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『叫びとささやき』を観た。

テーブルにこぼしたワインがじわじわと広がって染まっていくのを眺めていたら、クロスごと突然はぎとられた。見終わった後の感触はそのような感じだった。

抱えきれないほどの強い欲も怒りも悲しみも痛みも、過ぎてしまえば跡形なく消え去ってしまう。生きるためには禍根なく忘れてしまうほうが利口なのかもしれない。

登場人物のなかではアンナだけが、過ぎ去って埋もれたもののうちにかけがえのなさを見出す。幻影のようなあの庭でのいっときの自由の記憶。しかし結局は沈黙というひとつの形に収斂される。

ここでは赤色が強い圧力をもって迫ってくる。

一面の赤は3次元的な認識を遠のかせる。圧倒的な力に縛られてもいるし、身に流れる血液や秘めた欲望に常に追い立てられて逃れることができない状態。



たまたま次の日に『ふたりのベロニカ』をみることになった。

期せずしてこちらも赤かった。叫びでは閉塞感の象徴となっている色彩だが、イレーヌジャコブの纏う赤は鮮やかに生きている。

度々思い出して見直す映画のひとつなのだが、何度見ても終始完成された画面に魅了され、気がついたら終わってしまっている…なにがそんなによいのかときかれても周縁的なことをぽつぽつこぼすことしかできず、なぜかまた観てしまう。

とはいえあのラスト、人形師が人形を二体作成しているのには静かにゾッとする。「酷使」される半身を失ったベロニカは、物語というかたちでその半身をつくりだしてくれる役割を求めて彼に惹かれたのだろうか…

どこかにいるもうひとりの自分の生。ふたりの間で重なり合う経験は、その繰り返され方がさりげないほど不穏で不気味なものに思える。

しかしこの恐れとは、わたしという個人に固有の生への信頼とはなにか。


アイデンティティを常に保持し、この身体の社会的輪郭を維持していなければならないことに辟易している。なにか違うかたち、名前も記憶も感情も肉体もただそれのみというところまで貶められたら。わたしは名前を持たないものになりたい。

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