今のおれにできること

今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


なにか高い生産性を出す仕事ができるとか、
面白い話で大爆笑を呼び起こすとか、
誰かのために汗と涙を流すとか、
なんにもできない。

端的に言うと無能である。
いい年こいて残念であるが、認めるしかないのだ。


今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


年初に適応障害を発症してから、"好きなことしか"できない体になってしまった。
都合のいい話と感じるだろうが、
んなこといったって、ストレス感じると叫んじまうんだもん。
しゃーないやんけ。

今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


おれの親父とかさ、お前もう会社無理だろうからフリーランスで働けとか簡単に言ってくるけど、無理無理無理。
サラリーマンやっても会社すらろくにいけねえんだもん。
そもそもおれ仕事嫌いだし。
苦手な分野なのに採用の仕事延々やっていたせいで、中途半端なキャリアになっちまったし。

34歳、もう人生詰んでんだよ。


今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


マズローさんも言っていただろう。
人間には、わりとベーシックな部分で、「社会的欲求」がある。
下から三番目だ。
「生理的欲求」「安全の欲求」の次だ。
生命維持に支障がない程度になると、人間は本能的に社会に居場所を求める。

社会に居場所はない。
無能に居場所はない。
若けりゃまだ何とかなるが、それももう使える言い訳ではなくなってきた。


今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


それでも、生きていかないといけない。
どうやったら楽しく生きていけるのか、ない頭で本気で考えた。

この際、金なんかナンボでもいい。
自己実現とか、もうそっちのけでもかまわない。
どうしたら、自分が納得した人生を過ごすことができるのか。


今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。


怒っている人よりも、楽しい人の方がいいよな。
いじめてくる人より、いじめてこない人の方がいいよな。
「怖くない」というのは、ひとつアイデンティティになりえると思った。

去年の後半のあたり、会社から自己否定をされることが多くなった。
会社側にその認識はないし、わざとでもないだろう。
それでも、そう感じることを多くされるようになって、
僕は精神を病んだ。

この前自分の顔を見て、怖いなと思った。
表面的なものでなく、にじみ出るこわさ。
あの数か月間の苦労が、出てしまっているのだと思う。

今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。

自分の考えや、感情を表に出せないというのは、本当につらいことである。
この文章、ここまでを書きながら、もう2回叫んだけど、
ストレスに対する反応が「叫び」になっているというのは、
それこそおれの心の声なのだろう。反射なのだろう。


今のおれにできることは、機嫌よく生きていることだけである。

周囲からストレスを感じないで、
自分の人生に誇りが持てて、
自分を大切にしてくれる人に囲まれて生活するために、
無能なおれができること。

もしそれが、そんな都合よく夢みたいな方法があるとすれば、
それってさ・・・





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