彼等の体中一面に着け、
太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居る。
松は松として生き、
桜は桜として、
槇は槇として生きた。
出来るだけ多く太陽の光を浴びて
己を大きくするために
彼等は枝を突き延した。

この箇条書きを読んでどう思いますか?
こんな描写方法など面白くないですか?


ここでは樹が人間になっていますね。
一本の樹がひとりの人間になっています。
📌力強いです。
この力強さを感じる時、生きるエネルーをもらいます。


日本純文学の特に明治期、大正期の文学にはこの「自然の力」を感じる文章が多いです。

それはたぶんロシアのツルゲーネフやイギリスのワーズワースの影響です。
今でも世界ではワーズワースの詩を愛唱している人がたくさんいます。


『病める薔薇』の中には素敵な描写がたくさんありますが、私は次の文章だけで満足です。

📌松は松として生き、桜は桜として、槇は槇として生きた。

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NHKアーカイブの動画です。
いい文学が生まれるために 時代が良くなければならん(佐藤春夫)


✅風の見える瞬間

風の見える瞬間についても見てみましょう。

田の面には、✔風が自分の姿を、そこに渚のやうな曲線で描き出しながら、ゆるやかに蠕動して進んで居た。それは涼しい夕風であつた。稲田はまだ黄ばむといふほどではなかつたけれども、花は既に実になつて居た。

田の面には、風が自分の姿を、
渚のやうな曲線で描き出しながら、
ゆるやかに蠕動して進んで居た。
稲田はまだ黄ばむといふほどではなかつたけれども、
花は既に実になつて居た。


📌風が自分の姿を、渚のやうな曲線で描き出しながら……

このような表現はどのようにしてたら生まれるのでしょう。

📌純文学は日本語の広がりと奥行き、そして組み合わせの妙を楽しみたいですね。


最後に長めの文章を載せます。この部分が『病める薔薇』の描写です。
ぜひ下線の部分を味わいながら読んでみてください。


おお、薔薇の花、彼自身の花。「薔薇ならば花開かん」彼は思はず再び、その手入れをした日の心持が激しく思ひ出された。彼は高く手を延べてその枝を捉へた。そこには✔嬰児の爪ほど色あざやかな石竹色の軟かい刺(とげ)があつて、軽く枝を捉へた彼の手を軽く刺した。それは、✔甘える愛猫が彼の指を優しく噛む時ほどの痒さを感じさせた。彼は枝を撓めてそれを己の身近くひき寄せた。その唯一つの花は、嗟(ああ)! ちやうどアネモネの花ほど大きかつた。さうしてそれの八重の花びらは山桜のそれよりももつと小さかつた。それは庭前の花といふよりも、寧ろ路傍の花の如くであつた。而もその小さな、哀れな、畸形の花が、✔少年の脣くちびるよりも赤く、さうしてやはり薔薇特有の可憐な風情と気品とを具へ、鼻を近づけるとそれが香りさへ帯びて居るのを知つた時彼は言ひ知れぬ感に打たれた。悲しみにも似、喜びにも似て、何れとも分ち難い感情が、切なく彼にこみ上げたのである。それは恰かも、✔あの主人に信頼しきつて居る無智な犬の澄みきつた眼でぢつと見上げられた時の気持に似て、もつともつと激しかつた。譬へば、それはふとした好奇な出来心から親切を尽してやつて、✔今は既に全く忘れて居た小娘に、後に偶然にめぐり逢うて「わたしはあの時このかた、あなたの事ばかりを思ひつめて来ました」とでも言はれたやうな心持であつた。彼は一種不可思議な感激に身ぶるひさへ出て、思はず目をしばたたくと、目の前の赤い小さな薔薇は急にぼやけてうん、双の眼がしらからは、涙がわれ知らず滲にじみ出て居た。


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