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中国天津で買った5000円の骨董が、100万円に化けた話

 先日、天津に行ってきました。
 天津には古文化街という有名な骨董街があります。
  
 私が初めてここに来たのは新入社員一年目の1987年の秋です。  

 当時ダイエーが社員を200人ぐらい連れて、神戸から出た客船で北京、天津、大連など中国各地を回る研修をやった。
 ダイエーと中国の合弁商社に入社した私はそれに参加していたんですね。この時が初中国です。
  
 研修は船の上で中内功社長や息子さんとかが、「ダイエーの未来、日本の未来」とかを語る。あとは店舗の優秀な社員の表彰式があったり、中国各地を観光したり。今思うと、ダイエーの中国進出のための布石でもありました。

 企業の取り巻きの、怪しい経済評論家とかコンサルタントも、このときはじめてみました。
 幹部社員といっしょに壇上にのって、何かもっともらしいことを言っている(笑)。息子をちやほや……。
 
  そのあと、私は中国へ出張でひんぱんに行くようになりました。
 
  まだまだ外国人は特別扱いの時代で、工場で仕事の後、お土産を買いたいと言ったら、天津のデパートを全館営業時間を延長して開けて待っててくれたことがあります。お客さん、私だけ。
 アラブの富豪かよ。

 1万円ぐらい使うだけなんだけど、当時は店員さんたちの月給が200円とかで、それなりの売上になる。
 店員さんたちに分前も、 ”開けとけ!”とデパートにエラソーに電話していた公司の人にバックマージンもあったでしょう。それぐらい経済格差があった。

 で、古文化街でそれを買ったときも、当時の天津対外貿易局服装輸出入公司の人と一緒でした。
 
 北京の友誼商店の骨董部門は半貴石の骨董宝石があったり高級品が多かったけれど、天津はガラクタ骨董と当時、禁制品だったテレサ・テンのカセットがいっしょに並んでいたりする。
 でもそれはちゃんとガラスケースの中に入ってました。

 中国の宮廷の女官の髪飾りだろうなー、ということは、私にもわかりました。
 

 こういうのの一片の、そのまた半分。
 ただし、そのブルーの色がものすごくきれい。
 聞くところによると、孔雀の羽のブルーの部分を一本づつ貼り付けるとか。

 (写真は復刻品でイメージ)

 値段は思ったより高くて5000円ぐらい。

  こんな半分しかない壊れてるやつがそんなする? でもそれしかない。
 ただ、中国政府の文物海外持ち出しOKを意味する、赤い蝋のスタンプが付いてました。

 ちょっと考えて買うことにしました。
 隣にいる服装公司の人が複雑な表情だったのを覚えてます。彼のお給料の数倍だから。

 で、その後、もずっと中国に関わっていたけれど同じものは二度と見なかった。あるとすれば複製品です。プロ市場には本物もあったかもしれません。
 かんざしは家で当時天津で定宿だったハイアットの売店で買った“中国箱”に入れて、時々取り出して眺めてました。

引っ越しで捨てようと思ったことも何度もあるけど、きれいすぎてそのたびに思いとどまりました。

ラストエンペラーが故宮の文物を持って天津に逃げた

 その後、時は流れて、2001年。
 私は北京に住むようになりました。

であるとき、西太后の別荘であった頤和園に行きました。彼女の遺品を飾ったコーナーで、
「あっ! あのかんざしがある! 」
 デザインも古び具合も、素材もまったく同じ。
 私のやつは西太后のほど豪華ではないけれど、隣のお姫様がしているぐらいのクラスです。

これ、なぜ天津にあったんだろう……。

 いつも思っていたそのナゾは、今回の天津訪問で解けました。昔の日本租界にあった静園に行ったんですね。ここは北京から逃げてきたラストエンペラー溥儀の住居でした。

 清朝崩壊で溥儀は、イギリスなど西洋諸国の公館に助けを求めます。
 しかし断られました。そこへ手を差し伸べたのが満州への野望を持っていた日本。北京の日本公館にかくまわれ、その後天津へ行きます。
 溥儀やお供のものたちはそのときに故宮にあった財宝を大量に持ち出したんですね。
 そのお金があって天津では夜遊びも盛んだった、と中国の展示にはありました。

 (天津の溥儀夫妻と日本人たち)

 私が買ったのはおそらくはこのとき、北京から持ってきたものでしょう。
 80年代末、北京ではもう故宮由来の文物は厳しく管理されていた。
 日本と同じく、中国も政変時に骨董や美術品が大量に外国に流出している。山西省の洞窟の仏像なんて、片はし泥棒にクビを狩られている。
 

しかし天津はまだそこまで厳しくなかった。かんざしも壊れているものなので売ってしまえ、だったのでしょう。

田舎に骨董買い付けに行く人々

 そして中国は2000年代はじめ頃から北京オリンピックにかけて、骨董投資がブームになっていきました。
 北京では、見る目のある20代、30代の若者たちがトラックを仕立てて、農村に買い付けに行ってました。

 何百万、今だと何千万もするような特殊な木の彫刻の机や骨董品が、その頃なら数千円で買えた。それぐらい農村は貧しかったし、持ち主も価値がわからなかったんですね。

(こういう家から家具を買い付ける。写真は安徽省2009年 筆者撮影)


 で、買い付けた方は北京上海の好事家や金持ち、出現しはじめていた高級プライベートレストランや別荘に売る。

 90年代、北京の前門に景徳鎮の政府が店を出して、そこで陶器を直売していた。
 販売員のおっちゃんに、紙のように薄い陶器の花瓶を「儲かるから買っときなさい! 」と何度も薦められました。でも好きじゃないから買わなかったら、製造できる土がなくなった。当時1万円ぐらいだった花瓶は、今は60万円になってます。

(景徳鎮 筆者撮影)
 

 さて昨年のこと。ひょんなことから骨董に詳しい人にカンザシの話をしたら、
「それ、今、100万円ぐらいだよ」
 と言われました。
 えーっ? と思って、詳しい中国人に聞いてみても、同じ返答でした。ま、その値で売れるとは限らないし、売る気もないけれど……。

 あれから30年。ダイエーは倒産してしまいました。
 昨年、たまたま会った、当時の天津対外貿易局の元幹部は、「あー、中内さんね。何度もご飯食べたよ!」と笑顔で言ってましたが、ダイエーが天津に出店したスーパーも皆、なくなりました。

 日本人OLひとりの買い物のためにデパート全館を開けて待っていた中国人たちは、今、逆に日本で爆買いをしています。


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