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#国際女性デー 会ったこともない女性が、私の人生を大きく変えた話。

私は40代までけっこう男尊女卑だったと思う。女なのに男尊女卑を内包していた。

最初にそのことに気がついたのは父親が倒れたとき。いろいろヘビーな状況で中国から一時帰国して対応し、病院の相談部にお世話になった。担当者が女性だったので(女性で大丈夫かな)と思い、(え、自分も女なのになぜそんなこと思っているの?)と初めて気がついた。

遅い。


女性だから天皇になれない、女性は結婚したら皇室でも家を出て行け、に始まって、日本の女性はすべからく「女はダメ」を刷り込まれていたから……、と思っていた。が、アメリカも深刻にそうだったのね、と知ったのが、映画「ビリーブ」。

ハーバードのロースクールで、500人にたったの9人の女子学生は最初に法科の教授から「男の席を奪ってまで弁護士を目指す理由を述べよ」と言われる。父が弁護士でその仕事を手伝いたくって という女子学生は賞賛されるが 親が勧める 結婚が嫌でと言った女性は発言を途中で止められる。
当時のアメリカ(60年代から70年代)で、成績抜群でも女はエリートの仕事に就職できず、仕事の場でも差別は大きい。アジアとはまた違う差別感。
ようはアメリカは開拓地で”強い男”がもてはやされる国だからである。男が強いためには女は弱くあらねばならず、ホーム・スイート・ホームがアメリカンドリームならば担う女を家の外に出すな、てとこですね。

映画ビリーブの公式サイトより。アメリカの最高裁判事まで登った女性の話。

正直映画としてのデキはイマイチでモデルのルース・ギンズバーグご本人のほうが面白いと思う。あとこんなきれい事だけじゃないわな。

「女性を優遇してくれとはいいません。男性の皆さん、私たちを踏みつけるその足をどけて」(ルース・ギンズバーグ)

ウィキペディアから。ルース・ギンズバーグ



しかし自分もダイヤモンド社と裁判中なので共感するところはあって、たとえば主人公が大事な法廷でうまく話せず失敗してしまうところ。
私も一番最初の法廷で、せっかく裁判長が発言の機会をくれたのにダイヤモンド社の弁護士がストップをかけうまく返せなかった。悔し~。裁判は慣れも大事。
今なら3倍にしてやり返せるし(注:裁判としてそれが良いわけではありません)
なんか恐れられてますが。オホホ、本当よ。

私が強いんやない、事実が強いんや。


あとは主人公より、どっちかというと途中で出てくるたった一人で現実と戦ってきた先駆者の女性弁護士さんのほうに共感した。

しかし人から見れば私とて恵まれているかもしれず、かくて女性は既婚未婚、専業兼業、子なし子あり、若い年寄りと分裂してしまうわけですが、このへん男という基本条件だけで知らぬ同士でもパッとチームを組む日本の男に社会訓練の長きを見る。

でも今後は日本で女性も団結できそうな気がする。昔は女性の財の獲得がほぼ100%男経由だったため、あの女が取れば私は減る、のゼロサムゲームだったわけですが世の中変わった。
男ほどやらなくていいと思うけど。
女はそんなに弱くないから。オホホホ。

あ、表題の「会ったこともないのに私の人生を大きく変えた人」はもちろんルース・ギンズバーグではありません。
はい、ある日本女性です。

私は自分に合った大学の進学を母親と姉に阻止された。
(詳しくはこの記事を)

姉、布山季里は今、女子美の教授ですが、才能を認めていた妹の教育の権利を嫉妬でやもたまらず奪ったような人を、客寄せで先生にした女子美のレベルは想定される。高校生の皆さんは進学しないほうがいい。
いや、彼女は会社経営時代、採用したクリエイター女子(めっちゃ才能あった)を、長時間の違法残業とパワハラで精神疾患にしているので本当に危険。
人間の本質は死ぬまで変わりません。

で、私も合格した大学進学を阻止され大変だったが、紆余曲折を経て、中国てなもんや商社に入社、1985年に男女雇用機会均等法ができ1986に施行、入社はその翌年1987年だった。

はい、私の人生を変えたのは、男女雇用均等法を事実上作った赤松良子さんである。有名な方ですが、私は意識が大変低く今までちっとも注目していなかった。

彼女がいなければ、私は男性と同じ研修を受けることもなく、商社の基幹営業職に就くこともなく、海外出張をすることもなかったでしょう。そもそも就職も受からなかったかもしれないし(総合職採用だから)、後に本を書く事もなかった。

今では想像つかないかもしれないが、この法律が施行されるまでは女子はアシスタント業務ばっかりだった。
いや、本当に。
女性は(法律で)長時間残業できなかったんですよ、昔は。
原則1日2時間、週6時間まで。深夜業禁止。

これを改悪だと思う人もいるだろう。
当時はバブルで、実際に企業はそれまで保護されていた女子社員を若い間だけ長時間こき使い、使い捨てにしようとした。

女性も労働基準法違法かすれすれの労働時間で独身ならまだしも結婚したら絶対ムリ。そう言えば、それは男とおなじように働けないお前たちが悪いからだ、嫌なら辞めろとなる。結婚や出産退社も日本は終身雇用で若い時は給料が安く、定年まで勤めてその投資が戻ってくる構造だから女に分が悪い。一般職という法律の抜け道も作られていた。女性が一度辞め、出産育児してから戻ると東大を出ててもパートの時代。

仕事は男並、昇進は事実上なし(私の会社はできました。念の為)。男女平等の下に安く使える兵隊が増え、そういう意味では赤松さんは抜きん出た女性にありがちな男社会の回し者、という見方もできる(笑)。実際そう批判されたこともあったと言う。

この後、97年に再度改正でセクハラ禁止、女性への差別的取扱い禁止になり、2006年に妊娠、出産等を理由とした不利益取り扱いの禁止……と続いていく。

保護か差別か、というのは難しい問題だが、保護や庇護されているうちは正直男女問わず誰でも何でもその保護範囲になる。やはり改正は道を開いたと私は思う。性別による保護よりは、男女ともに労働法を守らせるほうが大事である。
上記の映画のギンズバーグはこの女性の○○できない、✖✖はダメの差別的労働法を変えていくが、この赤松さんが60年代にアメリカに研修に行っているのは興味深い。

私は京大阪大が標準、旧帝大以下は人間ではない進学校から、合格した日大芸術に行けなかった⇒女子大在学から受験しなおして京都芸術短期大学へ。
卒業しても”標準”じゃない⇒高校の同級生は皆行く大企業は受けるだけムダでてなもんや商社へ。
辞めてもマスコミにコネなどないから、原稿を文春へ持ち込んで処女作出版へ、その後留学し……とそれしか方法がないからイレギュラーな道を歩んで、自分の希望を叶えてきたわけですが、なんとそれをこそっと後押ししていたのは、大阪出身の女性が作った、

地味な法律の条文だった。


赤松さんも、東大法学部で、800人のうち、女性は4人だったそう。

若き私は、いやー、そういう立派なひとは神棚においといて、表向き多少差別されても(というか差別されていることすら気がつかず)ラクなほうがいい、などと思っていた。

高校生の私は正義を唱えて世の中に逆らう女性を観察し頭とコスパ悪しと結論を出した。それでもなんとか自分を発揮しようとすれば家族の女性達につぶされて何年も立ち直れなかった。
しかし最近…(以下はまだ秘密)。


アンフェアに慣らされて。
アンフェアが当たり前。
それはイヤ。


「フェミニズムについていちばん簡単な説明は、たとえばマーロ・トーマスの歌にある「あなたも私も自分自身でいられること」でしょうか。
(ルース・ギンズバーグ)


国際女性デー。
全ての女性が幸せでありますように。

#国際女性デー #男女差別 #女子美   #ルース ・ギンズバーグ

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