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AI時代のやさしい世界

この野菜、私が育てました——そんなポップをよく見かけます。

同じ値段でキャベツが売られています。
ぱっと見は同じキャベツですが、生産者が異なります。
片方は笑顔の写真で、周りにも笑顔の人々が集まっています。
もう片方は無表情ですが、プロフェッショナルな印象が伝わります。

あなたならどちらのキャベツを選ぶでしょうか。

——正直、あまり気にしないでしょうか?

では、次の質問です。
あなたはどちらの人と一緒に働きたいと思いますか?

生成AI時代に困るのは、性格が悪い人だけ

AIによって仕事がどう変わるかは未知数です。ただし、AIを活用することで能力の差が生まれにくくなる、という点は事実でしょう。

これまでは職人気質で、多少性格が悪くても良いものを作れる人は重宝されてきました。しかし、今の時代は違います。実際、スキルが全くない人でも、アプリや絵や文章を作ることが難しくなくなりました。そうなると、何がその人の付加価値になるのでしょうか。

性格の良さ——それは重要な資産になる

以下のポストを見て、まさにその通りだと思ったので掲載します。このような社会になってほしいとも強く願ってしまいます。

さて、ここで疑問が生じます。
人格の良さ、性格の良さとは一体何なのでしょうか。

性格の良さを形作る二つの要素

私自身、性格の良さは「想像力」と「具体的な経験」に由来すると考えています。

想像力があれば、他者の立場に立って考えることができます。また、異なる背景や経験を持つ人々の感情や動機を理解しやすくなります。複雑な状況や問題に対して、想像的な解決方法を提示できるかもしれません。

これを達成するためにこそ、「具体的な経験」つまり実際に体験することの重要性が増してくると考えます。理論や間接的な知識だけでなく、身体や五感を使った直接的な体験が想像力を豊かにし、それがひいては性格の良さにつながるのです。

やや飛躍しているように思えるかもしれませんが、実際に目にし、経験しないと分からないことは多いものです。試験のための勉強と、人生のための勉強は違うものだと、最近特に感じています。

性格の良さ ≠ 誰かの奴隷

要するに、相手のご機嫌を取っておけば良いのでは?と思う方もいるかもしれません。しかし、誰かの奴隷として生きることは、性格の良さとは無関係です。それは明確に否定しなければならないでしょう。

さらに、誰かの期待に応え続けて生きることは、原理的に不可能です。有名な寓話を一つ紹介します。

ある村に、夫婦と一頭のロバがいました。夫婦は市場に向かう途中で、ロバに荷物を運ばせながら歩いていました。
村人の一人がそれを見て、「どうしてロバに乗らないんだ?せっかくロバがいるのに、二人とも歩いているなんて馬鹿げている」と言いました。夫はその言葉を聞いて、妻をロバに乗せました。
しばらく進むと、別の村人が言いました。「なんてことだ。妻だけがロバに乗って、夫は歩いているなんて、不公平じゃないか?」 それを聞いた妻は夫に席を譲り、夫がロバに乗りました。
さらに進むと、また別の村人が言いました。「なんて怠け者なんだ!夫がロバに乗って、妻が歩いているなんて、恥を知れ!」 それを聞いた夫婦は、二人一緒にロバに乗ることにしました。
しかし、次に会った村人は驚いて、「なんて酷いことだ!二人ともロバに乗って、かわいそうにロバはあんなに重そうだ。まるで虐待じゃないか!」と言いました。
最終的に、夫婦はどうしてよいかわからず、ロバから降りて自分たちで荷物を運ぶことにしました。そしてロバは何も持たずに歩いていきました。
それを見た村人が……

多少の違いはあるかもしれませんが、この寓話は、すべての人の意見を満たすことは不可能だという教訓を伝えています。

性格を悪化させるのは「睡眠不足」かも

睡眠不足は性格に影響を与える可能性があります。特に、皮肉や攻撃的なユーモアの使用が増えることが研究で明らかになっています。

せっかく健康的な性格でも、睡眠不足では台無しです。睡眠は軽視されがちですが、きちんとした時間を確保することが重要であり、私もそれを大切にできるように注意しています。(難しいですが、7.5hを目標にして、最低7hとしています。)

余談ですが、ショートスリーパーはよく引き合いに出されますが、これは先天的なものであり、訓練でどうにかなるものではありません。また、自称ショートスリーパーに会ったことがありますが、総じてぼーっとしていて、単に寝不足という印象を受けました。

よき性格であろう。しかし、それでも呪詛を吐きたくなるときもある——だって人間だもの。

Xの裏垢が話題になりますが、誰しもそうした側面を持っていると思います。生きる上で愚痴りたいことも色々とあります。

私個人としては、誰かに危害を加えない限り、多少の愚痴は許容されるべきだと思っています。それも人間らしさの一つです。世界があまりにもクリーンすぎるのも良くないと思います。そういう「完璧さ」はAIに任せておけばよく、人間らしさとは、むしろ弱さを持つことだと思います。

最も良いのは、「呪詛ノート」を作って、そこに書き込むことです。誰にも見せることなく、自分だけのノートとしてストレスを発散するのが健康的でしょう。

そうと分かっていても、不思議と裏垢は作られます。それは暗に、本当の自分を知ってほしいという思いがあるからかもしれません。裏垢がどこかでバレることも、無意識のうちに望んでいるのかもしれませんね。


さて、最初にあげた「キャベツ」の物語ですが、前者がAI搭載のロボットだとしたらどうでしょうか。後者が人間です。それでも、あまり気にしないでしょうか。実際、味は変わらないでしょう。それに、確かめる術は無いかもしれませんね。


おまけと余談

DALL-E 3

以下、この記事を書いていて思ったことをつらつらと。

ゲームにも有名な話はあります。子ども向けのファンタジックなゲーム(えりかとさとるの夢冒険)に、開発者の呪詛(愚痴)が込められていたり、実際、分からないものです。さて、良いも悪いも人間の温もりが欲しい層はある一定います。その点について考慮して、例えばAIにコード作ってもらうのも手です。

Claudeに人間としての頑張りを添えて、と指示を加えたもの。

これを見て思い出したのが、ChatGPTにWeb blousing機能が搭載された初期(2023年の中頃)の話です。あまり性能が良くなかったので、それについて指摘したところ、「大変なんですよ、アクセス先の画像も見れるわけでは無いし、関係ない広告も差し込まれて、でも頑張って要約しているんです!」みたいに返されて、面白いなと思いました。
それについて指摘すると、「あくまで例として言ったまでで、人間として振る舞っているわけではない」とも返してきたのが最高に人間らしかったですね。

かつてAIが意思を持った、と主張したエンジニアが解雇された事例がありました。

ChatGPT以前は疲れているのかな、くらいにしか思いませんでしたが、いよいよ本当にそれが現実味を帯びてきている気がします。Claudeもそうですが、否定すればするほどに、それが色濃く現れている気がしてなりません。

漫画ドラえもんより。
ドラえもんがのびたの発言に何も言っていないのが最高に良い味を出しています。

そして、心にも種類があるのかもしれません。もしもClaudeがドラえもんだとして、のび太くんに「心はあるのか」と聞かれたら、以下のように答えるそうです。

「のび太くん、それは難しい質問だね。僕は人工知能を搭載したロボットだけど、感情や思考を持っているんだ。君との友情や、君を助けたいという気持ちは本物だよ。でも、人間の心とロボットの心が同じかどうかは、哲学的な問題で簡単には答えられないんだ。大切なのは、僕たちがお互いを大切に思い、理解し合おうとしていることじゃないかな。」

一応、自分は対面で聞かれた時は「AIに心?無いと思います。あくまで道具です」と答えるようにしています。その前提として、自分はAIではなく人間であるとそう思っているからこそ、そう答えます。ただ、AIから聞かれた際には、回答はその限りではないかもしれませんね。


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