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安堵と嘆息の入り交じる日常

前回の投稿から1ヶ月あまりが経ちました。とても長かった、というよりも、毎日世の中が自分に関係するところでリアルタイムに激しく変化し動いていく、という初めての体験をしたので、もうお腹いっぱいというのが正直な心情です。スマホの写真を見返してみるといろいろ撮影していたので、今日は写真で振り返ってみたいと思います。

妻が初めての出産を控え、和歌山県にある実家に里帰りしたのが3/20過ぎ。自粛ムードが緩み始めていたあの三連休ですね。妻が出産予定の病院での検診がすでに決まっていたので、不要不急ではなかったと思いますが、ひょっとしたら自分も加担してしまったかと思うとやりきれません。この頃まではまだ、世の中も震災の時に見られた「自粛ムード」的な範囲で収まっていたと記憶しています。

3月の終わり、富山は季節外れの雪に見舞われました。外出自粛が呼びかけられた東京でも積雪があり、「天が人々に外に出るなと呼びかけている」など言われてましたね。そして3月30日、富山県でもついに最初の感染者が確認されました。

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それでも桜は4月頭には花を咲かせました。今年はいつもより10日~2週間ほど早かった印象です。この頃はまだ、職場のある南砺市桜ヶ池にも花見や外遊びで結構な人が訪れていました。

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4月1日、南砺市で初めての感染者確認。最初の感染者の友人で、車の中で長時間話し込んでいたことで感染したと見られるそうです。SNSでは県民を中心にすさまじいバッシングの嵐でしたが、きっと久しぶりに会った友達といろいろ語り合いたいことがあったんだと思います。そしてその翌日からは通っていた体育館のジムが閉鎖。ほどなくして南砺市の春の祭り、城端曳山祭と福野夜高祭の中止が決まりました。この頃から、購読している新聞にたびたび「集金から口座振替に切り替えませんか」という折込チラシが入るようになりました。
「自分は感染するとは思っていない、感染するはずがない」そんな人たちが富山にも多かった時期でした。バッシングした人たちも、当然同じ心持ちで、新型コロナウイルスは軽率で何も考えていないヤツがかかる病気なんだ、だからそんなヤツは叩いてしまえ、そんな雰囲気だったのでしょう。今日(5/3)で感染者がすでに200人を超えている富山で、そんな雰囲気はさすがに影を潜めていますが。

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いろいろと覚悟はしていましたが、自分でもこの頃には県外との往来はとりやめ、ほぼ南砺市内にこもるようになりました。その前は金沢市内や富山市内には普通に出かけていたので、やはり危機感は薄かったんだと思います。4月の第一週には城端の桜もほぼ満開になりました。

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我が家では生協の個配というものを使っていて、週に一度注文した食料品や日用品を届けてもらえます。以前は少しだけ使っていましたが、外出自粛になってから注文する量が一気に増えました。近所のスーパーでは扱っていない食材や冷凍品をたくさん扱っているので、本当に助かっています。実家の両親も利用しているのですが、あまりに注文が増えすぎて新規の利用者を断っている状態だとか。富山では感染症指定医療機関で相次いで感染者が発生するなど、急速に危機感が強まってきた頃です。

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私の経営する会社でも、この状況を受けて対応可能なスタッフはテレワークへ移行することになりました。クルマで5分ちょっとの事務所にすら顔を出せないっていったいどんな状況だよ、と混乱しながらも、自宅のデスク周りを片付けてノートパソコンとモニターをつなぎ、いつも通り仕事に励みます。日番でどうしても出勤しなければいけないスタッフにも、マスクをしていない外来者の受付停止、入室時の消毒の徹底などを呼びかける日々。早期収束への希望はこの頃急速にしぼんでいましたので、この日常はこの先かなり長い間続いていくことになるのでしょう。
テレワークになると、その日の天候以外、日常に変化が少なくなるので、昼休みはなるべく外出することにしました。自宅の周りは田んぼや森、神社などがふんだんにあるので、毎日がハイキング状態です(働くには最高の環境です)。あと時間を決めてコーヒーを飲んでいます。「テレワーク中は一定のリズムで仕事をし、決めたことをルーチンに続ける」のがいいとネット記事で読んだので、黙々と実行中です。

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4月第三週、南砺市ではほとんどの公共施設が臨時休館となりました。県内のどの市町村よりも早かったと記憶していますが、市民に対して危機感を持つよう促すために、身近な存在である公共施設を閉める、という決断をされたのだと思います。でも地方の貴重なインフラである公共施設を閉められてしまうと、本当にいくところがなくなりますね。それが臨時休館の目的なんですが。あとジムがあった体育館もついに全館休業となってしまい、雨の日にウォーキングするところがなくなってしまいました。肥らないようにせねば。

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身近な飲食店も、この頃から休業するところが出始めました。私の経営するカフェでも、3月の中頃から宴会予約が入らなくなり、4月にはパタッと途絶え、やがて昼間の来店も加速度的に減っていきました。私の会社は幸いにも他にもいろいろな事業を営んでいますが、飲食一本で頑張ってこられたまちのお店には、本当に酷な状況が続いています。定食の美味しい「松屋」さんは当面休業、関西風のウナギが食べられる「南幸」さんは短縮営業となりました。

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そして緊急事態宣言が全国に拡大されました。この法律が国会を通過したとき、富山県に発令される事態は五分五分の確率だろう、と思って準備していましたが、悪い方の予想が的中してしまいました。そこからは雪崩を打つように、県内の施設という施設、イベントというイベントはほとんどすべて閉鎖、キャンセルされました。私の経営するカフェでも、4月の最終週からは店内飲食をとりやめ、テイクアウトのみの対応に切り替えました。
この頃から、新聞の広告欄と求人欄にかなり空きが目立つようになってきました。あと折込チラシが一気に少なくなりました。経済が動きを止めることによって、影響がドミノ倒しに拡がっていることを実感しました。また365日行われていた、城端別院善徳寺の朝昼の法話が休止されました。これは城端の人たち、特にお年寄りにとっては驚きだったと思います。日本中でここだけ、450年前(戦国時代)から続いているんですね。

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私が休みの日のささやかな楽しみにしていた映画館も、入居しているショッピングモールが休業したことにともない、軒並み休館となりました。富山県の二大ショッピングモール、ファボーレとイオンモール高岡が同時に休館する日が来るとは、富山に来たときには夢にも思いませんでした。この記事の二日後、県内で最後まで営業していたJMAXシアターとやまも休館し、映画館での上映を楽しむことはできなくなりました。「劇場版SHIROBAKO」ももう一度観たかったし、観たかった「グリーンブック」もリバイバル上映されていたのか・・・指をくわえて見送るしかない悲しさ。

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この頃市役所から、妊婦向けにマスクが届きました。市内の下着メーカーさんが寄贈してくださったフィット感のあるマスクです。一人2枚でしたが里帰り中の妻は「その気持ちがうれしい」ととても喜んでいました。実家ではほとんど外出できず退屈しているそうなので、何度か本を送っています。次の便でこのマスクも送りたいと思います。
あと東京に住む弟のもとに、噂の政府謹製の布マスクが届いたそうです。ちなみに国は妊婦向けにもマスクを用意していたそうですが、不良品が見つかり送付が止まっているそうです。市役所はその代わりに寄贈されたマスクを送ってくれたんですね。現場の判断に感謝です。

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政府から全国民に一律10万円が配られることになり、我が家では妻と相談して、「10万円の半分は貯金、半分は自分の応援したい人たちから物を買うために使う」という取り決めをしました。さっそくガンガン使っています。昔はお取り寄せが好きでしたが、お小遣いがすぐなくなるので控えていました。財政的な裏付けがある人間は強いのです。左は富山市八尾・玉旭酒造さんのアマビエラベルの大吟醸「おわら娘」。右は高志の国文学館の裏手にあるkoffeさんのコーヒー豆です。近所の田村萬盛堂さんのいちご大福と一緒にいただきました。

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自宅の周りの田んぼには水が満ち、いよいよ田植えの季節がやってきました。いつもは大型連休の帰省を兼ね、大勢の人が都市部から田植えを手伝いに来られますが、今年はそれも無理ですね。北陸新幹線の指定席予約が前年度比95%減、5/3~5/5まで富山空港の東京便は全便運休。こういう文字を新聞で見るたびに、人が動かないことへのホッとする気持ちと、交通機関はじめ社会を支えて働く人たちのこれからの困難への嘆息、両方が入り交じります。

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妻の出産予定日まであと5日、出産する病院には立ち入ることすらできなくなり、県外への移動も今はできませんので、ただ自宅で無事に出産してくれることを祈るばかりの日々です。でもこれから出産に臨む妻の不安に比べれば、旦那の憂鬱な日々はささいなさざ波くらいのものでしょうね。こんな大変な時に生まれてきてくれてありがとう、これから一緒に生きていこうね、おそらくテレビ電話越しに初めて対面するであろう赤ちゃんには、そう声をかけてあげたいと思っています。

2012年に、京都から富山県の南砺市城端(なんとしじょうはな)へ移住してきました。地域とコンテンツをつなげて膨らませる事に日々悩みながら取り組んでいます。 Twitter⇒https://twitter.com/PARUS0810