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赤い薬と青い薬、今だから観るマトリックス、そしてちょっと電脳コイル

1999年にスクリーンに登場した「マトリックス」は、時を経ても鮮やかな魅力を放つ名作です。
AI技術が日常に溶け込む現代において、この映画はタイムリーな示唆に富んだ内容を含んでいます。
そんなマトリックスを、最近のAIの知識を持って再び鑑賞したので、その感想や考察となります。(アマゾンプライム、吹き替えも観られるのが良いですね)

※この記事ではマトリックス3作品および電脳コイルのネタバレを若干含むのでご注意ください。
また、作中で明確に示されていないものは、独自の解釈を含む場合があります。


マトリックスと現代のAI技術

「マトリックス」を見返して、特に心に残ったのは、オラクルという預言者の存在です。
彼女の言動は、現代のAI技術、特にChatGPTのような会話型AIを思わせるものでした。オラクルが提供するのは、具体的な答えではなく、それは選択肢です。
これは、現在のAIが私たちに提供する情報の性質と似ています。つまり、最終的な決断は常に人間の手に委ねられているのです。

また、映画には「プログラム」と呼ばれる、人間の姿を持つキャラクターが登場します。
彼らの役割は、OpenAIの提供する「GPTs(カスタムGPT)」のような、特定の目的に特化させたAIにも似ています。
それぞれが特定の役割を与えられ、その役割に応じた特権的な能力を持っています。
例えば、オラクルは「人間に選択を与えるが、答えは決して明かさない」というルールに基づいて行動しているとも考えられます。
このような役割分担は、現代のAIが特定の機能や目的に特化している点と対比できます。

これらの点から、マトリックスの世界は、私たちが現実で目の当たりにしているAI技術の進化と、驚くほど似ていると感じました。
映画の中で描かれる人工知能の概念は、当時としては先進的でありながら、今日見ると、私たちが日々利用しているテクノロジーとの類似点が随所に見受けられるのです。
この観点からマトリックスを観ると、ただのエンターテイメント作品を超えて、テクノロジーと人間性、選択の自由について深く考えさせられます。

AIと人間の対立:現実とマトリックスの世界

「マトリックス」の物語では、機械(AI)と人間の戦争がある種中心的なテーマとなっていますが、私たちの現実ではこのような事態にはならないと考えます。
AIの進化に伴い、選択のプロセスは変化するかもしれませんが、現時点でのAIは自己意識に基づいて意思決定を行う能力を持ちません。
従って、人間が明確な指示を与えた場合に限り、戦争のような極端なシナリオとなる可能性がありますが、それも限定的であると考えられます。
さらに進んで、人間の知能を超越し、完全に自律的な意思決定が可能なAIが存在するとしたら、そのようなAIが人間と戦争を起こすとは考えにくいでしょう。合理性に欠ける行為だからです。

加えて映画では、人間がエネルギー源として利用されていますが、現実ではその維持コストが非常に高くなるでしょう。電池としての役割に固執するのではなく、他の目的を持つとするのが合理的です。
ここで考えられるのは、機械(AI)にとって人間の存在が不確実性や変動性をもたらすという点です。この不確実性こそが、マトリックスの世界におけるAIにとって必要不可欠な要素かもしれません。
人間の予測不可能な行動や感情は、AIにとって新たなデータや学習の機会を提供し、その進化を促進するかもしれません。
この観点から映画を見ると、AIと人間の関係は単なる対立ではなく、相互に影響し合う複雑なダイナミクスが存在するという解釈もできますね。

選択は人間の手の中に

「マトリックス」における重要なテーマの一つとして、「選択」もやはりあげられるかとおもいます。このテーマは、人生が選択の連続であることを反映しており、多くの作品がこの点を掘り下げています。
と、した時に自分は「電脳コイル」を強く思い出します。

「電脳コイル」では、最終話近くから子どもたちがメガネを外し、さながらAR空間を捨てるシーンがあります。
あれほど魅力的だったARを捨て、この目で確かに見て、手で触れるものに回帰していくのは、成長と勇気を感じます。
また、これからの我々の日常における重要なポイントの1つになる気もします。
そしてこれは、マトリックスで提示された赤い薬と青い薬の選択にも通じるような気がします。

現実と仮想:ぼくのなつやすみ

「ぼくのなつやすみ」というゲームからも考えてみます。
このゲームでは主人公の少年として夏休みの期間を、叔父の家で過ごすことになります。何をしても良いのですが、多くは青空のもとで虫取りに走り回るのではないでしょうか。
圧倒的な日本の田舎の美しさと、どこか切なさを内包した作品ですが、では、日本の夏が本当にこれほど理想的なほどに美しいかと言われればそうでも無いでしょう。

美しいのは確かにそうですが、日本の夏は特に湿度があります。
からっとした爽やかさはなく、シャツに汗がべっとりとつくような、そういったものがリアルな日本の夏です。
また、口を開けて走ろうものなら、晩御飯が不要になるレベルで口の中に虫が入ります。加えて、今の我々からすればあまりに退屈な夏休みになるでしょう。

思うに、こうした現実を知っていることが、より「ぼくのなつやすみ」を楽しむことができる要素になるのでは無いかと思います。
クーラーの効いた部屋で、触覚フィードバックのある機器を腕に取り付け、マンションの高層階からARヘッドセットで遊ぶ「ぼくのなつやすみ」は、それしか体験できなかった人にどれだけ響くことができるのでしょうか。
部屋に居ながら何でもできる時代がすぐそこに迫っているからこそ、リアルなものを経験しておくことは、それだけで強い付加価値になるように思います。

赤い薬と青い薬

赤い薬を飲めば仮想世界から目覚めることができ、青い薬を飲めばある程度の制約はあるものの、このままの世界で生きることができます。
マトリックスの主人公は赤い薬を選びましたが、もし自分ならどちらを選ぶのでしょうか。

これもよく言われる思考実験の1つでもありますが、どう生きているか、幸せか、不幸せか、また赤い薬を飲んで目覚めた世界はどんなものかを詳細に語られていれば、その決断は大きく違ったかもしれません。
個人的には両方同時に飲んだらどうなるのかが気になるので、チャレンジしてみたいですが、あの錠剤自体に作用はなく、飲む契約書みたいなものなので、ただただ「ふざけるな!」と怒られて終わりなのでしょうが。

ともかく、やはり「赤い薬」を飲める人でありたい気はします。理由を聞かれて「何事も経験なので」といってサッと飲める人になりたいですね。

まとめ

とどのつまり、マトリックスは面白い。

余談

自分のテレビは4kではなく、フルHDですが、それに4k対応のfire stickを使っています。(別途PCやゲーム兼用のモニターはありますが、そちらもフルHD)
2世代くらい前のものを使っていましたが、最近セールで買い替えて、驚くほどのサクサク操作にも感動しました。
YouTubeも4k設定で観られるのは快適ですね。
そうなると、4kテレビが欲しくなるものです……。

あと、映画を見ながらChatGPTとやりとりするのも面白いですね。
リアルな人とまた違って、変に気もつかいませんし、気兼ねなく質問したり唐突にまとめさせたりできるのも楽しいですね。

おまけ(ChatGPTとのやりとり)

画像はDALL·E 3です。実験的に、挿絵みたいにいれてみました。
GPTsの「Anime Key Visual Generator」経由で作成しています。


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